第15話 「いや、良いんだぞ霧谷。古人曰く“浮気は文化だ”だからな」
息をするのも難しい。
足はもつれ、頬を大量の汗が流れ――状況は絶望的だった。
――このままじゃ、全滅だ!
嫌な考えが頭をよぎる。
限界が迫る自分にこれ以上、全員を庇いながら走ることは不可能。
――これ以上は…もうまずい!
そんな絶望的な状況のなか、すぐ後ろにいた亮介が息を切らせながら、精一杯の声を出し零司へと叫ぶ。
「俺は……もうダメだ…零司ィ、先に行けェッ!」
「あきらめるな亮介! 皆で、皆揃って!」
「ごめん、私も……無理みたいだよぉ」
「香織ィッ!」
亮介が走るのを止め、香織もあきらめ…今残っているのは俺と、アーシェと、雪の三人。
「アーシェ、何とかならないのかッ!?」
「無理。人間の限界は限られているから、あれ以上何の力も無く、訓練もされていない身体に付加をかけるのは危険なの」
「くそッ、すまない亮介、香織!」
朝、俺たちは──
“寝坊した”
しかも、とてつもなく。普通に走っていては、絶対に間に合わない時間。
時計を見た皆(アーシェ・エリスを除く)は慌てふためき、髪のセットも制服の身だしなみもそれなりに、スプリンターの如しスタートダッシュで家を出た。
「さっすが姉様! 全然余裕ですねッ!」
「当たり前よ! 伊達に七○○年以上生きてないわ!」
時折NGワードを盛らしながらも、顔色一つ変えず、汗の一滴も流さず、アーシェは余裕の表情で走り続ける。
それを見ただけで零司はアーシェが術式を使っていることを確信した。
――ドーピングは、失格だ!
不正を許せないガラスの少年・霧谷零司は、酸素が足りずうまく回らない頭を無理矢理回転させ“付加術式打ち消し”の検索をはじめる。
――これだ!
発見したが刹那、零司は即座に印を切りアーシェに向かい人差し指を向ける。
「おりょ?」
哀れ、術式に頼って走っていたアーシェが思いもよらない零司の術式により、靴の裏にひっそりとかけた術式“天馬の浮足”が打ち消される。
「うわわわわっ!」
それなりにノッていた速度で、頼りきっていた術式を急に解除されれば、もう前のめりになって転ぶ他無い。
「「あいたぁッ!」」
転ぶ瞬間、反射的に目の前の制服をひっぱり、雪もろともドミノのように倒れこむ。
――不正滅殺!
別に雪が不正をしたわけではないが、「アーシェを“姉様”と呼んでいるわけだから連帯責任って事で良いんじゃない?」、と心の中で呟き悠々と二人の横を走り抜ける零司。
通り過ぎる瞬間“殺してやる”的な発言が聞こえたが構っている余裕もないので零司はその言葉を心に深く刻み、やはり振り向く事無く走り去った。
ℱ
「うおおおおっ!」
──人生とは何処で転ぶか分からないなもので、まさかアーシェを転ばせただけでここまで状況が悪化するなんて誰が予想できただろう?
と、下駄箱の前で大慌てで内履に履きかえる零司の後ろから、
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す絶対殺す!」
破壊神も真っ青な殺気と剣幕で走ってくるアーシェの姿。
――まずい、絶対にマズイ! あれに捕まったらミンチどころかハンバーグにされかねない!
靴紐も結ばず再びロケットスタートを決める零司。
もう靴がカパカパしている事など気にしていられない。アーシェが履きかえているうちに少しでも距離を、と思う零司だが。
「逃がすかぁぁぁぁッ!」
予想外。なんとゆうアウトロー。
アーシェは外履きのまま校内へと侵入してきた。
「土足厳禁!」
ドリフトカーブを決め、教室まであと数メートル。
――勝った!
確信した零司は教室の前で急ブレーキ。アーシェへと向き直り、
「の・ろ・ま」
零司は中指を立て挑発し、余裕の表情で教室のドアを開く――と、
「あの、教室間違ってますけど?」
ちょうど開けた扉の真前に立っていた“隣のクラスの女子”が、親切に、最悪なミスを教えてくれた。
「あ、そうですか。スンマセン」
静かに扉をスライドさせ、パタンと閉める零司。向き直った視線の先では、アーシェが“俺たちの教室”の前で手招きをしている。
「いやだ! 絶対に行かない!」
「ちょっと、」
教室内を見ながら、尚も手招きを続けるアーシェ。
「殴るんだろ! メチャクチャ殴るんだろ! それこそ顔がアンパン超人になるまで!」
「なぁぐぅらぁなぁい! それより凄いの!」
少し苛立つアーシェの口調。
「え、何、もっとヒドイ事!? ミンチ? ミキサー? ハンバァァグゥッ!?」
意味不明なことを叫びながら頑として動こうとしない零司に対し、業を煮やしたアーシェはカバンの中から荒縄?を取り出し零司の足元へと投げ付ける。
「来い、って言ってんの」
投げた荒縄は零司の足に巻き付き、キュ、と軽く締め付ける。
「な、どこからそんなものをぉぉぉ!」
まさに足元をすくわれた零司が、一気にアーシェの下へと引きずり込まれる。
――オマエはカウボーイかッ!!!
と思ったときには、既にアーシェのすぐ下に到着していた。
「ほら、立って!」
襟首を掴まれ、無理矢理に立たされる零司。
「スイマセン、いや本当に、マジで」
真剣に、両手を合わせて謝る零司だが、アーシェは未だ教室内へと向いたまま。
どうやら、本当にアーシェは俺をハンバーグにする気は無いらしい。
「おい、どうしたんだ?」
零司の質問に、あれ、と教室の奧を指差すアーシェ。
「あ?」
指差した先は、窓側の席の一番前。
「なんだよ、美紗が座ってるだけじゃ――って」
――美紗、佐野美紗ァ!?
なんと其処には、転校初日に大喧嘩(殺し合い)を繰り広げた佐野美紗ことエウア=ネモスが、何事もなかったかのように座っていた。
「お、おいあれって……」
「美紗ね」
こちらが真面目に驚いているのを知ってか知らずか、小さな欠伸を盛らす美紗。
「ちくしょう、まだ懲りないのか!」
意気揚揚と教室へと踏み込む零司。が、しかし――
「待った!」
「うぎゃあ!」
アーシェが手に持っている荒縄をピンと張り、零司が俯せに倒れる。
笑いに湧く教室。
“よっ、夫婦漫才!”
――言った奴、後で殺す!
「って、何すんじゃい!」
勢い良く立ち上がり、唾を撒き散らしながらアーシェへと詰め寄ると、
(馬鹿ねぇ、本当に馬鹿。馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿メガ馬鹿。こんな所でアイツになんて言うのよ? 異端審問官め家に帰れ、とでも言うつもり?)
――確かに、下手な事を言えばこの教室内の人間全てを巻き込みかねなかった。
(考え無しに動くのは悪い癖ね。精進しなさい)
――でも、オマエにだけは言われたくない!
「おはよぉ~」
ピロピロと手を振って教室の中へと溶け込んでいくアーシェ。
美紗も、今事を起こす気はないらしく、ただぼんやりと窓の外を眺めるばかり。
「おれ一人馬鹿みたいだ」
深くため息を吐いた零司に、昨日のアーシェ達との会話がよみがえる。
今、この光景は全て幻。
幻の中の世界で、笑い、怒り、悲しみ……そのことを、この教室内の誰が知るだろう。
少なくとも、知っているのは俺とアーシェと美紗くらい。
いきなり自分の住んでいた家がなくなったら? 故郷がなくなったら?
そう思うと、協力すべきかしないべきか、俺の心は揺れた。
華峰町は今日も暑かった。
日が照り、蝉が鳴き、生徒が嘆き…。
「……すうすう」
――だからなぜ寝れる!?
右斜め前では、一時限目から完全に顔を伏せて寝ているアーシェ。
今の零司ならば、彼女にかかる術式を解き罰を受けさせることも可能だが、彼女の寝ている理由が理由だけにそれを躊躇わせる。
魔力を使えばそれだけ身体に負担がかかる。
昨日アーシェは特級術式を使い、その上自分を“生き返らせる”という大技までやってのけた。
――仕方ない……のか?
いや、仕方ないような気もするが、何故よりにもよって学校で寝るんだ?
一方、美紗も美紗で授業に関心はないらしく先程からずっと窓の外をぼんやりと眺め続けている。
何を見るわけでもなく、ただ外へと向けているだけの瞳は、
“虚ろで、儚げで”
そんな言葉が似合う。
「……ん?」
ふと目についた、美紗の手の平の包帯。
昨日、全身にかなりの傷を負った美紗が包帯を巻いているのは別に不自然ではない。
しかし、巻いてある箇所が不自然だった。
大きな傷を負っていた腕や身体の傷は完全に消えているにもかかわらず、何故手の平だけに包帯が?
傷の治癒は魔術師ならば比較的簡単で、簡単な付加術式で身体の治癒能力を促進させれば大抵の傷は一、二分で完全に塞がってしまう。
洗礼武器などという物を作りだす教会ならば、その程度の力を持つ魔術師が居ても可笑しくはない。
なのに、何故手だけに包帯が巻いてある?
「続きを……霧谷!」
誰か曰く、先生は授業に参加していなさそうな生徒を好む。
「え? なんですか?」
「なんですか、じゃない! さっきから佐野の方ばかり見て、二股か?」
ドッと皆の笑いが教室中を包む。
最初、意味が分かっていなかった零司も歯軋りしながら睨み付けてきている雪を見て初めてアーシェと美紗の事だと理解した。
「ちが、違いますって!」
焦る零司に対し、我関せずと言った感じに寝ているアーシェと、窓の外を眺め続ける美紗。
「いや、良いんだぞ霧谷。古人曰く“浮気は文化だ”だからな」
この後、先生が女子から大ブーイングを受けたことは言うまでもない。
ℱ
――六二、六一、六○…。
座学ばかりの特に面白みもない火曜日の授業も、あとおよそ一分後にスピーカーから鳴り響くであろうチャイムの音で解放される。
そう思うと、ついつい心の中でカウントダウンを始めてしまう。
――三、二、一。
零司のカウントが丁度ゼロになる頃、スピーカーからチャイムの前兆であるノイズが響く。
――終わった。
勝ち誇った顔で、チャイムの鳴り響く中、小さく呟く零司。
疎らに教科書や筆記用具を片付け始める生徒達。
本日最後の授業“世界史”の担当である林原(通称タヌキ)は、まだ話し足りないという顔をしながらもチャイムの音で騒めきたつ生徒達をみて、仕方ない、と渋々ながらも授業の終わりを告げた。
「帰るわよぉぉぉっ!」
謎の叫び声と共に頭に走った振動で世界が揺れた気がした。
「がふっつ!」
勢い良く机へと頭を打ち付ける零司。
――畜生!
振り向かずとも、“はしゃげて元気な声”と“もちゃげて暴力的な行動”で、誰であるかは十分に分かる。
「あのな、今日一日がとても退屈な一日だったのは理解できる。――しかし」
おもわぬコンボに脳震盪気味な頭をゆっくりと上げ、振り向いた先に居たのは、
「なによ?」
そこに立っていたのは予想通り、仁王立ちで凛と構えるアーシェだった。
手に持っている、革のカバン。おそらくそれが凶器だろう。
一見無害そうに見えても、それなりに教科書を詰めて得物を横にして使えばかなりの威力が期待できる。
しかも、それが荒縄などと意味不明な物体が存在する彼女のカバンならば教科書より、より危険な物体が入っていても不思議ではない。
「最後の最後で鮮血に笑う事はないと思うぞ?」
「はぁ?」
意味が理解できなかったらしく、「馬鹿?」の一言で片付けられる。
「そ・れ・よ・り、早く帰るわよ!」
「何焦ってんだよ?」
不自然なほどに急かしてくるアーシェ。
天敵(?)である雪は広報委員の仕事で居ないし、あのうるさい亮介もたまにしかない華道部の活動で居ない。
香織は……どうなのかよく分からないが、恐らく今現われないということは既に友達と帰ったのだろう。
なのに、なぜアーシェはそんなに焦っているのか、零司には理解できなかった。
(ネモスに聞くことがあるんじゃないの!)
「あっ!」
アーシェの囁きで思い出し、振り向くと、そこには既に美紗の姿はなく、辺りを見渡しても残っている様子もない。
――しまった!
すっかり頭から抜けていた。美紗が再び学校に現われた理由。
問いただすなら帰り際ほど良いタイミングは無いというのに、まさかそれを逃してしまうとは。
「いつ出ていった!?」
「今さっき出ていったばっかりだから、今出れば丁度良いんじゃない?」
――急ぐことネェじゃねぇか!
が、そんな事を一々ツッコんでいたら今度こそ本当に美紗を見失ってしまう。
零司は鞄を取り、アーシェと共に急ぎ足で教室を後にした。
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