第17話 「ディモルフォセカって言うの」

 偽りの夜空には偽りの星が煌めき、それでもそれは確実に今という時の証明。


 美紗と別れ帰路につくと、先程まで野次を飛ばし続けていたアーシェが無口になり、二人は沈黙の中町の雑踏のなかに紛れていた。



 ――一体どこを見ているのだろう?



 美紗もアーシェも、気が付けばいつのまにか時折遠くを見つめている。


 悩み、心配、葛藤。


 強がってはいたものの、美紗が告げた一言で、アーシェにかなりの焦りを与えた事は用意に見て取れた。





 ――――。



 気が付くと、俺とアーシェは雑踏を抜けて、静かな住宅街を歩いていた。


 街灯の白い光は、いつも無邪気に見せるアーシェの横顔を美しく、また、面妖に変えている。


 まるで吸い込まれそうな、少しでも理性を欠けばアーシェを襲ってしまいそうな……。


 零司はハッと我に返り、慌てて大きく左右に首を振る。



 ――何考えてんだ…俺。



 そんな事出来る筈が無い。そんな事をすればひどい目に遭わされるのはわかりきっている。



 “本当の理由は違うだろう?”



 ――親父?



 不意に頭に響いた親父の声。


 それはノイズのようで、まるで不鮮明な声だが間違えようもない、確かな父の声。



 “恐いんだよ、彼女を失うことが……彼女が自分の元から去ることが”



 ――まだ出会って三日目だ。



 “時間は関係ない。運命が重要だ……運命は必然。彼女が倒れたとき、闘いたい、力が欲しい、と渇望したのはお前だ”



 ――雪でも香織でも、たぶん亮介でも同じだ。



 “違うな。――もし仮に、襲われ倒れたのがその三人のいずれかだったならば、お前はこう思ったはずだ――『逃げたい』、と”



 ――馬鹿なことを言うな。



 “馬鹿なことかどうか……すべては時が証明してくれるさ”



 徐々に遠ざかるノイズ。



 ――待て親父! まだ聞くことは山程あるんだ!



 “俺から話すことはもう無い”



 ――親父は、真奈は、母さんは何故死んだんだ!



 ―――。



 返答の無いまま、遠ざかるノイズ。


 それはまるで、零司に向かい自分で調べろと言わんばかりに……。



「……零司、どした?」


「え?」



 アーシェの声と入れ替わるかのように、頭に響いていたノイズが消える。


 状況がいまいち理解できず、目を見開き茫然と立ち尽くすと、こちらへと不思議そうな表情を向けるアーシェと見つめ合う形となった。


 雑音一つない静寂。


 父の言葉が、零司の頭の中で何度も囁かれる。



 ――俺は……アーシェが去るのを、恐がっている?



「変な顔。変質者と間違われるわよ」



 ビシッと零司に軽くデコピンをして再び歩きだすアーシェ。



「お、おい。道間違ってるぞ!」



 区間の中立地点の交差点で、アーシェが足を向けたのは家のある東区ではなく、その正反対の西区。


 しかし、零司の指摘に耳を貸す様子もなく何かに導かれるかのように黙々と歩いてゆくアーシェ。



「おい、どこに行く気だよ?」




 ℱ




 真夏の夜の肌寒い風に吹かれながらアーシェについてゆくと、辿り着いたのは家族の眠る共同墓地。



「ここで……なのね」



 無表情で、墓石に刻まれた霧谷の名を上から下へとアーシェが優しく撫で下ろす。



「親父のことか?」



 零司の言葉にアーシェが振り向く。



「仲が良かったの」



 零司はしばらく、狐につままれたような顔をしていたが、我に返ると直ぐ様聞き返した。



「詳しく、話してくれるのか?」


「合ってまだ三日目なんだけど、近々お別れかもしれないからさ」



 “お別れ”



 その一言に、零司は胸が締め付けられるかのような感覚に襲われた。


 よくわからない感覚に、零司が小さく苦悶の表情を浮かべる。


 そんな零司を見ながらも、アーシェは取り留め表情を変えることも、感情を表すでもなく再び墓へと目を戻す。



「それに、私ばっかりアナタの事知っていてもフェアじゃないじゃない」



 言うと、アーシェは供えてあった一束の枯れかけた花を持ち夜空へと掲げた。


 花は高くその身を掲げられると、その全てをまるで浄化するかのように透き通った緑色の光が包み込む。



「その花は?」



 纏っていた光が失せる頃、枯れかけたその花は新たな輝きを取り戻し、存在していた。


 オレンジ色の花びらに黒い芯。


 その花は、生前親父と母さんが大切に育て庭に植えていた花だった。



「ディモルフォセカって言うの」



 アーシェは再生――いや、再構築された花を、そっと墓へと戻す。



「私の育った集落には、この花が沢山咲いてた。……ディモルフォセカは、私と、メソテスと、サイスの思い出の大切な花だった」



 “だった”の一言はとても悲痛に聞こえる。


 “過ぎ去った時”一度失われ、もう二度と戻ることの無い時。


 慰めようとも、何も知らない零司に慰めの言葉など見つかる筈もない。



「集落はいつも平和だった。逃げてきた魔術師や、迫害を受けてきた人達が手を取り助け合って……幼なじみのサイスが族長になってからは、特にね」


「そこで、昨日言ってた裏切り…か?」



 背を向けたまま「そう」と小さく頷くアーシェ。



「急な出来事だった。集落の中でもかなりの力をもつ十二人が一斉に審問官側に味方して、虐殺を始めたのよ」


「じゃぁ、集落の仇を討つためにお前は今まで……」



 振り向き微笑むと、アーシェは首を横に振った。



「集落の仇、とかスケールの大きいものより、むしろ個人的な感情での復讐かな」


「サイス、ってヤツか?」



 口にしなくても、アーシェがその名前を口走ったときの口調で分かる。



 ――付き合っていたのだろうか?



 真剣な話の時に不謹慎だと言うこと位分かる。


 しかし、先程の親父の一言のせいだろうか、気になって仕方がなかった。



「好きだったのか?」


「かなり一方にだけどね。って、違うでしょ! 今はメソテスの話! それ以外はノーコメント!」



 クワッと虚ろだった瞳を見開き顔を赤らめてアーシェが怒鳴りちらす。



「ま、まぁ話を集約して言うと、集落時代はとても仲の良い友達だったってことよ」


「小さい頃の親父ってどんな感じだったんだ?」


「小さい頃……か」



 アーシェは平常心を取り戻すために一度小さく深呼吸し、ゆっくりと過去を語りだした。



「メソテスとサイスとの出会いは最悪だったわ」



 “暗く、どこまでも深い森。何処を向いても生者の吐息も足音も姿もなく、あるのは不気味に揺らめく漆黒の木々”



「――っ!?」



 アーシェの言葉と共に頭へと流れ込んできた情景。


 その鮮明さは想像の枠には納まらず、その場に自分が居たかのように錯覚させられる。



 ――親父の記憶?



 その考えは、続いて流れ込んできた情報により打ち消された。

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