ディモルフォセカの魔女~700歳の魔女と出会ったせいで人間辞めかけてるんだがどうすればいい?~

あさあさよるあさ

第1話 「お前が! お前が、お母さんを殺したんだっ!」

 人は、何故『生』にこだわるのか。



〝永遠″


〝不老不死″



 人は、何を死と思うのか。



〝固体の生命活動の停止″



 果たして、それが本当に死なのだろうか?





 赤い。残酷なまでに美しい赤が散る。


 闇に支配された町は炎に蹂躙され、人々もまた同じ。


 漂う火薬の臭い。爆ぜる火の粉。転がる死体の数々。そして、血の飛沫。


 それはまるで、夜に巣くう魔物たちの宴。



「どうして私たちがこんな目に。……お母さん」



 一人の少女が炎に囲まれた床に立っていた。



 外壁は崩れ、天井は既に炎によって吹き抜けとなり、元あった家の形態を有していなかった。


 炎によって、少女の髪が深紅に染めあげられたように見える。


 頬を撫でる炎風。チリチリと刺さる炎の視線。周囲では、火の爆ぜる音がひっきりなしに続いている。


 所々で煉瓦造りの壁が、ごおっ、と音を立てて崩れ落ちる。



 少女は、両手に鮮血を滴らせながら呆然と目の前の死体を見つめていた。大きな目がきらりと輝く。翡翠色の幼い瞳の中で、あらゆる赤が混沌としている。



 その死体は甲冑を身に纏っており、手には槍のようなものを携えていた。顔面は原型をとどめていないほどに黒く焼け爛れ、甲冑の間隙からも同じ皮膚が覗いている。



〝いたぞ! 魔女だ″


〝殺せ!″


〝火あぶりだ!″



 どこからか怒声が聞こえた。少女はすばやく屈み込む。背後で通り過ぎていく足音。自分が見つかったわけではなかった。



 ──早く、お母さんに。



 少女は素足で家を飛び出した。もうこの町にいては助からない。早く母に会いたかった。



 無我夢中で走る。



 砂利が少女の足に食い込む。血が滲み出た。しかし意に介さず、なおも走り続ける少女。



 母は首に銀のロザリオを掛け、森の外れの教会に毎日祈りを捧げる。それが日課だった。いつもは夕飯までには帰ってくるのだが、今日に限ってまだ戻ってこない。町は未だ炎が支配している。



 ──きっと教会に隠れていて、帰りたくても帰れないんだ。お母さん、無事でいて。



 少女は母の無事を祈りつつ、何か言い知れぬ不安を感じていた。


 赤く彩る灼熱地獄を後ろに、少女は教会へと向かった。




 霧のような雨が風に流れる。暗く濡れそぼった森をしばらく走り続け、ようやく教会が姿を現した。が、すでに教会も業火の侵食を受けていた。噴き上がる黒煙が闇に溶け、赤々と燃え立つ火柱が、その闇を灼いていた。



 目の前に突きつけられた絶望に、少女は全身が粟立つ。周囲の気温が極度に低下していくような錯覚。 少女は雨にさらされた身体を、両手で抱きながらふらふらと歩く。一縷の希望を信じて。



──大丈夫。お母さんならきっと。お母さんは強い人だから。



 疲労と空腹が少女を襲う。気を抜くと倒れてしまいそうだった。それでも少女は、母に会いたい一心で耐えていた。肩で息をしながらゆっくりと扉に近づく。


 やっとの思いで入り口の前に辿り着く。扉の隙間から立ち込める異臭に、少女は鼻を押さえた。ひどく焦げ臭い、嫌な臭いだった。



──違う。これは、違う。



 漠然とした不安が、最悪の事態の予感へ、そして確信へと膨れ上がろうとしていた。


 ややもすれば、足がすくんでその場にへたり込んでしまいそうだった。


 一度強く目を閉じ、それから息を詰めて全身で重い扉を押す。



 ギギギ。



 奇怪な生物の鳴き声のような音を立てて開く木製の扉。


 そっと覗き込む。中は意外と明るかった。炎によって闇が照らされているのだ。


 ふと視界を下に向ける。



「──うっ!」



 ぐっ、と喉が震え、目をそむけた。物凄い勢いで喉元までせり上がってきた叫びを、必死で呑み込む。


 夥しいほどの焦げた醜悪な物体が、教会の床の上に横たわっていた。それはまるでこの世に発現した地獄。



「ああ、う、ああぁ」



 そして──見つけてしまった。



 黒くただれた皮膚。斑状になって、粘り付くようにそこに溶け込んだ服の繊維。焼け崩れた顔。とろりと眼窩からずれ出した眼……。紅く染まった銀のロザリオが胸元で炯然とし、仰向けに転がった──母の死体。



 ──嫌だ、そんなの。


 ──嫌!。



「嫌あぁぁぁぁぁぁ!!」



 迸る絶叫。少女は目の前のあまりに凄惨な光景に、とうとうその場にへたり込んでしまう。瞳は焦点が合わず、宙を彷徨う。



「ほう、御主どこかで?」



 教会に響き渡る、しゃがれた、しかし威圧感のある声。



 少女は虚ろな瞳を前方へ向けた。そこには一人の初老の男がいた。彫りの深い風貌。銀灰色の髪に、ギラつくような鋭い双眸。闇を纏ったような黒い甲冑。古風なマントに鏤めた、豪華な装飾品の光沢が炎によって深紅に染まる。



「やはり、御主は」



 男の炯々とした瞳が少女を見据える。炎に照らされているのでもなく、間違いなく男の目が、そのものが光を発していた。



「ふむ、まさかこの状況を生き延びているとわな。だが主の母親は死んだ。その通り、醜悪な姿と成り果ててのう」



 まるで少女を挑発しているかのような物言い。男の口元が、ぐにゃりと歪んだ。



「あぁ、あああああああぁぁぁッ!!」



 憤慨交じりの哀叫と共に少女は右手を前へ突き出す。同時に、爆音と赤く煌めく光の収束体が男へ迫る。瓦礫や炎を巻き込んで直線する光は、まるで猛り狂う竜のようだ。



 やがて閃光が薄れ辺りが露になる。燃え盛っていた炎は消え、あらゆる壁という壁が崩壊し、教会は無残な姿に成り果てていた。しかし、男は先程の位置から全く動いていなかった。ましてや無傷であった。



「竜の吐息か。未完ながらもオリジナルを織り交ぜるとは流石だ。しかし、その術式を向ける相手は我ではないと思うが」


「お前が! お前が、お母さんを殺したんだっ!」



 よろめきながらも立ち上がる少女。最早、立ち上がる力の残っていなかった少女の原動力は、怨嗟と憎悪である。



「そう思うのならばそれでいい。だが──いや、止そう」



 男はマントを翻し、少女に背を向ける。



「少女よ、生きろ。そしてお前の母を殺した我の命をいつか奪いに来るのだ」

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