3-2
「どうした。元気がないな」
部屋のテーブルに軽食を並べるルルにジェラルドが声をかけた。夕食は部屋で簡単に済ませたいと言われたので、給仕メイドらしくせっせとテーブルセッティングをする。
ジェラルドは部屋で食事をとることが多い。
ルルを呼び寄せる口実……も
そろそろ社交シーズン。地方にいる貴族たちが王都に集まりだす時期だからだろう。今も
「べ、別になんともありません。それより、お食事の準備ができましたのでどうぞ」
「ああ」
執務机から立ち上がったジェラルドは少ししょぼくれているルルの顔を見た。
「俺の良さに気づいて結婚を断ったのを
「そんなわけないでしょ!」
「冗談だ。それだけ
そう言ってぽんと頭に手を乗せられた。
「……え、ええ」
体力的にはどうということはないが、同僚たちからの嫌がらせで精神的にじわじわと疲れが
(……いや、
気を
(げっ)
ジェラルドはきょとんとした顔でルルを見ている。
うわやだものすごく
実は仕事を押しつけられたせいで昼食に間に合わず、食事をとり
「なんだ。腹が減っているのか?」
「失礼しました。お気になさらないでください」
「使用人の食事までまだ時間があるのか。……
「
「いいから
ローテーブルの前のソファに座ったジェラルドから、フォークに
ルルは
恥ずかしい空腹音を出した
「どうだ?」
「おいひいです……」
トマトソースで
「ほら」
「も、もういいです……」
ジェラルドの食べる分がなくなってしまう。
「いいから食べろ」
「いや、じゃあせめて自分で」
「だめだ。俺は今、この時間を楽しんでいる」
楽しんでいるの!?
口に入れられたロールパンにはレーズンが巻き込まれており、
「お、お茶!
いつまでも続きそうな「あーん攻撃」から逃げるため、ルルは勢いよく立ち上がる。
酒ではなくお茶が飲みたいとジェラルドから事前に命じられていたのだ。カップを温め、茶葉を準備し、砂時計できっかり
メイド長から
そのお茶を一口飲んだジェラルドが「
「練習したのか?」
「え、ええ。一応」
「初日よりも格段に美味くなっているぞ」
上達しているとはいえベテランのメイドが淹れたお茶の方が千倍美味しいはずなのに。
「あ……ありがとうございます……」
「なんだかんだ言いつつお前は真面目だな。金だけ
「当たり前でしょ。
「まだまだ借金返済までは遠いんだ。無理はするなよ」
ゆったりとティーカップを
振りまわされてばかりだが、雇い
改めて考えてみれば彼はルルよりも年上で、なんだか今日は年上らしい余裕を感じられた。ほわっと心が
ジェラルドもこちらを優しく見つめ返してきた。
なんだかいい
「――って、
我に返る。
「危うくとはなんだ。
「いや、そもそもわたしが疲れているのはあんたのせいだからね!? あんたが人前でキスなんかしたから!」
そのせいでメイドたちから誤解を受け、責められているのだというと、悪びれない態度で「仕方がないだろう」と言われた。
「お前が
「つい!? と、とにかく、ああいうのはやめてくれない?」
「なるほど、つまり二人きりならいいということだな。ちょっともう一度ここに座れ」
「嫌よっ。何する気!?」
「まだ一度もボーナスを手に入れてないだろ。早く辞められるように協力してやる。俺を
そもそも、ジェラルドにからかわれることを込みで日給三万という高い給料が発生しているのだ。
ルルがジェラルドの行動に文句をつけられる立場じゃないし、こうしてボーナスのサービスがあるなら、
「…………」
渋々ソファに
「最初の
「そんなわけない! やるわよ、やればいいんでしょ!」
売り言葉に買い言葉。
くっと
「え、えーと、あなたの綺麗な瞳に見つめられると、わたしの心は熱く燃え上がり」
「それは少し前に
「態度って」
「こんなふうに」
「ぎゃーちょっと無理無理無理」
寄ってきたジェラルドを押し返してしまう。
酒の席での
「色気のない声を出すな。俺に迫られてもなんとも思わないと言っていたくせに……」
「な、なんともないわよ!? これは不意打ちで
「赤くなっているのはときめいているわけではないと」
「そうよ! これは……、
早く機嫌を取るようなことを言って解放してもらおう。そう思うのに、なぜか意識して
しまって何も言葉が出てこない。
「あ、明日っ! 明日再
結局、部屋から逃げ出してしまう。
こんなことでは本当にいつまで経っても借金は減らない。
人前でのいちゃいちゃも嫌、二人きりで迫られてもダメ。そろそろ、お前は借金を返す気があるのかと言われてしまいそうだとルルは頭を抱えてしまう。
*****
だ」と笑ってしまう。片付けるためにこの部屋に戻ってこないといけないのに、敵前
楽しい空気を変えるように、冷静なノックの音が響く。
「――ジェラルド様、よろしいですか?」
「ああ、アンソニーか。入れ」
ルルと
「例の件を調べさせましたが、やはり
「そうか。とすると、やはり王都にいる人間が
「発見された場所も様々です。貴婦人
まだ
ジェラルドがシーズンに
……六年前。
母はどうにか立て直せないかと
社交界からも遠ざかっていたため、ジェラルドは投げやりな気持ちで
どうせ没落するんだから、貴族の学校に行っても学費が
身分を
隠し子ではなく実子なのだが、金目当てに「念のため」
大泣きされた挙句にある事ない事言い触らされた。
かえって人付き合いをしなくてよくなったと思っていた時にジェラルドの手を取ったのは、年下の女子生徒だった。
『はじめて会った時に
こいつもどこかからジェラルドの噂を
『こんなことくらいで俺が絆されると思うなよ』
友人なんて必要としていなかったジェラルドはそれでルルを
『ふっ……ざけんじゃないわよ! あんた、何様よ!?』
――まさか
女ならビンタとかだろうが。というかそもそも男に手を上げるなよ。
怒りのままに行動しましたと言わんばかりの向こう見ずな行動と、『下心で近寄ってくる人間なんか
まっすぐすぎる言葉に目が覚めたような気持ちになった。
こいつはなんで顔見知り程度の俺に説教なんかかましているんだ。
ジェラルドが金持ちだろうが
俺がやんごとなき家の人間だったらどうするつもりなんだ。――多分、何も考えていないんだろうな。「言ってやったぞ!」と言わんばかりの表情を見ていると、
かわいいな、と思った。
なんのしがらみもなく、自分の気持ちに正直に生きている姿はジェラルドにとってただただ
庶民としてこの学校で生きていくのも悪くはないかもしれない。この年下の少女をからかいながらの学園生活というのも捨てがたかったが、言われっぱなしというのも
俺が侯爵家の人間だったと知ったら、この少女はいったいどんな反応をするのだろう。
こんなところで明かしてやるつもりはない。どうせなら――そうだ、こんなところでくすぶっていないで、本来の地位と
正体を知ったら、
(変わらないでほしい)
どうかまっすぐな性格はそのままで。キスをしたジェラルドは心の中で不敵に笑う。
(俺にこんな思いを
落ちぶれた生活のせいで
――その勢いのまま、ジェラルドは退学を決意した。
当時、立太子の
『俺を使ってもらえませんか?』と。
父のように
グランシア侯爵家を立て直すための助力をしてもらう代わりに、ジェラルドは現状以上の地位も名誉も求めず、セオドアの犬として働くことを約束したのだ……。
「――以上の件はセオドア様にも報告を上げています」
そう締めくくったアンソニーはセオドアからの『借り物』だ。
「……それと、これは私見ですが気になることが」
「なんだ」
「
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