34話 魔女


『エミリー…貴女には才能がない。だから、この世界から去りなさい』


 静かに、冷静に…抑揚の無い平坦な口調で、お姉様は無慈悲に告げる。

 手に持っていたマグカップが、するりと抜け落ちた。

 温かいミルクが床に撒かれ、陶器で出来たマグカップは無残にも粉々になった。


 がしゃぁーん!と世界を裂く音がした。


『もう一度言うわ、貴女には才能がない。だからこの世界から消えなさい』


 わたくしは憤る。

 突如として見放されて、ここまで言うお姉様に殺意を向けるほどに怒りを露わにした。

 才能の塊である…お姉様にだけは、そんなことは言われたくはなかった!


 結局、言い合いの果てにわたくし達は決闘をする事になった。

 姉を打ち負かし、先程の言葉を撤回してもらう!!そう怒りに任せて戦った。

 けれど、わたくしはお姉様に勝てることが…できなかった。



 シエルが学校にやってきた日、同じくして転入生がやってきた。


 名前はエミリー。

 プラチナブロンドの髪に翡翠のような瞳、そばかすがチャームポイントなんだけど…常に刺々しい雰囲気を常に纏っていて、誰一人として近付かせない孤高の人。

 おまけに自分のことを『魔女』と呼んでいて、私達クラスメイトを見下してたりしている。


 そんなせいか、常に彼女は一人だった。

 誰かと一緒にいる姿を見たこともなければ、そのムスッとした表情が綻んだりなんてあるわけがない。

 だからこそ、そんな孤高な彼女のことを…私は陰ながら気にかけていた。


「…そんなに気になります?」

「え、あ…シエル!いや、別に気になるって訳じゃないんだけどね」


 ふと声を掛けられて肩が飛び上がる。

 すぐにシエルだと判明すると、ほっとする表情を浮かべて視線をエミリーへと移そうとした、その時。

 ジロリと睨め付けるようにシエルの視線が突き刺さった。


「もしかして、次は彼女を狙ってるとか言いませんよねぇ?」

「へぁっ!?いやちがうよ!?」

「どうですかね…ユウは三股浮気性淫乱悪魔だから、言うことやる事に誠実さがありませんから」

「事実だけどほんとにちがうよ!?」


 いや、確かに三股浮気性淫乱悪魔は不本意ながら事実なんだけど!!

 それでも三人が大好きなのは事実で…ってそれは今は関係なくてですね!!


「私が気にかけてるのは、単純に私もそうだったからだよ!」

「? 私も…とは?」


 首を傾げるシエルを前に、私は頬をポリポリと掻きながら…シエルが来る前の学校生活を静かに語る。

 頼りのハナとも離れ離れになって、常にクラスで孤立していた私は一人寂しく学校生活を送っていた事を。


 今はシエルもいるし…それに少しずつだけどクラスメイトとも話したりするようになって、孤独感はない。だからこそ、私と同じ孤独の彼女を見ていると…お節介をかきたくなってしまうのだ……。


「なるほど、昔の自分と重ね合わせている…と」

「そういうこと。まぁ本人は私のことをなぜか嫌っているから…話しかけることが出来なくてさぁ」


 そう、なぜか私はエミリーに嫌われている。

 それは少し前にシエルと会話していた時のことで…。なぜか悪魔呼ばわりされた私のことを目の敵のようにして見ているのだ。

 多分、彼女にとって悪魔は特別な存在で、それを騙る私が許せないって感じなんだと思うけど…。


「…いくらなんでも嫌われすぎじゃない?」


 同意を求めるみたいにシエルを見つめる。


「まぁ、確かにそうですが…あながち、彼女が言ってること本当だと思うんです」

「え?どういうこと?」


 シエルが考え込むように顎に手を当てて、エミリーの方をちらりと見る。

 そして、桜色の唇が私にしか聞こえない声で小さく動いた。


「彼女、微かに魔力を感じるんです。恐らく日常的に魔法を使っていたんでしょう…」

「それってつまり…エミリーって悪魔なの?」

「いえ、人間ですよ。魔力を扱う人間も少なからずこの世界に居ますからね」


 悪魔でもないのに…魔法を扱える人がいたんだ。

 ていうか、それってつまり本当の魔女って事なんじゃんか!!


 驚愕の表情を浮かべる私を察して、シエルはこくりと頷くと、次の瞬間シエルの表情が警戒するように鋭くなった。

 思わずぎょっと驚くと、シエルは「気を付けてください」と言って私の瞳を覗く。


「いいですか?彼女が魔女だと言うことは…吸血鬼同じく危害を加えてくる可能性があるということです。どうしてこんな辺境まで来たのか分かりませんが…仲良くなる以前に警戒をしていてくださいねユウ」


 警告だと言わんばかりに、圧のある口調でシエルは告げる。

 吸血鬼みたく…危険な存在かもしれないって。でも、それは…決めつけなんじゃないだろうか?


「分かんないじゃん…危険かどうかなんて」

「確かにそうですが…でも、何かあってはダメなんですよ。きちんと警戒しておかなければ大変な事になりますよ!」

「で、でも!私は強いから何かあっても自分で対処できるもん!」

「強い弱いの問題じゃありませんよ!!」


 二人していがみ合うように視線に稲妻を走らせる。

 バチバチバチと火花が散って、額と額をぶつけ合うと…同時に離れて顔を背ける。


「「ふんっ!!」」


 シエルの分からずや!

 相手の事を知らないくせに勝手に決めつけたらダメなんだよ!

 それに、なにか悪いことが起きても…私は強いからなんだって出来るからねー!!


 んべーーっ!と分からず屋のシエルに舌を突き出して威嚇すると、シエルは「どうなっても知りませんからね!!」って言って机の方へと戻っていった。


 私はその姿を見て…少し言いすぎたかもって思いながらも視線をエミリーの方へと向ける。

 そして、意を決して私はエミリーの方へと近付いていった。



 お姉様との決闘に敗れたわたくしは魔法界から追放され、極東の島国である日本へとやって来た。

 お姉様が用意していたであろう小さなマンションと、人間しかいない程度の低い学校。

 魔力も魔法も知らない人間の世界に放り出されたわたくしは…馴染む事なく生活を続けていた。


 苦渋を味わっているような生活だった。

 魔女であるわたくしに存在意義があったのに、人間の生活を強いられるこの現状は耐え難い苦痛だった…!


 元の世界に戻りたい。

 もう一度お姉様に勝って、元のわたくしを取り戻したかった…!

 でも、私にはその力がなかった…。

 圧倒的な実力差だった、わたくしの使い魔が歯が立たないくらいの…天地の差が…。


 お姉様に勝ちたい…。

 けど、この環境では強くなることは出来ない…。


 深い絶望が私を包み込む。

 視界が暗い暗闇に苛まれたように、先が見えない…。

 けれど…わたくしはある事を思いついた。

 

 ヒントはわたくしの事をいつも見てくるあの女からだ。

 その女は自身の事を悪魔と言っていた。

 いや…正確には言われてた、だったかしら?

 

 血が昇って覚えていないけど…まぁどうでもいいわ。

 悪魔とは高位の存在。遥か昔に交流を取っていたり、使い魔として従えていたらしいけど…今の常識では悪魔は宗教でいうところの神に近かった。


 異常な量の魔力、常人では計り知れない知力に全ての魔法使いですら知らない未知の知識!!

 それらを持っているのが悪魔であり…それを語るあの女が、わたくしは嫌いだった。


 幾度となくわたくしに近付いてきたけど、全部無視して突っぱねてやったわ。

 鬱陶しかったけれど。でも、そのおかげで私は思いついた。


 悪魔を召喚する…。

 人智にも及ばぬ悪魔を、代償を支払ってでもわたくしは、お姉様に勝つためならなんだってしてみせる!!


「待っていなさい…お姉様」


 私を…この世界に押し込んだ事を後悔させてあげる。

 

 嬉々とした表情で…完成した魔法陣を見つめる。

 これは召喚の儀式の為に必要な陣。

 悪魔という高位の存在を召喚する為に、今回は部屋全体に魔法陣を描き、そして一週間分の魔力を注ぎ込んでいる。

 正にわたくし史上最高傑作と言っても過言ではない。

 

 まさか日本という地に押し込められて、恨みだけでここまで頑張れるなんて、思いもしなかった。

 これが…怪我の功名っていうのかしらね。


 誇らしげにその出来を見て…呼吸を整える。

 さぁ、ここからよ…。

 ここから悪魔を召喚する!


 何が出てくるかわたくしには分からない。

 どんな代償を求められるか、分からない。

 でも、決意はとうに決まっている…!


 両手に魔力を込め、意識を集中させる。

 研ぎ澄まされた意識の中で、一言一句間違えずに詠唱を開始する。

 まるで、小さな穴に…細い糸を入れるような神経を使う一連の動作に、わたくしは冷や汗を垂れ流す。


 まだ、

 釣り糸を垂らして、獲物を待つかのように…詠唱を続けたまま、目を瞑る。


 深い暗闇の中、手探るように意識を潜らせる。

 高位の存在を引き上げるように…意識を深く、深く…深くっ!!


 そして、数十分…いや数時間という時間の中…ぴくんっと身体が揺れた。


(この、感覚は…っ!!)


 擦り切れていた意識が回復する。

 砂漠の中でオアシスを見つけたように、使い切った体力の…僅かに残った力を振り絞って、わたくしは更に意識を潜らせる。


 遂に来た。遂に来た!遂に来た!!

 悪魔が…現れる予感をひしひしと感じる。

 わたくしは代償の事も忘れて、悪魔を召喚する事に全力を注ぎ込んだ!


 その時、ふと…あの女のことを思い出した。

 いつもわたくしの事を気に掛けていた女。今日も私の前にやってきて話しかけて来たけど…会話は覚えていない。

 そんな、どうでもいい彼女のことを思い出して…フッと笑った。


 あなたのおかげで、わたくしは悪魔を召喚することが出来る。

 ヒントを与えてくれたことに、ほんの少しの感謝を抱いて…そして。


 魔法陣が…強烈な光を放って部屋全体を照らした。

 瞼の闇ですら貫通する閃光が私を包み、思わず両手で目を遮る。

 そして、閃光が薄れて…元の世界の彩りへと戻っていくと、うっすらとした視界に人影が映った。


 ドクンッ!と心臓が跳ねる。

 今、ここに悪魔が存在している!!


 嬉しさで、身体が今にも弾みそうだった。

 お姉様…わたくしはやってみせたわよ!!


 嬉々とした表情で…わたくしは明らかになった視界で、悪魔と対面する。

 果たして、誰もが想像する悪魔のような姿なのか…それとも、人の想像では及ばない姿なのか?

 

 膨らむ想像の中で私は…その悪魔と。

 悪魔…と。


「…はぁ?」


 困惑の声が漏れ出る。

 だって、出るに決まってる。

 その姿には…見覚えがあったから!というより、今日…出会っていたから!!


「なんで、あなたが…ここにいるのよ!!」


 震える声で、そいつに問う。

 そいつは、私が知っている人間だった。

 自らを悪魔と語り、常にわたくしに気に掛けていた…面倒くさい女!!


 名前は笹木ユウ…!!


「どうして…おまえが!!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る