3-3
勤め始めて一週間ほどが経ったが、
「ルルさん。掃除はいいから、あなたちょっとお使いに行ってくださるかしら?」
……と、年上のメイドたちに掃除道具を取り上げられたルルは、重たい包みを持って八番街をうろうろとしていた。今日も例によってルルへの意地悪だ。
出入りの業者が工具を忘れていったらしく、届けてほしいと頼まれたのだが、……包みはやたらと重いし、
「全然たどり着かないんだけど? 本当に八番街?」
この辺りはあまり治安がよくないので、できればさっさと用事を済ませて帰りたい。
「こういう嫌がらせっていったいいつまで続くものかしら。そろそろ
地図を手に
ったらハリエットだ。慌てたような顔をしていた彼女はルルの姿を見つけると、はーっと息を吐き、そして思い出したかのように苦々しい顔を作る。
「あら、ハリエット? どうしたの?」
「やっと見つけた……。あんた、何を言われてここに来たわけ?」
「え? 工具を届けに、
「
「あー……なるほど、道理で変な地図だと思ったわ……」
単に遠くの街まで重い荷物を抱えて行ってこいと言う嫌がらせかと思ったが、相手のほうが少し
「ちなみにその忘れ物も別に急ぎじゃないらしいし」
「工具なんでしょ?」
「工具っていうか、ゴミ?
「どうしてハリエットがわざわざ教えにきてくれたの? 今って、掃除の時間よね?」
ルルはぱちぱち
お仕着せ姿なので非番でもなさそうだし、火急の用でルルを呼び戻しにきたのかと思ったがそういうわけでもなさそうだ。
「あ、……危ないでしょ! 女一人で治安の悪い街を歩くなんて」
「心配してくれたの?」
「別にっ。この間のキャビネットのお礼っていうか、借りを作るのって好きじゃないからよ! それに、
ツンと顔を逸らされたが、ルルと和解してくれる気があるらしい。
他のメイドに
ハリエットからは、何へらへらしてんのよ! と
「早く帰るわよ! あたし、
「オリアン、休みなの?」
「ええ。
仕事をサボっているのが後ろめたいのか、あるいはルルに親切にしていることが気まずいのか、口数が多いハリエットと急ぎ足で街を歩く。
行きはややこしい地図に気を取られて気にしていなかったが、通りを歩くメイド服の少女二人組は少し目立っていた。裏通りを突っ切ったほうが早そうだが、そちらはいかにも不審者がいそうで、女二人で変な道に入る勇気はない。
正面から歩いてきた異国人がルルとハリエットに目を止めた。
「もし、お
「な、なんでしょう……」
いきなり話しかけられる。
小柄な中年男で、
「やあ、きみたちは運がいい。良かったらこのアクセサリー、買わないか? 安くしておくよ」
「え……」
(
とは少し違う。
「今なら一万ガロンだ」と本物の宝石であれば格安の値段を提示されたが、ルルとハリエットは顔を見合わせた後、首を振った。
「あたしたち、急ぎますので」
「ええ、失礼します」
八番街ではこういう押しつけがましいセールストークで商売をするのだろうか。
いかにも
「いいじゃないか、いいとこのお
男はルルの上質なお仕着せから、金を持っていると判断したようだ。
商売人でも
「
「帰してほしけりゃ金を出せ。持ってんだろ? 一万ガロンくらい……」
「
同僚のピンチに、ルルは抱えていた重たい包みを男に向かって投げた。男の
「待ちやがれ!」
「待つわけないでしょ!」
二人の後を男が追いかけてくる。
「な、なんなの? あの人!」
「恐喝? 治安悪すぎない!?」
一対一なら
やがて男は追いかけてこなくなった。
振り返り、安全を
がら、通りの隅で息を整え合う。その二人の背後に男の
「――おい」
「ぎゃあっ!?」
二人は声を上げて抱き合った。追いつかれたのかと思ったのだ。
しかし振り向くとそこにいたのは、まばゆく
ハリエットは安心したのかへなへなと座り込んでしまう。通りにはグランシア家の馬車が
「こんなところで何をしているんだ。……いや、話は馬車の中で聞こう」
乗れ、と指示されたハリエットは慌てふためいていた。
「と、とんでもございません。あたしたち、歩いて帰れますのでっ」
ルルも頷く。
「ええ。お気遣いなく」
「いかにも何かあったと言わんばかりのお前たち二人をこんなところに置いてはおけない。ほら、来い」
やや強引だが、心配そうなジェラルドの顔を見たハリエットは頰をぽっと赤く染めた。
「で、では、あの、お言葉に甘えて」ともじもじしながらも馬車に乗り込んでいる。続こうとしたルルに、扉の前に立っていたジェラルドの「立ち寄ってみて正解だったな」という
(こんな王都の
彼と向かい合うように座らされたルルとハリエットは
「ウィスタリア王国の金貨は価値が高いから、外国人が上質な金欲しさに流れ込んでいるんだ。カネを持っていそうな人間から金貨を巻き上げ、自国に帰って
「……?」
ちょっとよく意味がわからない。
ルルたちは宝石の
ジェラルドはもう少しかみ
「あの男が一万ガロンでお前たちに品物を売ったとする。手に入れたガロン金貨を国に持ち帰れば、この国でいう二万ガロン以上で引き取ってもらえるんだ」
「倍値がつくの? どうして?」
「質のいい金は貴重だ。あの男の出身国であるアーロックの金は
ウィスタリア金貨一枚=アーロック金貨二~三枚分になる。金貨は国外への持ち出しを禁じられているため、国を出ていく前に換金させられるのだが、どうにか隠して出国し、大金と引き
「そんなことばかりされたら、この国から金貨がなくなっちゃうわね」
「……そう。金貨の枚数が
「?」
誰に聞かせるわけでもなく、ジェラルドは疲れたように呟いた。
ちらりと隣のハリエットを見ると、口を
(いや、この目は聞いてないわね)
金貨のトレード事情など
では「あーんジェラルド様
「――それで? ルルはあんなところで何をしていたんだ?」
「え、えーっと、おつかい?」
「ほう。なんの? 掃除の手伝いをしているとは報告を受けているが、屋敷を出ていたとは知らなかった。それから、お前も家政女中だな。仕事の時間に二人して屋敷の外をふらふらしているとは何事だ?」
ギクッと身をこわばらせたハリエットは青くなる。
仕事をサボったことを
「お許しください、ジェラルド様! お姉さま方がルルに雑用を頼んでいて……。この辺りは治安が悪いから、あたし、心配で追いかけてきたんです!」
「そうなのか、ルル?」
「え、ええまあ、……そうです」
「そうか、ここのところ疲れていると思っていたが、
手を
恋人に向けるような優しい
(ちょっと! ハリエットもいるのにやめてよ!)
こんなところでベタベタ引っつかれたら、また誤解を与えてしまう。
「おおおお気遣いは不要ですのでっ」
「そんなことを言うな。
「手を打つっていったい……、いや、わたしは平気ですからご心配なく!」
これ以上、変な噂になるようなことはしないでほしいと視線で訴えてみるがジェラルドはしれっとした顔でルルを見つめて微笑んでいる。
そんなジェラルドの甘い様子をハリエットは
*****
その日の夜、ジェラルドが現れたのは使用人用の食堂だった。
気にしなくていいと周囲を押しとどめたジェラルドは、一人で座っているルルの横にやってきた。突然の
「こんなところに何しにき――たんですか?」
「お前が心配で様子を見にきたんだ。悪いか?」
ジェラルドは身をかがめるとルルの額に自分の額をこつんと当てた。
いきなり迫られてルルは
「……あんな治安の悪い区域を歩いているところを
静まり返っている食堂にジェラルドの甘い
何人かのメイドはジェラルドの言葉に身を
だが、大半は
「ちょっと、ねえ、なんのつもり!? ますます働きにくくなるんだけどっ」
主人が一メイドに入れあげているだなんて大問題だ。
だがジェラルドは構わず
「本当はお前に仕事なんてさせたくない。――どうして俺の求婚を受けてくれないんだ?」
こ、い、つ!!
なんでこの場でそんなことを言い出すのか。
使用人たちは全員驚いている。
当たり前だ。しかも
ともっともらしい返答をしてしまう。
その答えを聞いたジェラルドは切なそうに
「……六年前、没落寸前だった俺にとってお前の明るさは希望だった。誰からも見向きもされなかった俺を、お前だけが見つけてくれたんだ」
ルルの手を取り、指先に口づける。
(ちょっとなんのつもり!?)
いかにも演技していますといった情感たっぷりの視線。
ルルには
ここまでくるとルルにもジェラルドの目的が読めた。
――お気に入りのメイドは子どもの頃に
ルルは身分差を理由に求婚を断った奥ゆかしい女で、ジェラルドを
「どういうこと? ジェラルド様の
「子どもの頃、あの子がジェラルド様をお支えしたってこと?」
「やだ。そんなに昔から
(合っているようで
単にルルをいじめた者を
「ですから……、わたし、あなたのことが嫌いで――」
皆の前で「嫌い」という表現はまずいか?
「えー……ジェラルド様にふさわしくありませんので」
「ふさわしいかふさわしくないかは俺が決める」
「わたし、働いていたいので」
「だから仕事を与えたんだろう? もっとも、俺が頼んだ仕事以外のこともお前はしているようだが――……」
何人かのメイドがぎくりと肩を竦ませ、
と満足したらしい。
ルルの耳元で
「…………これで、働きやすくなっただろう?」
ルルが求婚を突っぱねようが頷こうが使用人たちに受け入れられるように、
怒りに打ち
「すまない、
この状況でこの場に取り残されるわたしの気持ち、わかる!?
借金はまだたっぷり残っている。ジェラルドご
一刻も早く辞めてやる! そのためにはメイド業と気まぐれなボーナスの指示をこなしているだけじゃだめだと考えを改める……。
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