Eclipse
アリィと黒い月
――見る人に 物のあはれをしらすれば
月やこの世の鏡なるらむ
崇徳院(『風雅和歌集』より)――
はじめ、月が何か大きな生き物に食べられているのかと思った。
だが、完全に
今、星明かりだけになった空には、真っ黒に色を変じた満月が浮かんでいる。
「皆既月蝕。……へぇ」
ミロの眼から投影されたホログラムのモニタに書かれた文字を読み上げる。普段はアリィの愛玩にしか見えないこのペンギン型ロボットは、実は多機能を有している。例えば、アリィの運転するバスのナヴィゲートをしたり。もう随分と遠く離れてしまった自宅のデータバンクに接続して、今のように情報を検索したり。
おかげでアリィは家から出た後も、知りたい知識を好きなときに得ることができている。
「ええと、太陽と月の間の直線上に地球の影が入り込んで、地球の影で月から太陽が完全に隠されるとこうなるのか。反対に、月が太陽を完全に遮ることがあって、それを皆既日蝕というんだって」
「へぇ」
「……よく解らん」
アリィは溜め息を吐く。二者二様の反応と見せかけて、二人揃って興味を持っていないのが丸わかり。こういうとき、つまらない、と思う。こういう現象についていろいろと議論してみたいのに、その相手が居ないのだ。
家にいた頃は、母が居た。アリィの考察に耳を傾けてくれ、間違いを指摘したり、新たな知識を授けてくれたりした。もうそういうことはできないのかと思うと、溜め息の一つくらい吐きたくなる。
「ぴ」
モニタの投影を止めたミロが一声鳴く。どうやら寂しさのあまり力強く抱きしめてしまったらしい。ミロは、ぬいぐるみとしては硬いが、ロボットとしては柔らかい。骨格に何を使ったのだろう、とたまに気になる。アリィへのプレゼントだったためか、製造工程は見ていなかった。
知らぬ間に母は、このペンギンを造りあげていた。
自分たち兄妹が生まれるまで、母と父がこの滅びた世界をどう生きてきたのか、アリィは知らない。世界の滅びに立ち合ったわけではないことだけは知っている。しかし昔の話となると、両親は曖昧な答えしか返さなかった。
『何処でお勉強したの?』
と尋ねると、
『そうね。気がついたときにはもう、頭に中に叩き込まれていた感じかしら』
『お父さんとお母さんは何処で出逢ったの?』
と馴れ初めを訊けば、
『私たちはもう、二人で居ることが決まっていたから』
要領の得ない回答を当時それほど気にしていなかったのは、幼かったからか、それとも世界を知らなかったからか。
現在は、何故そんなふうにはぐらかしたのか、疑問に思う。
黒く染まった月をぼーっと見上げる。よく見ると、若干赤い。地球が完全に太陽を覆っているわけではないのだな、と思う。そうであれば輪郭も見えまい。
「うさぎさんも安心だね」
ふと前に聞いた迷信を思い出して溢すと、リオが小さく笑った。
「でもきっとびっくりしているんじゃないか? 月からは、太陽が同じようにほとんど見えなくなっているんだろう?」
「輪っかに見えているかもしれないけれど。……でも、そっか」
ふと、アリィは思い付く。
「月も地球も鏡合わせなんだ」
ここから月が黒っぽく見えているように、月からも地球が真っ黒に見えていることだろう。
「月はこの世の鏡、なんて昔は言ったらしいけど」
母が気紛れに詠んだ昔の美しい歌を思い出す。
「月から見た地球は、どんな風なのかな……」
特に、滅びを迎えたこの世界はどのように見えるのか。
本当に鏡のように見えていれば良いのに、とアリィは思う。そうすれば世界の何処に人間が居るか容易に見つけることができるだろう。もしかしたら父の姿も見えるかもしれない。
月は遠く小さい。映り込むものなど僅かかもしれない。けれど、少なくとも父の手紙を頼りにしただけの手探りの旅よりは、ずっと良い。
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