【5月14日 残業の日】
「川上さん。このメール送って良いって僕言ったけ?」
山本はずり落ちたフチなし眼鏡をあげながら、デスクの傍に呼び寄せた苺依に向かって詰問口調で言う。山本は苺依の一つ上の先輩であった。彼が今回受け持った案件が大型だったので、ヘルプが必要ということになり、苺依が業務を助けているが、暫くこんなやり取りが続いていた。
「あと、ここの資料の説明している文章、僕は分かりずらいと思うんだよ。あと、添付している資料も僕のやつと文字の大きさが違うし、言葉遣いも違う。あと、ネットから拾ったデータ貼り付けたままにしてないよね? それをするとお得意が気づくんだよ」
山本は自分で全てコントロールするタイプの人間だった。仕事熱心と言えば聞こえがいいが、他人を信頼する事ができない裏返しでもあった。
「すみません」と苺依はか細く返した。
「あのさ、僕がなんか悪いこと言ってるようにみえるからさ、そんな縮こまらないでよ。仕事に質を求めてるだけだからさ」
そう言って、席に帰っていった。大きくため息が出そうになるのをギリギリで堪える。以前、それを見られて詰め寄られたこともあったからだ。
ちょっと離れた席で塚本は二人の様子を見ていた。それから帰り支度をして、周りに声をかけながら山本の肩を叩き、耳元でぼそぼそと話かけて行った。それを聞いた山本はあわてて追いかけるように鞄をもって帰宅した。
「じゃあな。川上。先帰るわ。ほどほどにな」
山本を引き連れて帰る塚本は、苺依の傍を通り抜けた際に振り返って、横顔だけ向けてそう言った。
山本がフロアから居なくなるのを見ると、自然と肩に入っていた力が抜けていくのが分かった。やっぱり緊張をしていたんだな、と気づく。
そして、塚本が分かって連れて行ってくれたのか、そうでないのかを思案してしまう。いずれにしても、塚本の声掛けのおかげで気が楽になったのだから、有難いことだと思った。
苺依は珈琲を淹れて一息つく。その香りに助けられて、頭がしゃきっとするのを感じた。そのまま、塚本の方の仕事に取り掛かった。思いついた資料を、もう少し分かりやすくまとめたかったからだ。山本の目があるときにはやりずらい仕事でもあった。さあ、と息を入れて、モニターに向き合う。PCのデジタル時計を見ると21時近くになっていた。
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