門番と境界の橋

「驚いたな」


 白い布を巻き付けたような格好をした男は、バスの前に立つリオたちを眺めた後、事もなげにそう言った。一方でリオたちのほうは、驚きのあまり言葉も出なかった。ただまじまじとその男の長身を見つめるばかりだ。

 白い布に埋もれるような男は、顔と手だけを晒していた。その色は褐色。顔は長く、顎先が尖り、目鼻立ちは整っている。リオよりは幾ばくか歳上、しかしまだ若いと言える年頃だ。少なくとも両親よりは歳下に見える。

 その中でひときわ印象的なのが、男の眼だった。太陽と見間違うほどに鮮烈な黄色の輝き。その瞳孔すらも光っているような眼差しの強さに、こちらの目が眩む。リオは知らず気を引き締めた。この男の前ではすべてを暴かれるような気がしてならなかった。


「人間か」


 問いただす声に、リオは反射的に頷いた。言葉は出ず、ただ首を縦に振るのみだ。

 男は三人を順繰りに見回すと、一番年上に見えたからだろうか、リオに視線を戻した。


「誰の子だ?」


 ぽかん、とリオは口を開けて男を見つめる。あまり尋ねられたことのない質問だった。口にして意味があるのか、と思いつつ両親の名を答える。


「サイと……シータ」


 ほう、と男の瞳が細められる。


「彼らの子は男女一人ずつだと聞いた。なら、残りの一人の女は誰の子だ」

「カイだ」


 エカが進み出る。

 男は黒いドレス姿のエカを頭上から爪先までを観察した。しばらく視線を往復させた後に、顎に細長い指を当てた。


「失敗作と聴いたが……よくできている」


 エカの眉根が寄せられた。


「お前は誰だ」

「タウという」


 問い詰めるようなエカの声の鋭い響きにも動じることなく、タウと名乗ったその男は淡々と言葉を返した。


「お前たちの父親とは知り合いでな」

「知り合い……ここを通ったから?」

「そういうことになる」


 リオとアリィは互いの顔を見合わせた。エカに出会ったとき以来の父の足跡。父を追いかけられているという確かな証拠に安堵を覚えるも、素直に喜ぶには、この男の存在はあまりに不穏だった。

 鴉が頭上で鳴き叫ぶ。

 男に対して気後れのようなものをリオは抱いていた。あのすべてを見通しているかのような眩しい眼差しに萎縮している。リオたちも知らない真実を暴き立てられるような気がして、落ち着かなかった。


「貴方は、何故ここに?」


 父と一緒に行かなかったのか、とアリィは問う。


「俺は、いわば門番だ」

「門番?」

「お前たちのような人間を待ち構えていた」


 首を傾げるリオたちに、タウはすっと橋の向こうを指差した。


「この先には、お前たちの知らぬ真実が待ち受けている。それに耐え得るかどうかを、判断してほしい」

「私たちが決めるの?」


 門番というからには、選別しているのかと思ったが。


「他人の判断に委ねるのなら、今すぐに引き返すべきだ」


 なるほど、もっともだ。リオたちは頷いた。

 リオはアリィとエカに視線を送る。アリィの赤い瞳は深い思考に沈み、エカの緑の瞳は関心なさそうに明後日のほうを眺めている。


「少し、時間が欲しい」


 今ここで、覚悟を示すことはできないと思われた。自分自身どう考えているかも分からないし、同行者たちの意志も判らない。相談が必要だとリオは判断した。

 それに。リオは地平に目をやった。太陽が西の丘に差し掛かっている。


「いくらでも」


 タウは無感動に頷き、建物の陰に腰掛けた。そのまま石像のように動かなくなってしまった。




「……フィルターがやられちゃった」


 白い円形の不織布をつまんで、アリィは鼻に皺を寄せた。不織布の表面には、白い結晶――塩が析出していた。


「洗えば使えるかな」

「どうだろ」


 中までやられている可能性が高いので期待はできない、とアリィは言う。

 しょうがない、とアリィは溜息を吐いて、濾過装置を片付けはじめた。フィルターはやられたが、真水は充分に得られた。これで進むにしろ戻るにしろ、当面水の心配はしなくていい。

 釣り上げた魚を抱え、バスごと移動する。水辺は寒いので、来た道を戻り、風を避けてビルの陰で火を起こすことにした。魚を焼いて食べる。それまでの間、碌な会話をしなかった。


「どう思う?」


 魚を食べ尽くし残った串を火に焚べながら、リオは二人に訪ねた。


「どうもなにも、父さんを追うだけじゃない?」


 アリィは迷いなどないとばかりに、あっけらかんと言った。


「悩むことなんてなにもない。私たちは、母さんが居なくなった世界でどう生きていくか、それだけを考えていればいい」


 それが自らに言い聞かせている台詞だということにはすぐに気がついた。大げさに手を広げたアリィの赤い瞳が揺れている。

 自らの不安を気取られたことを察したようで、アリィは途端に意気消沈した。肩が窄まり、背が丸まる。

 その様子見ていたエカは、膝を立てて座した姿勢で眉を顰めた。


「何をこだわる。別に真実などどうでもいいだろう」

「そうだけど……そうかもしれないけれど……」


 アリィは自らの肩を抱いて身を震わせた。リオは一度目を伏せる。兄である所為だろうか、リオにはアリィの心配が解るような気がした。

 自らが、誰かの都合で創られたという恐ろしさ。

 そうした場合にある、自らの存在意義に対する不安。

 ずっと抱えている疑問が解き明かされたことは、未だない。


 もとより自分探しの旅ではなかった。ただ今後の生活を模索するだけの旅だった。アリィが強がったように、そこに悩みが介入する余地はない。ただ自分たちが新しい生活を送るための場所を見つければいいだけの話だった。

 しかし、だからこそ、唐突に提示された命題が、リオたちの心を揺さぶった。

 過去に生きるリノウの存在は、それだけ衝撃的だったのだ。


 は、とエカは笑い飛ばした。


「だからなんだと言うんだ。くだらない。誰の都合だろうが、知ったことか」


 串を一文字に咥えて魚を引き抜くと、串を火の中に放り捨てる。


「私は私だ。どんな都合であれ、こうなった。なら、それを生きるだけだ」


 力強い言葉に、リオの胸が跳ねた。アリィが顔を上げる。

 エカは深い緑の眼差しをリオに向けた。


「お前が言ったことだろう」

「……うん。そうだね」


 少しだけ、心が着地したような気分になる。


「アリィ」


 呼び掛けるが、アリィはまだ膝を抱え、不安そうにリオを見上げた。おにぃ、と縋るように口が動く。


「私は、母さんの期待するようになれているのかな」


 リオは密かに息を呑んだ。つい先日まで母親に不安を覚えていた彼女。その不安が解消されたところで、また密かに新たな不安を生んでいたらしい。

 母を信じると決めた彼女は、母の期待に応えようとしていたのだ。だからこそ割り切れずにいる。

 まるで、父の影を追っていた頃のエカのように。

 リオは逡巡し、先程のエカの言葉を振り返った。心が決まると、穏やかに妹に微笑みかける。


「それこそ知ったことか、だよ」




「心を定めたか」


 翌朝。日が昇ってすぐ。リオたちはタウの前に立った。やはり素知らぬふうのエカと、完全には割り切れずにいるアリィと。だが、どんな心持ちであれ、三人の意志は固まっていた。


「俺たちは行くよ」

「そうか」


 仰々しく引き留めた割に、男の反応は淡白だった。ただ小さく頷いて、橋の先を指し示す。


「この先を渡った後、南東に下るといい。お前たちの父親は、その先に居るはずだ」

「そこに何があるの?」

「それは己の目で見て確かめろ」


 無責任な物言いに、リオは苦笑する。アリィでさえも、口をへの字に曲げていた。行くと決意した後になると、この男の存在が少し滑稽に思えてきた。その程度のことなのだ、と知る。真実もきっと受け止める側の心持ちで変わる。


 バスを走らせる。潮風にさらされているはずなのに、橋の上はアスファルトは少しひび割れている程度で、街中に比べて走りやすかった。大きな振動もなく、するすると海の上を滑るように走る。

 隣の空を鴉が渡っていた。朝の光を浴びた黒い体は、僅かに金色を帯びている。

 白い街並みが遠ざかり、向かいではまた別の白い都市が待ち構えている。


「真実への入口、か」


 タウの言葉を繰り返す。

 カァ、と鴉が一鳴きした。

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