21話 会いたかったから


 チカが目を覚ました。


 シエルとキスをして、少しばかりだけど回復した私の元に、ハナから一通のメールが届いた。

 いてもたってもいられなかった。

 まだ疲れが抜け切れてない身体を鞭打って、私はシエルの静止の声を無視して病院へと駆ける。


 チカ、チカ、チカっ!!

 何度も何度も彼女の名前を叫ぶ。

 早くチカを見たかった!今すぐにでも抱きしめて謝りたかった!!

 もし、あの時私も一緒にいたら…!って何度考えたことか!


 謝って、もう一度チカの笑顔が見たい。

 ただ、それだけを胸に、私は走り続ける。



 病院に着くと一目散に受付の方へと走った。

 バンっ!と机を強く叩いて受付の看護師に詰め寄るように顔を寄せて、叫ぶように声を荒げた。


「あの、チカは!」

「ひっ、またあなた!?」

「そんな事より、チカは!!目を覚ましたって…!」


 一歩後ずさる看護師に更に詰め寄るように身体を前へと突き出す。

 半ば恫喝気味になってるけど、今はそれどころじゃなかった。

 今は、早くチカに会いたい。それだけでいっぱいだったから。でも、看護師は少し顔を歪めて申し訳なさそうに言った。


「その、目を覚ましのはいいんだけど、ショックのせいか暴れていてねぇ…手がつけられないの」

「…は?」

「だから今は面会もできないのよ」


 いや、でも目を覚ましたんだから……。

 だから少しだけでもいいから会わせてほしい、そう言おうとした矢先にぐいっと身体を引っ張られた。


「わ、な、なに!?」


 驚きのあまり咄嗟に背後を見る。

 そこには見慣れた白い女の子、シエルの姿だった。

 少し息を切らしているけど、睨むように私を見ていた。


「少しは…冷静になってください!」


 シエルに引っ張られて、人気のないトイレの方へと移動すると、真っ先にシエルから叱責の声が私を襲った。


「気持ちは分かりますが、暴走しちゃダメですよ!」

「で、でも…チカに!」

「会いたい、その気持ちは分かりますけど少しは考えてください」


 はぁ…と小さくため息を吐いて、彼女の人差し指がつんっと私の額を強くつつく。


「今、チカさんは転化しているんですよ。吸血鬼になった人間はまず、急激に変化した身体を維持しようと吸血衝動に襲われるんです」

「さっきの人も言ってましたが、今チカさんは暴れている…それはつまり吸血衝動によって部屋の中で暴れている可能性が高いんです!」


 だから今、部屋に行くのは危険です。

 そう言って私の肩を揺らすシエルに私はハッと冷静になる…。

 けど、シエルの言った「衝動」という言葉を聞いて、脳裏には昨日の怪物の姿がよぎった。


「もしかして、チカも…あんな風になるの?」


 思い出すのは非現実の恐怖。

 ざわざわと嫌な気配が私を包んでくのが分かった。

 身体全体が冷たくなって、あの時の恐怖が蘇ってカチカチと歯が鳴り響く。


「ええ、長期間吸血をしないと怪物に成り果てますね…」

「うそ…」


 淡々と告げるシエル。

 チカがあんな怪物になってしまう…その事実に耐えきれず、私の身体は糸が切れたみたいにその場で崩れ落ちた。


「嘘、そんなの…」

「ですが、それは長期間血を吸わなかったらの場合です。今はまだそのようになることはないと思いますが…」

「いつなるか…分からない?」

「ええ」


 重い空気が私に纏う。

 深い絶望感が私を襲って、足場のない闇の中へと放り込まれた気分だった…。

 けど、そんな私と違ってシエルは冷静で、毅然とした態度で私を見つめてる…。


「……すごいね、シエルは」

「天使ですから」

「………ねぇ、どうにかならないの?」


 シエルの足に縋るように身体を寄せる。

 それは救いを求める人間のように、私は天使の彼女に救いを求める。

 どうか奇跡を起こしてください…そう願ってきゅっとジャージを強く握った。


「そんな顔しないでくださいよ、それに友達のそんな表情は見たくないです」


 だから立ってください。

 シエルに手を引かれて、私は立ち上がると目が合う。

 シエルはクスッと小さく微笑むと。


「友達なんですから、そんな事しなくても助けますよ」

「ほんと、いつもは元気なくせに、弱るととことん弱るんだから…」


 はぁ…と困り顔で溜息を吐いて、握っていた右手がきゅっと強くなる。


「とりあえず、今はチカさんに会いに行ってみましょう」

「うん…」



 渇く、渇く、渇く!!

 

 暗闇に閉ざされた誰もいない病室で、私は異常なまでの渇きに耐えきれず、獣のように暴れ、荒れていた。

 私の身体は変わってしまった。

 どんな暗闇でも昼間のように明るい視界を映す瞳。

 爪は壁に大きな傷痕を残してしまうほど、凶悪なものへと変貌していて、身体は陽の光を少しでも浴びると燃えてしまう異常な体質へと変化していた。


 全てはあの男に襲われてから。

 異常な渇きが私を襲い、求めるように身体が暴れ、のたうち回る…。


 病院の人達はそんな私を恐れて、関わる事をやめた。

 今は陽の光を通さない暗闇に閉ざされた部屋で私は渇きに耐えていた。


「あ、あ"あ"あ"!!!」


 ガリガリガリ。

 床に何度も爪を突き立てる、異音が鳴り響き床には爪痕が出来上がると恐怖のあまりに自己嫌悪で死にたくなる。


 怪物になってしまったみたいだと思った。

 そして、同時にこれは私に対する罰なのだと理解した。


「あ、ぁぁああ!」


 でも、こんな苦しみが罰なんだったら早く私を…。


「ころし…」


 ドンっ。

 言いかけた所で、扉から大きなノック音が鳴り響く。

 突然すぎて、咄嗟に扉の方へと顔を向ける。けど、扉の方は私が机や椅子を使って作ったバリケードによって誰も入れない状況にある。

 けど、急に扉を叩いてくる事なんてこれまでもなかったから扉の方へと釘付けだった。


「チカ…?いるの?」


 扉越しから聞こえるくぐもった声。

 けど、何度も聞いた大好きな声…!


「ユ、ユウ…?」

「チカ?チカなの!?ねぇ、大丈夫なの!?今まですごく心配で…!!そ、それより扉が開かないんだけど!!チカ!?」


 その声は酷く荒れていた。

 心配と焦りが混じっていて、どれだけ私の事を思ってくれていたのかをすぐに理解できた。

 今、ユウが扉の向こうにいる。

 そう思うと身体を支配していた渇きがスッと消えた…。


 すぐに扉の方へと駆け寄って、私も声を張った…けど。


(……今の私を見て、ユウは私をどう思うんだろ)


 部屋には、これでもかと刻まれた爪痕。

 それは私が怪物へと成り果てた証拠で、これを見られて果たしてユウは私の事を…。


 愛してくれるの?


 そう思うと、途端に怖くなった。

 拒絶されるユウの姿に焦りと恐怖が湧き出てくる…。

 やだ、やだ、やだやだやだやだやだ!!

 こんな姿…誰にも、ユウにだけは見られたくない!!!


「…ねぇ、ユウ」

「!?…チカ!」


 声が、喉が、身体が震える。


「これはね、神様が与えた罰なんだと思う」

「は、何言って…」

「私…ユウには会えない、会いたくない」


 もし、この渇きがユウへと向けられるのだとしたら。


「私、それだけは耐えられない…」

「ちょ、何言って…!!チカ?チカ!!」

「ごめんね」


 心臓が張り裂けそうなくらい痛かった。

 好きな人に拒絶されたくないから、私から拒絶した事実に吐きそうだった…。

 なんで、なんで…。


「な"ん"でこんな事になったんだろぉ…」


 ぽと、ぽと。

 雫が落ちる。

 例え身体が化け物になっても…心だけは人間なんだと知って、少し安心した。



「シエル!!離れてて!!!」

「ちょっ、ユウ!今魔法使ったら!!というかここ病院ですよ!?」

「けど!今使わないと、絶対に後悔するからッ!!!」


 扉越しにユウの声が響く。

 何かをするつもりか、それを止めようと知らない声が響くけど、ユウはそれを無視して声を轟かせた。


「ぶっっっ!!!!」


 風も通らない病室で、風が舞う。

 突飛に起きた強風に入院服がバタバタと舞う。

 そして、強風はまるで大砲のような音と共に……。


 バリケードと共に扉が破壊された。


「っっとべぇぇええ!!!」


 扉が…吹き飛ぶ。

 私は呆気に取られて、扉のあった場所をただ凝視していた。

 埃が舞って、けほけほと咳き込む音と共に…。


「な、なんで…ユウ」

「なんでって、会いたかったから」


 大好きな人が、やって来た。

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