閑話 デート シエル②


 どうして、こんなことになったんだろう?


 深い海に溺れているような、儚く朧げな意識の中で私はことの経緯を考える。

 どうして?と記憶に問いかけるものの、どうしてか頭の中はもやが掛かっているみたいで…曖昧だ。

 まるで、霧に包まれた世界に放り出されているみたいで…私という自我があやふやになっていく。

 

 頭が、ぼうっとする。

 なのに身体は、思考とは真逆に盛っていた。

 飢えた獣のように、生に縋る亡者のように…。荒い息遣いで彼女を強く掴んで、互いに求め合う。


 もう一度、私は思う。

 どうして、こんなことになったんだろう?


 りんごのように赤く熟れた彼女の身体を、跡ができるくるい強く抱きしめながら、深く澱んだ思考で考える。

 けれど、どれどけ探し求めても…答えは導き出されないまま。私は諦めたのか、彼女と軽いキスをした。


 互いの唇が触れ合って、チュッと音が弾ける。すると、風船が割れたみたいな音が脳に走った。

 残りかすの思考が…完全に潰えたのだと本能で察した。


 下腹部に刻まれた淫らな印が、淡く光る。

 それはまるで私達をより深い場所へと連れてっていくように…私達の意識は、溺れるように深い深い水底へと…落ちて行った。



「抱いて、ください」


 羞恥に染まりながらも懇願するシエル。

 あの冷静かつ毅然とした態度は彼方へと消え去り、私の目の前にはぐしゃぐしゃになって求める彼女がいた。


「え、あと…え?」


 思いもしなかった返答に、困惑する。

 一歩後ずさると、理解が追いつかなくなった私の頬に、冷や汗がたらりと垂れた。

 だって、目の前にいる彼女が…とてもシエルだとは思えなかったからだ。


 赤く熟れたシエル。

 特徴的だった白さはそこにはなくて。白を埋め尽くす、赤く火照った身体がやけに目に付いた。

 荒く激しい息遣いは獣のようで、蕩けた瞳は儚くも可愛くて…。

 毅然さが失われた彼女には、なんと例えたらいいのか分からない淫靡さがそこにはあった。


「……し、シエル」

「お願い、ユウ…私もう、だめなの…耐えられないんです…だから、お願い」


 狼狽する私を他所に、シエルは服をたくしあげる。

 真っ白なワンピースから晒されるのは…シエルの下腹部だった。


「あ、それって…」

「あの日…ユウに刻まれてから、私…すごくおかしくなって…んっ!と、とても耐えきれなくて…」


 ハート型で、ピンク色の光を放つ紋章。

 それが、シエルに影響を及ぼしているんだって、すぐに理解出来た。

 けど、その淫らに光る紋章は…あの日に私が刻んだ淫紋だった。


「もしかして…私のせいなの?」


 そう呟いて、シエルの発言にはっとする。

 "あなたが悪いんですよ"

 じゃあ今、シエルがこんな状態になっているのって全部…。


「私が悪いんじゃん…」


 最低だ、私。

 激しい動悸に見舞われているシエルを見つめて、私は自分がしでかした事に後悔する。

 多分、あの日からずっとシエルはこんな状態だったんだ…。なのに私は今日までのうのうと暮らしてたなんてそんなの…!


「ごめん…シエル、私最低だね」


 最低だ私。

 シエルにこんな辛い目に遭わせてたなんて。それも、私が知らぬうちにやってたなんて…。


 後悔に耽って、私は項垂れる。

 許しを乞うように謝ると、そんなことなんてどうでもいいと言わんばかりに、私の身体がゆすられた。


「そんなの…どうでも、いいからぁっ!!」

「へ!?」

「どうでもいいから!早く…抱いて!!」


 苛立った荒声が耳に響く。

 私は何が起きたのか分からなくて放心していると、赤く染まったシエルの顔が大きく近付いた。


 もう一度、唇がぶつかる。

 無理矢理押し付けられてるような、荒々しいキスだった…。

 思わず「んっ…」と嬌声が溢れてから、私はキスから逃げるように口を離した。


「…え、怒ってないの?」

「怒るわけ、ないでしょう!?それに今は、そんなことどうでもいいから…!」


 ど、どうでもいいのぉぉ!?

 荒々しげなシエルに驚愕して、ぽかーんって口が開く。

 いつものシエルからは想像できない、荒々しいその姿に…私はしばし沈黙して、そして。


「じゃ、じゃあ…その」

「せ、責任…きちんと、取ります!!」


 私は自分がやらかした罪を償うと、決意を決めた。



 薄暗い室内で、苦しそうな声が木霊する。

 真っ白で綺麗だったベッドのシーツが、今じゃぐちょぐちょに濡れていて…。その上で私達は、なめくじのように絡み合い…抱き合う私達がいた。


 私は、シエルの熱に浮かされているみたいに。シエル同様、りんごのように体を真っ赤に染めて互いの熱を確かめ合う。

 灼熱に呑まれているような熱なのに、安心してしまうくらい心地良く…。お互いの汗を混じりあわせながら、皮膚と皮膚が重なり合う。


 肌と肌の境界線があやふやになっていく。

 二人の身体が重なり合って、二人が溶けていくような感覚で。自分という個の意識が徐々に薄れていく。

 そうして私達は溶け合っていくんだと…思っていた矢先に、びくんっと身体が大きく跳ねて意識が覚醒する。

 

「シエル…!シエルぅっ…ん、ぁっ!?だめ…それ!おかしくなるっ…からぁっ!!」

「んっ……んぅっ。ふふっ、このままおかしくなってもいいんですよ?」


 妖しく微笑むシエルに思わず、きゅんきゅんと体が疼く。

 そして快楽の波が容赦なく襲い掛かる。

 私はその波から逃げるようにシエルの頭を掴んで押しのけようとするけれど、シエルは食らい付くように離れない。


 ぴちゃぴちゃと水音が響いて、特大の波が私の身体を伝う。

 ビリビリビリビリ〜!って、身体中に電流が走ると視界がチカチカと瞬いた。


「〜〜〜〜〜〜ッ!!?」


 一瞬、世界が真っ白になった。

 私はだらしなくはしたなく、涎を垂らして声にもならない叫び声をあげる。

 そのまま、くたりとベッドの上で寝転ぶと小刻みに呼吸をしながら…シエルを見つめた。


「…シエル、す…すごい」

「はぁ、はぁ……ユウが、えっちなのがいけないんですよ…!」


 真っ赤に染まったシエルは…とても初めてとは思えないくらいで。その性欲の強さは淫魔の私ですら疲れ果ててしまうくらいだ。

 今も、まだまだいけるといった様子で疲れた私に心配の眼差しで見つめてる。


「まだ…いけますよね?」

「…は、はいっ!!」


 ほ、ほんとは限界が近いんだけど…。

 でも、責任はきちんと取ると決意を決めた私が「疲れた」なんて言って突き放して良いはずもない。

 私が返事を返すと、シエルは嬉しそうに微笑んだ。まだまだ遊べるって子供みたいな笑顔を浮かべると、私に抱きついてきた。


「わ、わわわっ!?」

「ふふっ、それでこそ私のご主人様ですね♪」

「ご、ご主人様…?」

「あれ?覚えてないんですか?あの時、私にあれだけのコトをしておいて?」


 どこか懐かしむように笑うと、つんっと私の頬をつつく。

 まるで思い出して欲しいかのように何度もつつかれるけれど、正直…あんまり記憶になくて覚えてない。


 あの時はその、暴走気味だったというか。

 淫魔な私が飛び出たといいますか…なんて言うかその。


「わ、私ってシエルにそんなことしてたんだ…」


 言われて初めて気が付いて、カーッと頬が熱くなる。

 こ、恋人になんて失礼なコトをしでかしてんだ私はぁ!?


「…ほんとに、色々とごめんシエル」

「む、謝らなくてもいいのに…。確かに、定期的に体が疼くようになったとはいえ、それでも私は」


 あなたのこと、好きなんですから。


 天使の微笑みを浮かべて、シエルの裸体が視界いっぱいに広がる。

 好きって直球で言われて、なんだかむず痒くて…私は思わずシエルから視線を逸らした。

 やばい、どうしよう…すっごいドキドキしてる…きゅんきゅんしてる!!


 胸がきゅーーって締め付けられて、とくとくと大きく跳ねて、むず痒くて…心地良くて。

 もう、嬉しい感情全部が入り混じったような、そんなめちゃくちゃな感じだった。

 要するに目を合わせられないくらいやばいってこと!


「…わ、私もシエルのこと好きだよ」


 とりあえず、私も負けじと愛を送る。

 視線を合わせないまま言うのはどうかと思うけれど、こればかりは仕方ないと思って欲しい。


「ふふ、なに恥ずかしがってるんですか」

「だ、だって…すごく嬉しかったから」

「…そういうところ、初心でかわいいです」


 クスクスと微笑むと、シエルは覆い被さるように私を包み込む。

 ふわりと甘い匂いが鼻腔をくすぐると、私は思わずシエルの体にうずくまるように顔を近付けた。


 甘くて優しい匂い…。

 ほっと安心するようで、なんだか母親を連想させる優しさを感じる。


「いい匂い…」

「そうですか?」

「うん、ずっと嗅いでいたいかも」


 すんすんと鼻を近付けて匂いを堪能する。

 それに、甘い匂いと同時に…シエルと一緒にいるとほわほわする。

 優しい微睡の中にいるみたいな安息感が私を包み込んで…私そのものが溶けていくような感覚だった。


「……ずっと浸ってたいかも」

「じゃあ、ずっと私のなかで浸ってますか?」

「…確かに、それもいいかも」


 でも、流石にずっとはどうかと思うと私は先の発言を撤回すると、シエルは残念そうに微笑んだ。

 そして、優しく温かな抱擁の後に…私達はもう一度口付けを交わして、離して…交わしてを繰り返してから、そして。


「じゃあ、続きをしましょうかユウ♡」


 天使は妖しく微笑むと、私達は終わりのない快楽の底へと向かっていくのだった。


(おまけ)もしもずっと浸っていたら。


 優しい匂いがわたしを包む。

 ふわりふわりと蜂蜜よりも甘くて安心する匂いは、わたしの体をぎゅうっと抱いて離さない。

 白く美しい両手に抱きしめられながら、わたしは曖昧な思考の中…うっすらと開いている朧げな瞳で彼女を見ている。


 優しい匂いと同様、お母さんのような優しい笑みを浮かべて…私を抱いてるのはシエル。

 わたしたちは生まれたままの姿のまま、優しい匂いに巻き付かれて眠るのだ。


 曖昧で朧げで儚くて、深海よりも深い…ふかぁい眠りの中でわたしたちは一つになっていく。境界線もあやふやで、まるで絡まり溶け合い混じり合っていくみたいに。


「ねぇしえる」

「なぁに?ユウ」

「きす、してぇ…」


 あかんぼうみたいに両手を広げて、わたしは口づけを求める。

 シエルは優しい声で「いいよ」っていうと、桜色の唇がふわりと私の唇に添えられる。


 やわらかくて、安心する。

 唇はすぐに離れていくと、シエルの優しく微笑む姿だけが映っている。

 その姿に、私もうれしくなって微笑み返す。

 

「しえるのきすは、きもちいい…」


 ふにゃりと子供みたいに頬を緩めて笑うと、シエルも釣られて笑っている。

 ふふふ、あははと優しく笑い合ってわたしたちは…そのまま、ええと…。


 そのまま、曖昧な眠りに誘われて眠ってしまう。快楽すらも通り越した…愛情という海に、意識は次第に溺れていって…そして。

 

 わたしたちは堕ちていった…。

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