第11話 「君は、殺し屋になぜ殺すのかと聞くか?」
ゆっくりと、しかし確実に、傷はふさがり四肢に感覚が戻る。
戻る……いや、それ以上にまるで器から水があふれ出るかのように力……いや、生命力と言ったほうが正しいのかもしれない。
それが体中の隅々まで行き渡る。
――身体が、動く。
零司はゆっくりと立ち上がった。
「なによ? 何でアンタ動けるのよぉぉぉっ!」
半狂乱になり喚くアステロペテス。
――生まれ変わった気分というのは、こんな気分なのか?
以前の自分とは比べものにならない程の生命力。
元からあったかのように浮かぶ術式の知識。
「メソテスかァァァッ!」
絶叫と共に、倭刀を振り上げるアステロペテス。
「驚異じゃない」
言葉の通り振り下ろされるそれは、メソテスの知識と力を手に入れた零司にとって、何の驚異でもなかった。
振り下ろされた倭刀は高い金属音を立て、零司の頭上数センチで制止する。
止めたのは、いつのまにか零司の右手に握り締められていた黒く、邪悪に歪む一振りの剣。
「閉鎖空間も無しで……焦るなよ」
零司がアステロペテスを弾き返し、左手で指を鳴らす。
窓に霜が張ったかのように、一瞬にして周囲の景色が白い壁に包まれ外界から遮断される。
「さっきまで雑魚だったのに、結界ですってぇ!? 生意気、生意気、生意気よォォッ!」
完全に洗礼武器に意識を支配されるアステロペテス。それにより魔力が飛躍的に上昇し、魔力が体内に納まりきらず背中から高密度の魔力の翼が産まれる。
傷も漏れだした魔力により完全に塞がれ、もはやアステロペテスにはハンディと呼べるものはない。
「アハ、アハハハハッ! 殺してあげる、アナタはラオディキア様に献上せずに私が切り刻むぅ!」
叫びそれまで片手で握っていた倭刀を両手で握りなおすと、さらに魔力が膨れ上がりアステロペテスの足元から地面に亀裂が入りだす。
「たいした魔力だが……逆効果だ」
アステロペテスへと軽く笑みを送り、左手で自分の眼を覆い隠す零司。
「研究に明け暮れていた俺の親父が、魔術師として強かった理由……」
零司がゆっくりと左手をどかしていく。
が、それを最後まで待つ相手ではない。
「一刀ォゥ両ゥ断ンッ!」
膨大な魔力と練り交ざった雷を纏った倭刀は見上げても先が見えない程に巨大化し、一気に零司へと振り下ろされる。
「黒眼」
閃光が結界の中を包んだのは、零司の一言とほぼ同時だった。
少女は、点々と白い雲の流れる蒼い空を見上げていた。
もう、誰も少女の名前を呼ぶ事は出来ない。
少女の名前は……少女の枷は、黒き眼の少年“霧谷零司”によって砕かれたのだから。
「私は…未熟だったのだな……支配するべき武器に支配され、自我を失い、名前まで失った」少女は倭刀の柄を強く握り締め、空に向かって微笑んだ。
「アステロペテス……」
輝きを無くした黒い零司の瞳。
黒眼はメソテスの開発した、最高傑作。
負念を取り込み、具現化し、負念の元を打ち砕く。
それにより、少女の負念だった洗礼武器“アステロペテス”は打ち砕かれた。
「霧谷零司、洗礼武器を砕かれた私はもうアステロペテスではない。――名も無く、存在意義を失った……ただの小娘だ」
倭刀を転がし上半身を上げ、アステロペテスは自嘲した。
“存在意義”
自分の存在を、魔女や魔術師を殺していく中でしか見いだせなかった彼女を、何故か零司は責める気にはなれなかった。
アーシェを殺されたのに。
アーシェの仇の為に手にした力だというのに。
零司はアステロペテスへと歩み寄り、止めを刺すことが出来なかった。
「なぁ、アーシェは死んだのか? 俺の頭に流れ込んだ、この膨大な術式の中のどれを使っても、彼女を救うことは出来ないのか?」
零司の問いに対し、静かに首を左右に振るアステロペテス。
そうか、と零司は肩を落としアステロペテスへと背を向けた。
「彼女は死んでいない」
「へ?」
意外な一言に、素っ頓狂な声を上げて振り向く零司。
――し、ししし、死んでない?
「彼女は“黙示録”を読んでいる。――殺せる奴が居るとしたら、それは私の力を破壊した貴男ぐらいだ」
黙示録――先ほど手に入れた“脳内親父辞典”によると、
“神の力を模した術式を載せた禁書で、世界に四冊のみ存在し、それを開いたものは永遠の苦痛と力を手に入れる”――らしい。
「でも……永遠の苦痛って」
「苦痛?」
如何せん親父の知識な為、彼女の知識と表現が違っているのだろう。
「しかし、まぁ、貴男の言う通り苦痛といえば苦痛か。――自分は年老いる事も死ぬこともないが、大切な人や、親しい人たちは確実に死んでいくのだから」
――魔女狩り当初から生きてきたとすれば、アーシェは既に七〇〇歳は超えるはず……一体どれだけ別れを体験してきたのだろうか?
「とにかく、アーシェは死んでいない」
「そうか」
安堵のため息と共に、結界は上部からゆっくりと消滅し、零司の瞳も黒き瞳に輝きが戻っていた。
「ところで、これからオマエはどうするんだ? 力が無くなって、それでも審問官を続けるのか?」
「それは――」
力を失った倭刀へと視線を落とす。
『力を失った者に用事はない』
不意に聞こえた男の声。
ブロンドのオールバックに、美紗やアステロペテスとは対象的な白に金色の装飾を施されたローブ。
零司の作り出した結界の外にいたのだろう。その男は結界が消えていくにつれ姿を露にしていった。
「……サルディス。私を粛清しにきたのか?」
声を聞いて分かったのか、アステロペテスに慌てる様子はなく、笑ってサルディスへと振り向いた。
「アステロペテス。敵の眼前で女言葉は使うな……前にも言ったぞ?」
「私はもう審問官ではない」
鼻を鳴らし、サルディスがアステロペテスへと右手をかざすと、そこに紅い両刃の片手剣が召喚された。
「まてよ、サルディス……だったか? オマエそいつのボスなんだろ?」
「君が、霧谷零司か?」
「質問を質問で返すなよ」
サルディスが召喚された剣を取り、ゆっくりと歩き始める。
「最もだ。──で、その通りだが何か?」
「オマエ、使えなくなった部下を殺しにきたのか?」
「そうだ」
アステロペテスの真後ろで足を止めるサルディス。
アステロペテスは覚悟したかのように正面に向き直り、目蓋を閉じ、首筋をサルディスへと曝け出した。
「最悪な上司だなアンタ。女の身で、傷だらけになってまで頑張って闘ったのに、ねぎらいの言葉も無しでその上殺すのか」
「使えなくなった物を廃棄して何が悪い?」
剣を高々と振り上げるサルディス。
振り上げられた剣は光を反射し、刄が一層に鋭く見える。
「その剣を振り下ろしてみろ。――そいつの首が落ちた瞬間に、俺が貴様の首を落とす」
再び黒眼を発動させ輝きが失われる零司の瞳。
「……そうか」
小さく呟き、紅い剣は振り下ろされた。
「貴さ……ま?」
不思議な現象。
サルディスの紅い剣は、確かにアステロペテスの首をとらえていたのに……
「私は……生きているのか?」
アステロペテスの首は今だに繋がり、その機能を果たしている。
「“異端審問官アステロペテス”は今死んだ」
――え?
意味が分からない。
アステロペテスの方も理解できず、何だか複雑な顔をしていた。
「霧谷零司」
「は、はい?」
不意を突かれた出来事に、思わず敬語を使ってしまう零司。
「黒眼、か。メソテスの記憶は全て受け継いだのか?」
「まぁ、術式に関しては…たぶん」
「そうか」と言ってアステロペテスの腕を取り、優しく立たせて服に着いた汚れを払う。
サルディスのその行動は、まるで妹に接する兄のように見えた。
「辛いことは隠して……まったくもって親馬鹿だな」
サルディスが倒れているアーシェへと一瞬目を向け、アステロペテスの背中を軽く零司の方へ押す。
「うわ、ち、つ」
いきなり押されたため、おぼつかない足取りになり、転ぶまいと頑張る彼女の姿は滑稽でもある。
「きゃうっ!」
――転んだ。
「意外だな。もっと邪悪な奴らの集まりかと思ってた」
「…目の前の物に捕われるな。私が異常なだけで、他の六人は邪悪の固まりだ」
「なら、アンタはなんでそんな所に?」
質問の意味が理解できなかったのか、それとも答えたくないのか、サルディスは黙したまま喋ろうとしない。
「質問を変える。なんでオマエ達は魔術師を片っ端から殺す?」
愚問だった。意味の無い質問だ。
――でも、なぜか彼ならアステロペテスとは違うしっかりとした答えを返してくれる気がした。
「君は、殺し屋になぜ殺すのかと聞くか?」
返ってきた答えは簡潔なものだった。
――それでは意味がよく分からないじゃないか。
「――アンタは、好きで殺しているのか?」
――――。
問いに対し、サルディスの答えが返ってくることはなかった。
「君は――」
サルディスが、閉ざされていた口をゆっくりと開く。
「確か、君は家族の死を探っていたな?」
「え? あ、あぁ」
「君は、家族を殺したのは誰だと思っている? この町? 七つの教会? それとも、魔術師?」
――何を突然?
「君は、仇を見つけてどうする? 殺すのか?」
「――わからない」
その答えに、少しホッとしたかのような表情を浮かべるサルディス。
「今の君は――授けられた力の意味を理解していない。そんな君を教会へ連れていっても仕方ないな」
それだけ言うとローブを翻し、サルディスが背を向け歩きだす。
「まてよ」
サルディスの足がとまる。
「次は、敵か?」
馬鹿な質問だ。敵のボスに対して“次は敵か”なんて……分かりきっているじゃないか。
サルディスは再び歩きだし、蜃気楼のように景色へと消えていった。
「オマエは行かなくて良かったのか?」
俯せに倒れていたアステロペテスへと声をかける零司。
「言ったでしょ。私はもう、異端審問官じゃない」
アステロペテスはそう言って仰向けになる。
「今日は倒れっぱなしだな、私」
大空へと手をかざすアステロペテス。
「ったく……もう四時限目始まってんじゃねぇか」
腕時計を見ると、既に時刻は一時五分。
「サボりだな」
ニヤリと笑うアステロペテス。
――魔術師だって、審問官だって、こんな風に笑える……普通の人間と同じ。
もし、この世に不幸をもたらす悪魔がいるとすれば……力を与えた、運命そのものだろう。
「どうした、零司?」
「――いや、なんでもない」
授けられたこの力……本当は分かっていた。
“復讐のための力”
約束しといてなんだけど、俺はそんな事に使う気はない。
もう何も失わないために。自分の幸せのために、この力を使わせてもらう。
「さて、後始末しますか!」
俺がビシッと血塗れのアーシェを指差すと、アステロペテスはあからさまに嫌そうな顔をしていた。
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