第2話 「冷たさは父親譲りね」

 けたたましく響く蝉の声。



「う……ん?」



 眼を開けると、白い天井が視界に映る。


 カーテンで隔離されているとはいえ、真夏の日差しと蝉の声は零司の意識を現実と迎合させるには十分だった。


 不健康そうな表情とぼさぼさの髪。時と場合によっては端正に見えなくもないその顔。しかし、今はまるで幽鬼のように見える。



 零司が白い掛け布団をまくると、数冊の本がバサバサと音をたてて床に落ちる。


 落ちた本を見ると、どれも小難しそうな小説ばかり。



「誰かが読んでいたのか? つうか病人の上に置くなよな」



 ここ青領学園に通う零司は、三時間目の体育の授業中に日射病で倒れ保健室へ──そして現在に至る。



「こんなクソ暑い日に持久走なんかやるからだ! 俺の身体はボロボロだ」



 しかし零司以外の生徒は完走していたため、言いわけ空しく持久走の補習は決定していた。と、いうのはもう少し後の話である。



「ボロボロだってさ、かわいそうにな」


「仕方ないんじゃない? 貧弱なのがいけないのよ」



 カーテンの向こう側からよく聞き慣れた声がした。友人、黒坂亮介と幼馴染の鹿野井雪だ。



「あ、貧弱が起きてるぞ」


「気分はどう? 貧弱」



 カーテンの隙間から罵声を吐きながら現れたのは、黒髪を真紅のリボンで結んだツインテールの少女。その横には一見、爽やかに見えなくもないウルフカットの茶髪の青年。服装が体操着のままのところを見ると、授業が終わって真っ先に来てくれたのだろうか、と零司は思っていた。



 しかし「気分はどう?」と聞かれても、カーテンを開けて早々に不名誉なあだ名で呼ばれては、とても良い気にはなれない。



「とりあえず、変なあだ名で呼ばれなければ気分は良かった」


「だって本当のことじゃない、貧弱」


「そうだぞ。お前は本当に貧弱だからな」



 一応、否定をしてみたがこの二人の前では無意味だった。よほど零司に『貧弱』のあだ名を付けたいらしい。



「俺が明日から学園に来なくなったら、少しは悪いことをしたと思ってくれるか?」



 零司はできるだけ皮肉を込めて二人に言った。しかし、その一言に雪が「待ってました!」とばかりに大きくリアクションをとる。



「え、明日から学園休むの? 貧弱だから?」


「そうなのか? 貧弱は貧弱だから貧弱らしく貧弱のように学園を休むのか?」



 十数年の付き合いから分かってはいたものの、彼女と彼には人を大切に思いやるスキルは備わっていないようだ。



「マジで来なくなるぞ、俺」



 ここまでくると、もはやいじめに近い。イジメかっこ悪い。



「えへへ、ゴメンゴメン。冗談よ、冗談」



 テへッ、とおでこを軽く叩いて小さく舌を出す雪。他の者が見ればどんなことでも許してしまうだろうその仕草も、雪の本性を知る零司には利かなかった。



「そのとおり! ただの冗談だぞ零司」



 テへッ、とおでこを軽く叩いて小さく舌を出す亮介。他の者が見ればどんな人でも卒倒してしまうだろうその仕草は、亮介の本性を知る零司にも利いた。



 ──こいつら、マジで殴りたい。特に後のキモイ奴。



「ほれぃ、差し入れ持ってきてあげたんだから許してよ」



 雪がベットの上にビニール袋を置き、亮介が手際よく中身をテーブルに並べていく。



「さぁ、我ら二人の優しさにむせび泣け!」



 テーブルに並べられたのは、野菜ジュースにサラダにスタミナ弁当。



 ──感謝して、いいのか?



 脳裏に先ほどの不名誉なあだ名が過る。



「まぁ、ありがとう?」



 思わず疑問文でお礼を言ってしまい、雪のきりりとした細い柳眉が歪む。



「あん? 私の厚意に何か含みでも?」


「いやいや、ありがたいです。……多分」



 雪は「何よッ」と口を尖らせそっぽを向いた。



「ははは、零司そんなこと言うなよ。これでもコイツさっきまで──」



 亮介の言葉は最後まで続かなかった。


 目にも留まらぬ早業。零司が瞬きをしたコンマ数秒の間に、亮介の腹部には雪による鉄拳が二発打ち込まれていた。亮介は情けない姿で床に突っ伏している。



「私は普通でしたけど」


「は、はい。そうでした。普通でした」



 鷹の如し鋭い眼光をした雪に対し、亮介は涙目で答える。そんな二人のやり取りが可笑しく、さっきまで鬱だった気分はすっかり良くなっていた。




 ──これが、いつもと変わらぬ当たり前の光景。今、俺の前に存在する世界。しかしこの時、愚かだった俺は気が付くはずもなかった。平和の中にあるこの瞬間こそ、何ものにも代えられない〝最大の幸せ″だということに。




 ℱ




 華峰町西区『共同墓地』



 日曜日の昼下がり。零司は華峰町の共同墓地で、両手を合わせ静かに黙祷していた。目の前の墓標には零司の両親──霧谷一真と京子、そして妹の真奈の名前が刻まれている。



 ここに来るたびに改めて考えさせられる家族との別れ。それはとても不自然なものだった。少なくとも零司はそう思っている。



『事故死』



 当時、零司は町からだいぶ離れた学園に通っていたため、その訃報は寮に届いた。最初は悪戯だと思った。家へ顔を出さなくなった零司に対しての悪戯だと。


 しかし零司は通達から三日後、家族だった〝モノ″の入った棺桶の前に座っていた。



 両親の勤めていた研究所が原因不明の爆発を起こした。両親と、そこに〝たまたま″見学に来ていた真奈は、この世の者ではなくなってしまった――らしい。



 最初はニュースなどで大きく取り上げられた。だが、それだけだった。結局原因も解明されないままこの事件は幕を閉じた。


 残されたのは莫大な財産と家、そして零司ひとりだった。



 そもそも、残された莫大な財産自体が変だった。まるでこうなることを予測していたかのような。だからこそ、零司は敢えて親戚の厚意を断り、この華峰町で一人暮らしをすることを決意した。



 死の真相を突き止めるために。



「それじゃあ、行ってくる」



 別れを告げ墓標に背を向ける。



 あの日から、零司は憑かれたように華峰町のことを調べ続けた。次々と出てくる気になる謎。



 〝北区の特殊研究所″


 〝二年前の連続失踪事件″


 〝町を囲むように建つ六つの巨大なモニュメント″



 しかしそれらは謎のまま。調べようにも町民は『知らぬ存ぜぬ』。


 手がかりは何もない。



「霧谷君?」



 その声が聞こえたのは、零司が共同墓地の敷地から出た時だった。



「あぁ、香織か」


「そこから出てきたってことは、お参り?」



 上沢香織。ラフなシャギーで前髪はさらりと下ろしている。その前髪の下から水晶のような瞳が心配そうに覗く。



 零司のクラスメイトであり、幼い頃からの友人だったりする。



「まぁ、今日でちょうど一周忌だからな」


「そっか、もう一年も経つんだよね。おじさんもおばさんも、それに真奈ちゃんも……」



 香織の澄んだ瞳が潤み、場の空気がどんよりとしてしまう。


 零司は失言だった、と後悔した。



「お前が泣くなよ」



 できるだけ安心させるような口調で言う。



「だって」



 ぽん、と香織の頭に手を置き「この泣き虫め」と呟いて横を通り過ぎる。



「霧谷、君?」



 後ろから聞こえる弱々しい声。


 しかし、冷たいようだが零司には香織を慰めている時間が惜しかった。



「悪い。これから行くところがあるんだ」


「そう……。うん、じゃあまた明日」



 後ろ手に香織に手を振る。


 零司は涙を流せる香織が羨ましかった。そして涙を流せない自分が嫌いだった。


 それが理由で、あんな冷たい態度をとってしまったのかもしれない。他人の家族に涙を流せる香織を見ていると思い知らされるから。


 自身の──薄情さが、冷酷さが。





 そんな零司を物陰から見つめる、一対の異質な眼差しがあった。


 鮮やかに流れる、肩までかかった絹のような髪が風でなびく。肌は白く透き通り、瞳は翡翠色に炯々としている。どこか人形を連想させる雰囲気を放つ少女だった。



「冷たさは父親譲りね」



 そう一言呟くと、少女は零司を見送った。


 姿が見えなくなる、その瞬間まで。

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