リオの願い
小麦色のすすきの稲穂は、僅かな明かりを反射しているようで、案外すぐにエカを見つけることができた。ぼう、とほのかに浮かび上がる視界の真ん中で、沈んだ闇のような黒いドレスの裾を広げ、エカは地面にしゃがみ込んでいた。
「どうかした!?」
まさか怪我でも、と慌てて駆け寄ってみるが、当の本人はけろっとした様子でリオの方を振り返り、自分の足下を示した。
目を凝らす。彼女の足の先で、数本のすすきの根本を倒して蹲る、白茶色のけむくじゃら。
「……うさぎ?」
横倒しでひくひく腹を動かしているそれを、覗き込むようにして見る。
「運の悪いことに、走っているときに蹴飛ばした」
それは確かに運が悪い。うさぎが。
憐れみの目で、その小動物を見下ろした。こうも知らない生き物が集まって逃げ出そうとしないあたり、怪我でもしているのかもしれない。
どうしようか、とリオが悩みはじめた横で、エカがうさぎに手を伸ばす。
後ろ足を片手で鷲掴みにして吊し上げた。
「……捌いて、干し肉にでもするか?」
「そ、そんな可哀想なこと……っ」
前足をバタバタさせるうさぎを目にして慌てるリオを、エカは不思議そうに見つめていた。たちまち冷静さを取り戻す。
ならどうするのか。このまま放って置くのか。それこそ可哀想だ。それとも、治療してやるとでも? それは現実的ではない。
まさかこのまま飼うというわけにもいくまいし。
「……どうする?」
逆さ吊りのうさぎを凝視したまま固まるリオに、エカは尋ねる。
「………………そうだね」
だが、今回はとても自分で捻ることはできそうになかった。今回ばかりはエカにお願いする。
昔も今も、狩りならよくしていた。なんなら自分の担当だった。食べるためなら命を奪うことは厭わない。うさぎだって、何度も狩ったことがある。――それなのに。
愚かしく思えるほどに、不運な生き物の命を奪うのに躊躇いを覚えた。あまりに道理のない情動。頭で理解していても、心が沿わない。不協和音に目眩がした。
「お前みたいな奴を、優しいと言うのだろうな」
唐突なエカの発言に、リオは顔を上げる。慰めだろうか。しかし、リオの心中はとても晴れはしない。
「違うよ。たぶん俺は、考えなしなだけなんだ」
自嘲が漏れる。
ふと昔の記憶が思い出された。まだ、両親がいた頃の記憶だ。
「昔、巣から落ちた鳥の雛を拾ったことがあった。地面の上でぴぃぴぃ鳴いていて、親を呼んでいるみたいで、すごく可哀想になった」
幼かったリオは、その小鳥を拾い上げた。そして家に持ち帰り父に助けを求めると、父は困惑した様子を見せ、巣から落ちた雛に触ってはいけない、とリオを諭した。
「飛ぶ練習をしていただけなのかもしれない。親は近くで見守っていたのかも。お前がしたことは、親から子を奪うのと同じだ、って言われた」
だが、そのときのリオは、憤慨した。だったら早く助ければいいのに。自分が連れ去ろうとしているときに、邪魔をすれば良かったのに。幼かったリオは、雛が鳴いていたのを助けを求めているのだと決めつけ、親が自分を恐れて子に近づけなかったのだとは思いもしなかった。
「今はもう慣れたけど、あの後しばらく、鳴き声を無視するのに努力が要ったよ」
誰かが困っているならば、手を差し伸べてあげるべきだ、とリオはずっと思っていた。
見守ることの必要性も、手を差し伸べた先に責任が伴うことも、今なら解る。
責任を果たせないのであれば、それは優しさではないのだ。
「……ていうのは判るんだけど、まだまだ行動が及ばないね」
このうさぎに限って絞められないなんて、都合の良いことを言う自分に苦笑が漏れる。
「良いじゃないか。お前らしい」
通りすがりに笑い混じりに言われて、リオは肩を落とし――腑に落ちた。
なるほど、先程自分はこれと同じことをエカに対してしたわけだ。
自分の嫌なところ、駄目なところを肯定されると、嬉しさや安堵よりも惨めさが先に現れるのだと体感した。
これでは怒りたくもなる。
――けれど。
「エカ」
うさぎをぶら下げてすすきを掻き分けて勇ましく進むエカを呼び止める。振り返った彼女には、怒気の片鱗も見えはしない。もしかすると今は、うさぎを捌くことだけ頭にあったりするのかも、と失礼なことを考える。
「さっきのこと、本当にごめん」
意図はともあれ、傷つけたことには変わりない。軽く頭を下げるリオに、エカの眦が吊り上がった。
「……別に」
素っ気ない返事は、彼女の不機嫌さを示している。
蒸し返してしまったことを内心で詫びつつ、でも、と言葉を付け加えた。
「俺が現在のエカを好きなのは、本当だから」
だから発言の撤回はしない。
怒りと驚きがないまぜになったからだろうか。奇妙な顔をするエカを、リオは真っ直ぐに見つめていた。
「人形でも人間でも、完全でも失敗作でも。カイさんの理想の人間じゃなくて、そうなれなかったエカらしいエカが好きだから」
リオの真摯な想いを聞き届けたエカは、視線を逸し、唇を引き結んだ。不貞腐れた様子が心配になるが、リオはじっと耐えた。
その頬が紅潮していることに、夜闇の中で気付けたかどうか。
「知らん」
逃げるようにそそくさとバスに戻りだしたエカの後ろを、リオはゆっくりと追いかけていった。
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