【5月15日 近くのあと】

 会社で年次も上がり、仕事で過度の期待とプレッシャーを負うようになったせいか、ここ最近の苺依は苦しそうに寝返りを繰り返し、朝を迎える事が増えた。東京に来た頃に吹聴していた「自分らしい」とは、ほど遠い。そんな薄まゆのような自分を纏いながら、何の為に装っているかさえ、分からないまま仕事をこなしていた。


 無理をしているのかもしれない、と思うようにもなった。


 でも、ふっと手綱を弱めていいのかと言うと、それはしたくないとも思っていた。


「夜は休息の時間。どうか、あなたにとってそうでありますように」


 とその人は酷く悲しそうな顔をしたまま言った。


 スマートフォンのアラームがベットテーブルで鳴る。苺依はそれを気づいてもしばらくベットから動かない。自分の頭に枕をかぶせてそのまま寝具にしがみついた。スヌーズ機能が始まってもしばらくほっておいた。


 ひととき、外で雀の鳴き声が聞こえる。


 苺依は重たい身体を起こして、浄水器の水をコップに注いだ。それから、ベランダに出て外の空気を味わう。そこでコップ半分の水を飲み、残りをストレリチアにあげた。


 どんよりとした雲が空を覆っていた。どこかの部屋のテレビの天気予報が聞き漏れた。


「本日は一日中雨模様です。洗濯は部屋干しか乾燥機をお勧めします」



 ■ ■ ■



「おはよう、川上ぃ。どぉー?」


 間延びした口調で、少しのビブラートがかかった声が苺依の耳に降る。振り向くと塚本が手をあげながら近づいて居た。話し方がフランクな割に小綺麗な格好をしており、身長が高くスタイルが良いので良く似合い、だらし無い印象は無い。眉が太いが、二重の垂れ目の為、可愛く見える時もある。笑う時はクシャッとするので、それがまた可愛い。上司なのにそう思わせるところが合って親近感が沸いていた。


 塚本は、いろんな人に気を遣うタイプであり、その辺がセンスでできてしまう天性の人たらしだった。周りの後輩や営業事務の普段との違いを機敏に感知して、すぐに緩和することを得意とする。その才はお得意先にも通ずるものがあり、自ずと仕事が塚本に集まるようになっていた。苺依も塚本の下で働くプロジェクトがここ最近で急に増えてきていた。


 塚本は仕事を大切にするが、仲間も大事にしている。本人が言うには、皆が良い気分の時の方が仕事に良い効果をもたらすからだと言う。


「塚本さん。お疲れ様です」


 苺依は声を掛けられたのは昨日の仕事の進捗のことだと思い、資料を手元に用意し始める。昨晩、帰る前の時間を使い準備したグラフや写真を整理したものだ。おおよそ、このままお得意に見せても問題ないところまで仕上げている。


「おお、川上。これ、凄いね。なになに?」


 と塚本は喜んで資料を見てくれた。


「ここって、どうしてこの数字になるの?」


「あ、そこですか。今回クライアントが売りたい商品の価格帯で興味を持ちそうなユーザーをセグメントで分けたんです。そしたら…」


「ふむふむ。面白い。気づかなかったな。さすがユーザー目線。川上、良いね」


 資料の根拠と考えた案を噛み砕いて説明すると、塚本は食いついて話を聞いてくれた。力の入れどころに気付いてもらえると素直に嬉しくなる。


「これ、時間かかったんじゃない?」


「いえ、私、塚本さんの仕事がメインですし」


 苺依が照れ隠しでそう答えると、笑っていた塚本はその顔を止めて、


「変な嘘つかなくていいよ」


 と言ってくれた。


 それは、苺依が昨晩遅くまで残っていたことを気遣ってだろうか。


 それとも他の仕事で苺依が上手くいってない事を思ってだろうか。


「川上は俺のお得意のことを深く理解しているんだよなぁ。部長に言って、ヘルプで付いてる山本の仕事は他に回せないか相談してみるよ。あっちも、こっちもしていると質が落ちるぞ、川上」


 塚本は歯を見せて、そう言う。さっきの資料をデータで共有してと言い残し、自分のデスクへ戻った。苺依が実は、山本を苦手としているのを感じ取ってくれているのかもしれない。そう思うと、自然と温かな気持ちが溢れて、ふっと頬が緩んでいた。


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