Even if you make a wish upon a star,

エカの願い

 リノウに逢ってからというもの、物思いをすることが増えた。リオだけではない。アリィも、エカもだ。

 自分たちの在り方について、考えている。


 小さなバスは、山を登り、そして下った。木ばかり生えていた場所がいつの間にか開け、すすき野が広がる場所に出た。

 そこで日暮れを迎えたリオたちは、バスを停め、野営の準備をはじめる。いつか釣った魚の干物を囓って、食事は終わり。水場は見当たらないので身体を清めることもなく、そのまま寝支度に入った。

 外で寝よう、と言ったのは誰だったか。すすき野の縁に毛布を広げ、川の字になって転がる。銀砂を広げた闇空に魅入って、全員が口を閉ざした。暑さが和らいだことで活気づいた虫たちの声だけが耳に届く。

 吸い込まれそうな星空を眺めながら、リオは心許なさを覚えていた。暗い水の中に一人放り込まれたような気分。孤独で、世界の広さばかりを感じて、自分が掻き消えてしまいそうな気さえした。かつて両親と住んでいた小さな家が思い出される。あそこに居たときは感じたことのなかった不安。あの窮屈なガラス瓶の中を出たくないというリノウの気持ちが解るような気がした。


 視界の端を、小さな光が流れていく。

 一瞬、自分の涙と錯覚した。


「なんだ、あれは」


 不躾なエカの声。リオは独りではないことを思い出した。


「流れ星。知らない?」

「はじめて見た。……そうか。星は、落ちるのか」


 思わずリオは笑い声を漏らした。星を天幕にくっついた宝石か何かかと思うような無邪気な発想を、エカがするとは思わなかった。


「流れ星に願い事をすると、叶うっていうよ」

「なんだそれは。馬鹿馬鹿しい」


 今度はエカらしい発言だ。リオの口元が緩む。眉間に皺を寄せて呆れた様子のエカの顔が脳裏に浮かんだ。


「んー、でもさぁ。もし……だよ?」


 躊躇うような、勿体ぶるような喋り方で、アリィは言う。


「もし、願い事が本当に叶うなら……二人は何を願う?」


 普段の通りの明るい口調。けれど、そこに縋るような痛々しさを感じるのは、兄だからだろうか。

 リオは息を潜め、エカの言葉を待つことにした。なんとなくだが、先に答えてはいけないような気がして。

 彼女が素直に問いに応じるか、それとも馬鹿馬鹿しいと再度否定するか。いずれにしても、彼女の望みを言う機会を奪ってはいけないように思った。


「私は……」


 ようやく紡がれたエカの言葉は、石に変じたかのように硬かった。


「……私は、カイの望むような人間になりたい」


 目を瞠ったリオは、息を呑みそうになるのを堪えた。今ここで何か反応しようものなら、エカはきっと感じ取る。驚きを悟らせてはいけない、と自らに言い聞かせ、瞑目することで心を落ち着けた。

 胸の中に水が注がれたかのように、悲しみが身体の中に満ちていく。それがあまりに冷たくて、リオは己の心情を吐露することにした。


「……俺は、現在いまのエカが好きだよ」


 ぶっきらぼうなところはあるが、己の感情に素直で生命力に溢れた彼女を、リオは好ましく思っていた。人形とは思えない。彼女こそ人間らしい。

 ――両親と妹しか知らなかった自分が、人間を定義できるべくもないが、それでも。

 だが。


「……それは、どういう意味だ」


 いつの間にか、エカが身を起こしていた。アリィの身体越しに、緑の眼でこちらを凝視している。その眼差しの暗さに、身体が強張った。


「え……エカ?」

「私が失敗作のままで良いというのか。人間である必要はないと?」

「いや、ちょっと」


 リオは慌てて飛び起きた。発言が曲解されている。どうしてそうなったのか、と頭の中が疑問符でいっぱいになり、思考が空回りする。


「そうじゃなくて」

「親に置き去りにされた私の、いったい何が好ましいというんだ!」


 血を吐くような苦しげな叫びに、リオは絶句した。決して軽んじていたつもりはないが、カイという名の父に置いていかれたエカの心の傷の深さを、強く思い知った。

 何か言わなければ、焦りはあるのだが、こんな時に限って言葉が出てこない。

 そうこうしているうちに、エカは黒いドレスの裾を翻し、すすきの群れの中に飛び込んでしまった。

 伸ばした手が空を切る。

 虚空を掴んだ指先を呆然と眺め、リオは力なく腕を下ろした。


「おにぃは、たまに無神経」


 唯一寝転がったままのアリィは、頭の下で手を組んだ格好で、目を閉じたままでぽつりと言った。

 まるで心当たりのない指摘に、リオの目が彷徨う。


「優しい言葉をかけたつもり?」

「……え」


 リオは口元に手を当てる。自分の気持ちを正直に言ったつもりだった。

 上半身だけを起こし溜め息を吐いたアリィは、残念なものを見るような目を兄に向けた。


「ああいうときにあんな言葉、安っぽい慰めにしか聞こえない」

「そんなつもりは……っ」


 またしても絶句せざるを得なかった。慰めるつもりはなかった。むしろ言葉を選んだつもりだった。エカを否定しない、けれど彼女の間違いを正す言葉を。


「いっそおにぃが考えなしだったら良かったんだろうけどね……」


 アリィは肩を竦め、前髪をガリガリと掻いた。妹に呆れられているのは判ったが、自分の何がいけなかったのかが未だに理解できていない。


「なまじ気を遣うから……」

「……よく解らないよ」


 相次ぐ妹の攻撃に、とうとうリオは萎れた。そんな兄の足を叩き、アリィはすすき野を指差した。


「卑屈になってるだけだと思うから、行ってあげて」


 リオは束の間躊躇った。追いかけたところで、また間違えてしまいそうな気がして。だが、妹の眉が吊り上がったのを見て、兎にも角にも行くだけ行くことにして、すすきを掻き分けて、ゴシックドレスの人形を捜しに向かった。

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