第10話 「アハハハハッ! バァカ、アタシが四肢を狙うと思ってた?」



「さ、コレで心置きなく戦えるわね」


「心置きなく……か」



 アステロペテスの顔に、冷笑が浮かぶ。



「果たして、“オーラム”の力の使えない貴女は心置きなく戦えるのか?」



 一瞬、アーシェの右手がピクリと反応する。



「気が付いて……いなかったとでも…思っていましたか?」


「顔色が悪いのは、魔力が極端に減少しているため……しかし、予想外だった。よもや貴女が、彼との――メソテスとの戦闘でそこまでになるとは」



 アステロペテスの口癖を借りるなら、“戯言”。


 そう言いたいが、彼女達の言うこと全てが……。



「さっきからぺらぺらと……早く始めるわよ!」



 これ以上の対話は不要。あとはただひたすらに殺し合う……それが魔術師と審問官の運命なのだから。


 素早く印を切り、二人へと無数の火矢を飛ばす。



「致命的……真空に…炎は存在できない」



 飛んでくる火矢に対し、美紗が冷静に一回、二回、とトリガーを引いていく。


 火花も散らず、弾丸も発射されていない――しかし、銃口から発射されたそれは火矢をかき消し、地面を切り裂きながら真っすぐにアーシェへと向かう。



「厄介な物ッ!」



 紙一重で身を翻し回避するが、それでも真空の刄はアーシェのスカートを僅かに切り裂き糸くずを宙に舞わせた。



「回避したつもり?」


「最ッ悪!」



 フィルムのコマをとばしたかのような光景。


 美紗の隣に立っていたアステロペテスは、倭刀に手をかけアーシェの背後に滑り込む。


 一閃、二閃。


 煌めいた刀身はそれでも、アーシェの髪の毛を数本散らせただけだった。



「さすがに、一筋縄ではいかないか……」



 斬撃を回避したアーシェはそのまま間合いを取ろうとしたが……。



「なによ……これ」



 足から力が抜け、その場に膝を折るアーシェ。


 足が、手が、身体中が痺れ力が入らない。



「最強、か。それも所詮、オーラムの力に頼ってのもの……使えなければ、こんなにも弱い」


「黙れ!」



 力を振り絞り、地面に印を描く。



 “大地の神槍”



 アステロペテスと美紗に向かい、地面から剣山が突き出される。



「まだ動ける!?」


「さすが……です」



 アステロペテスは倭刀で受け流し、美紗は的確な射撃で剣山を射ち砕く。


 アーシェは右腕をバネに身を翻し体勢を立て直すと、破片などで視界を遮られている二人に対し二撃目の術式を放つ。



 “龍の吐息”



 指先に現れた印は漆黒。


 次第に巨大な光の収束体となり二人へと迫る。



「…迂闊ッ!」



 光が、二人を包み込んでいった。






 巻き上がった煙。


 コレが閉鎖空間の中でなければ、間違いなく学校の屋上どころか、その射線上のむこうにあった山の一部すら破壊していたであろう。



「呆気ないものね」



 アーシェがポツリと呟いた。


 徐々に抉られた地面は修復され、景色には蜘蛛の巣のようにヒビが入る。


 二人が死んだため結界が解けたのだろうか……。



「アーシェ!」



 景色が崩れ去ると、そこには壁にもたれながら安堵した表情を浮かべる、零司の姿があった。



「凄いんだな、オマエ」


「当たり前よ!」



 肩で息をしながらも無理をしてピースサインを作るアーシェ。


 無理もない。先ほどアーシェが放った“龍の吐息”は特級術式であり、その辺の魔術師が使おうものなら一瞬にして魔力は枯渇し、消滅してしまう。


 それほどの術式を、アーシェは魔力が疲弊した状態で使ったのだから。



「さて、教室に戻りましょうか」



 一歩踏み出したその瞬間、アーシェの身体か大きくふらつく。



「危ない!」



 素早く身体を支える零司。


 近くで見れば良く分かる。アーシェの顔色は明らかに悪くなっており、とてもじゃないが授業は無理だ。



「保健室に直行だな」



 軽く微笑みかけると、



「あはは、頼みま~す」



 と、笑い返すアーシェ。


 オレはアーシェの肩に手をかけ、しっかりと身体を支えた。


 見かけより身体は非常に軽く、華奢で……オレは情けなかった。


 自分より一回りも細いアーシェに護られ、昨日も、今日も…オレはただ、地面に伏していただけ。



「しっかり掴まってろよ」



 アーシェから返事はない。



 ――寝たのか?



「――ッ!」



 それは、驚愕などでは括れない……言うなれば、絶望。


 一滴と二滴と、アーシェの腹部から赤い液体が滴れていた。



 いや、腹部から伸びる、赤く染まった倭刀の切っ先から……。


 ゆっくりと引き抜かれる刀。


 スベテハ緩慢デ、


 スベテハ絶望的デ、


 アーシェは地面へと、倒れた。



「アーシェェェッ!」



 地面に広がる赤い水面に、悲観した――オレの顔が映し出された。



「あ……」



 いきなりの出来事に気が動転し、その場に立ち尽くす零司。


 その間にも、じわりじわりと広がる赤い水面。



「笑止……とは言えないな。――まさか、弱りきった魔力で“龍の吐息”を射ってくるとは、さすがは純粋な魔女」



 アーシェへと称賛の一言を発っし、倭刀の血糊を振り払うアステロペテス。


 勝利したかのように見えるその姿。


 しかし、彼女もまたアーシェの一撃で致命傷には至らなかったものの、深刻なダメージを受けていた。


 凛と立ってはいるが、所々服が破れ、右腕からは大量の血が流れ出て立っているのが不思議なほど。



「アステロペテス……少しだけど…洗礼武器にも影響が……」



 近くにいた美紗もまた同じ。即席で射ちだした“風の壁”では特級術式の威力を殺すことなど到底不可能。


 しかも、戦闘術式のみに秀でる美紗はアステロペテスよりも深刻な、その身に宿る洗礼武器にまで至るほどのダメージを受けていた。



「先に帰れネモス。ここから先は一人で十分」


「でも……また邪魔が」


「二度も言わせるな」



 威圧的な瞳で美紗を睨み付けるアステロペテス。


 しかしその威圧的な瞳は、厄介払い、というより美紗を心配しての事のようにも見える。


 察したのか、美紗は小さく頷くと“油断しないで”と一言残し、足元へ溶けていくかのように消えていった。



「なんでだ……なんでオマエ達はこんな事を!?」


「なぜ?」



 アステロペテスが質問の意味が理解できない、と言うかのように小首を傾げる。



「弱りきって、疲れ切った奴を後ろから刺して、何とも思わないのか!」


「弱りきった処を仕留める。狩りの常套手段だ」



 “狩り”



 アステロペテスはアーシェを人間だと思ってはいない。


 零司は血が滴るほど拳を強く握り締めた。



 “怒り”



 アステロペテスに対して、自分に対して……。


 いつも自分は失う。


 家族も…アーシェも。


 力が無いから……愚かだから……俺はいつも……全てを失う。



「さて、コレはある方の命を無視した事なんだ……早く戻って結果を提示しなければならない」



 ゆっくりと、アステロペテスの雷を纏った左手が零司へと伸びる。


 その手に掴まれれば、おそらく一瞬にして意識が飛び、気が付いたら教会とかいう場所だろう。



 ――愚かで良い……でも、せめて力だけは…今、アーシェを救えるだけの…力だけはッ!



「テメェなんぞと!」



 零司は腰を落とし、雷に纏われていない左腕を思いっきり殴り付けた。



「くっ……」



 ダメージもあってか、零司の渾身の一撃は思いの外アステロペテスを大きくよろめかせた。



 ――親父、俺の中に居るんだろ?



 よろけたアステロペテスに向かい、そのまま腰をひねり右の蹴を脇腹へとたたき込む。



「ッ!」



 強大な力を手に入れようとも、所詮は道具に頼った力。


 アステロペテスは力のベクトルに身をまかせ、地面へと倒れこんだ。



「霧谷ぃ、零司ィィィッ!」



 整ったアステロペテスの顔が怒りに歪み、それまで少女だったその顔が、まるで夜叉の様な形相になる。


 次は間違いなく本気で来る……五体あれば儲け物。へたをすれば四肢全て彼女の腰に携えられた倭刀に切り裂かれ、教会へと連れ去られるだろう。



 ――どうするんだよ、親父……テメェの息子の――いや、“テメェの”ピンチだぞ?



 アステロペテスが勢い良く跳ね起き、抜刀した。



「四肢は必要ない……必要なのは…存在だけッ!」



 叫びと同時に、地面を蹴る軽快な音が響いた。


 鈍く響く、肉が突き刺され裂かれる音。


 何が起こったかも分からない。


 頭を垂れた零司の目に入ったのは、アーシェと同じように倭刀を突き刺され、血を流す自分の腹部。



「アハハハハッ! バァカ、アタシが四肢を狙うと思ってた?」



 零司の後ろに立ち倭刀を握るその人物は、すでに先程までの冷静なアステロペテスではなかった。


 見開いた瞳は血走り、髪は乱れ、口元は醜く邪悪に笑う。


 強大な力を与える物には、なにかしらの枷が付く。


 狂気に支配された今の彼女は、その枷に囚われたまさにその姿だった。



「どきな」



 アステロペテスは零司の背中に足を押しつけ、乱暴に倭刀を引き抜く。



「がっ……」



 アーシェと寄り添うように倒れこむ零司。その口からは、内蔵の損傷を意味する真っ赤な血が流れでていた。



 ――畜生。



 そう心の中で叫び、薄れゆく意識のなか瞳を開くと、そこには堅く瞳を閉じた…しかし整った、アーシェの顔があった。


 未練が残る程度ではない。


 昨日会ったばかりだというのに、“護る”と……。


 厄介な存在だから“護る”と……殺せば早いのに。



 それでも、アーシェは弱った身体で、護ると言って……死んでしまった。


 なのに、俺は何もできないまま死ぬのか?



 ――それじゃあ、あわせる顔がねぇよ。



 “覚悟はあるのか?”



 ――え?



 遠退く意識の中、聞こえてきたのは……親父の声?



 “復讐のため、お前は全ての幸せを捨てられるか?”



 ――全ての……幸せ?



 “私を受け入れれば日常が壊れる……お前が私になった時、二度と平和はありえなくなる”



 ――上等だ。



 “……ならば行け。際限なく続く、修羅の道へ”



 声を皮切りに、それは始まった。


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