アリィと母
先日の皆既月蝕で、アリィは、自分が不安を抱いていることに気が付いた。その原因を探っていくと、行き当たるのがリノウの存在だ。彼は、アリィたちの中の〝人間の定義〟を大きく揺さぶった。
『観察対象』であるというリノウ。
彼は、誰かの都合で生きている。
あの日からアリィの胸中には、薄く陰が落ちていた。せっかく逢えた
一方で、自らの在り方にも疑問が浮かぶ。
エカは自分の父親に何かを求められ、しかし期待に沿うことができなかったという。
リノウは、自らに課された役割を従順に果たすのが己の存在意義だという。
なら、自分たちは?
リオもアリィも何らかの役割を背負わされて、この世界に産み落とされているのではないか。そんなふうに思ってしまう。
しかし、記憶を浚っても、アリィは両親に何かを言いつけられたことはない。その時その時の細かな指示ではない。自らの人生の命題について言い渡されたことがなかった。
果たしてそれは、〝人間〟として正しいのだろうか。
「アリィ、前」
エカの声で、シャボン玉が弾けるようにアリィは物思いから覚めた。木立を分かつ道を真っ直ぐ行った先に、白い木のようなものが横倒しになっている。アリィは慌ててブレーキを踏む。ピスタチオグリーンのマイクロバスは、その白い木から幾ばくかの距離を残して停車した。
「……ごめん、驚かせた」
後部座席に声をかければ、エカは肩を
アリィはミロに少しだけ微笑みかけてみせると、ドアを開けて外に出た。白い木の近くに寄って、ようやくそれが〝天を支える樹〟の枝であることに気が付いた。
存在を知ってから。実に二回目の
「本当に、あったんだな……」
白い幹の表面を掌で
〝天を支える樹〟のことを、アリィは両親に教わらなかった。何処から入手したのか、過去に関する数多の資料を有しているというのに、その記載はまるでなかった。過去の人間は月にまで到達したらしいが、それは乗り物によるもので、月に至る
何故知らないのだろう、とアリィは考える。
両親が意図的に教えなかったのだろうか、と疑い始めてもいる。
だとしたら、何故隠す。
それとも両親も知らなかったのか。
それは何故。
何故、何故、何故。
「ちょっと休もうか」
リオの声に、アリィは思索の海から浮上した。振り返ると、兄が困ったような微笑を浮かべている。
「アリィ、疲れたでしょう」
「……えっと」
アリィは視線を泳がせた。体力的な疲労はない。が、この頭の中が煮え立ち溶けているような感覚で、まともに自動車を運転できる自信がないのも確かだった。
エンジンをそのまま切り、近くの木の傍に腰を下ろす。道の真ん中で堂々とバスを止めても迷惑にならないのは、この滅びた世界での唯一の利点だった。
空気は涼やかになってきたが、時季的に日差しはまだ強烈。それだけに木陰の心地良さが
リオはアリィから少し離れた木陰に腰を下ろし、頬杖を付いている。何か考えているようだが、実はぼんやりしているだけだとアリィは知っていた。兄は理知的な顔をしていながら、あれで結構単純で、思考活動には向いていない。少なくとも学者には向いていないわね、というのが母の言。
エカは予想通りというか、じっとしていられない性格で、しばらく落ち着かなげに辺りをうろうろしていた。が、ついに我慢の限界が来たのだろう。何か食べ物を探してくる、と木立の向こうに消えていった。物語のお姫様のような見た目の割に、野性的な彼女。苦笑いが浮かぶ。
風が木の葉を鳴らし、通り過ぎた。その行く末を何気なしに眺めていると、知らぬ間に兄が傍に居た。
「どうかした?」
アリィは兄の穏やかな顔を見つめる。彼は思考活動には向いていないが、ある程度の気遣いはできる男だ。他人の心の機微には
膝を抱えたアリィは、何をどう言えばいいのか分からず、足先に視線を落とした。
言葉を探す間、兄は静かに待ってくれている。それがなんだか申し訳なくて、乱雑になるのが分かっていながらアリィは必死で言葉を紡いだ。
「最近、母さんのことが解らなくて」
「……母さんが?」
「あ、母さんだけじゃなくて、父さんもだけど」
だが、母と過ごした時間が長いからか、母のほうにより疑いが向けられていた。
「リノウと会ってさ、あの〝樹〟のことを聴いてから、世界の常識が変わったっていうか――」
リノウの語る過去の世界と母の語る過去の世界がまるで違ったもののように思えて、どっちを信じていいのか判らない。
「確かにリノウの話は驚いたけど……」
リオは戸惑い気味に言葉を返す。兄にとっては大したことではなかったのかもしれない。旅をしていくうちにいずれ真実が分かるだろう、と楽に構えていたのかもしれない。
確かにその程度の受け止め方で良かったのかもしれないが、一度浮かんだ疑問はアリィの頭の片隅に巣食ってなかなか離れてくれなかった。
「でも、それがどうして『母さんが解らない』になるんだ?」
「だって、母さんも父さんも、私たちが生まれるまでどうやって生きてきたか、ちっとも話してくれなかったんだよ?」
他の人間と一緒に居たのか、そもそもそれぞれの家族の存在は? まるで二人とも大地に突然生えてきたかのような存在感に、アリィは戸惑いを覚えている。
「それに、エカとリノウ、二人に逢って思ったんだけど……私たち、ここに生まれた理由ってあるのかな」
ここのところ抱いてきた〝自分たちの存在意義〟についても口にする。人間は役割を背負う生き物なのではないか、自分たちも『観察対象』なのではないか。そのことがずっとアリィの中で引っ掛かっている。
勢いに乗じて不安を吐き出したアリィの言葉を、リオは黙って吟味していた。やがて
「母さんは、アリィを心配してミロを造ったみたいだったよ」
アリィは眉を
「俺たちに何かを背負わせていようと、そうじゃなかろうと、それで充分じゃないか?」
ぽかん、とアリィは口を開けた。悩んでいたのが馬鹿みたいな、単純な結論。あまりのことに呆れ、少し羨ましくもなってしまう。
「……そんな単純で良いのかな」
「良いんじゃないか? 少なくとも、母さんたちが俺たちを育ててくれたことは嘘じゃないんだし、父さんの手紙には、俺たちのことばかり書いてあっただろう?」
ふとそこで、アリィは気付く。アリィに巣食う不安の根幹は、両親と過ごした日々に偽りがあるのではないかという疑惑に基づいたものだった。そこに打算があると知るのが怖かった。
両親が無機質に自分たちのことを見ていたのだと思いたくなかったのだ。
「誰にだって、見えないところはあるものだよ」
「……そうだけど」
「白かろうと黒かろうと、お月様だっただろう?」
両親にどんな側面があろうと、本質に変わりはない。アリィが両親との日々の中に感じたものに偽りはないのだ、とリオは言う。
「そっか。私が母さんを疑っているだけなのか」
アリィは先日の月蝕のときの会話を思い出した。月に影が差したとき、地球にもまた影が差す。同じように、アリィの母に対する見方が変わっただけなのだ。
母が変わったわけではない。
そっか、そうなんだ、と何度も繰り返す妹を見て、リオは腰を上げた。
「もう大丈夫みたいだな」
アリィは少しだけ赤面して、上目遣いで兄に頷く。安心した兄はアリィに微笑みかけ、木立の奥に消えたエカを捜しに行った。
取り残されたアリィは、バスへと戻り、専用の〝席〟で固定されたままだったペンギンのロボットを抱え上げた。
そのままぎゅぅ、と抱きつく。
「……母さんは、母さんか」
なら、自分たちは自分たちのままであって良いのかもしれない。
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