19話 怪物


 最上階へと続く階段。

 一歩一歩進むごとに異臭が私の鼻を突いた。

 それは腐った卵なんかとは比べものにならない、よりグロテスクな臭いだった。

 歪む鼻をなんとか抑えながら私は階段を上る。


 その度に恐怖が私を苛んだ。

 この先には吸血鬼の眷属がいる。

 眷属とは己が魔力や血を分け与えた存在、私の場合はチカやハルが例に上がるけど吸血鬼の場合は犬や鳥と言った動物らしい。


 可愛い動物のラインナップに思わず脳内で動物園が繰り広げられるけど、現実はそうはいかない。

 唾液による細胞や遺伝子を組み替える力による凶暴化と凶悪化…もはや原形すら留めないくらいの成長を遂げたのが眷属なのだとか。


「私一人で…倒せるのかな」


 聞いただけでも身震いする。

 しかしシエルは私を見て言った、私の魔力量ならどんな敵でも楽に勝てると。

 そう聞くと少し嬉しくなるけど、怖いものは怖い。だって襲いかかってくるなんて私の日常ではあり得ないから。


 でも、だからといって…。


「怖がってる場合じゃないよね…」


 チカの姿が脳裏に過ぎる。

 今もなお眠る彼女に想いを寄せる…。


「絶対…吸血鬼に一発ぶん殴ってやる!」


 苛む恐怖を払うように、私は握った拳を掲げて叫んでみせる。


「その調子ですよ…」


 その様子を見ていたルシエルは背後でクスリと笑う。

 どうか見ててほしい、私が活躍するその様を!!



 犬。

 犬?

 

 それは犬と言うには巨大で獰猛、凶暴そのものを体現するような…そんな姿だった。

 ライオン並みの体躯に膨れ上がった筋肉、ふしゅるふしゅると今にでも暴れ出しそうに吐息を吐く。

 体毛は黒、瞳は病気と疑うレベルで充血していて最早真っ赤だ…。


 そんなホラーゲームにしか出てこなさそうな吸血鬼の眷属はまだ私達には気付いていない。

 今ならこちらから奇襲を掛ければ勝てる、そう思わせるくらい無防備だったが…私の身体は酷く震えていた。


「……ッ!」


 階段を登っていた時から…酷い異臭が鼻を突いていた。

 私はそれが何か分からないまま登っていた事を後悔する…。


 口元から滴る赤い液体…。

 周辺には撒き散らされた滑らかに光る何か。

 鼻を突く…腐った鉄のような臭い。


 普通、こんな光景見る事なんか有り得ない。でも、現実は確かに私の瞳を焼き付ける…目を逸らすなと吐き気が込み上げる。


「あ、悪魔……」


 ぽつりと呟く。

 異臭の正体は人のモノ、つまりはこの廃墟を根城にしていた不良達のものだろう。

 初めて目の当たりにする人の死に…私の心は耐え切る事は出来ず。


「い、いやっ!いやあああああああ!!」


 叫んだ。

 恐怖のままに、有り得ない現実に、自分が辿るであろう結末に。

 

 喉が焼き切れるほど、大きな金切り声…。

 怪物はピクリと声の方へと反応すると、充血していた赤い瞳が私を捉える。


「ひいっ…」


 びくりと全身が跳ねた。

 次はお前だと言わんばかりの殺意が、恐怖が全身を襲う…。そして。


 だんっ!!

 という強烈な音と共に、怪物は跳躍した。

 ふわりと巨体が宙を舞う、ぎらりと輝く牙が私を喰らおうと大口を開く…。


「あ、うそ…しぬ」


 身体は動かない。

 逃げる猶予があるのに、足は根を張ったように全く動かなかった…。

 そして、牙が喉元を引き裂かんとした瞬間…。


「なにやってるんですか!!」


 緊迫した友達の声と共に手を引かれて、迫っていた怪物からなんとか逃れる。


「し、シエル…」

「さっきまでの威勢はどうしたんですか!」

「だ、だって…人が死んで…私が!!」


 殺されるところだった。

 じわりと浮かぶ涙を拭わずに、迫る恐怖から逃れるようにシエルの身体を抱いた。


「あんなの…きいてない、怖い…死ぬ、殺される!!」

「ユウ……」


 震える私の肩をそっとシエルは抱き寄せる。

 けど、その行動とは裏腹に声は怖いくらい張っていた。


「戦わないんですか?」

「む、むりだよ…こわぃ、こわいよ!!」

「……あなたの決意はその程度だったの?」

「だ、だって…だって……!」


 カタカタと肩が震わせて。

 カチカチと歯が音を鳴らす。

 バクバクと心臓が爆発しそうなくらい恐怖に呑まれた私は救いを求めるようにシエルにぎゅぅと身体を寄せる。


 けど、シエルは恐怖に怯える私を見限るように…目を細めて言った。


「では、依頼は無かったことにします」

「吸血鬼は私一人で追います、そしてこの関係は…」


 今日で終わりです。

 淡々と、事務的に…。

 最初に出会った頃のシエルみたいに冷徹に告げた。


「ぇ…?」


 それって…友達じゃなくなるってこと?


「約束も…なくなるの?」

「ええ、そうですね」


 それは、嫌だ。


「すごく嫌だ…!!」


 友達になれたのに、絶交なんてそんなの絶対に嫌だ…。だから。

 震える足をなんとか立ち上がらせて、シエルの身体を強く抱きしめて、叫んだ。


「…魔法の使い方、おしえて」

「いいですよ」


 微笑むシエル、私は涙を浮かばせながら右手を怪物の方へと向けた。

 そして、お姉さんの家でやったように魔力を放出するイメージを明確に思い出す。


「いいですか、敵意を持ってください。あいつを倒す、殺してやる、ぶっ飛ばしてやる!そう思えば自ずと魔力はユウの思うままに応えてくれます」

「ぶっ、とばす……」


 ぽつりと呟きながら、イメージする。

 それはさながら空気砲…某青い狸の秘密道具を連想させながら、右手から発せられる魔力は形作ってゆく…。


 そして、迫り来る怪物に狙いをすまして…。


「ぶっとべこんにゃろーーーー!!!」


 右手から魔力が発射された。

 それは透明な風の塊、イメージが空気砲だからか塊からは風が吹き抜ける。

 そして、塊は怪物の方へと一直線に発射されると尋常じゃないくらいの風が爆発した。


 ビュゥウウウ!って音と共に、台風みたいな風が私達の身体を攫おうと吹き抜ける。

 なんとか二人して抱き合いながらそれに耐える私達、一方怪物はというと…。


 ぶっ飛べ…という言葉通り、ものすごい勢いで遥か彼方へと飛んでいった。

 

「……は、ははっ」

「やはり、ユウの魔力量はすごいですね」


 賞賛するシエル、私は情緒がおかしくなって笑いが止まらない。

 そんな私を慰めるように、シエルは抱き合っていた力をぎゅっと込める。


「よく頑張りましたね、ユウ」


 優しい声色。

 耳元で囁かれた私は、ぷつんって糸が切れたみたいに…。


「きゅぅ……」


 そのままぶっ倒れた。

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