3-2


「どうした。元気がないな」


 部屋のテーブルに軽食を並べるルルにジェラルドが声をかけた。夕食は部屋で簡単に済ませたいと言われたので、給仕メイドらしくせっせとテーブルセッティングをする。

 ジェラルドは部屋で食事をとることが多い。

 ルルを呼び寄せる口実……もとうぜんあるだろうが、ずいぶんいそがしそうだ。

 そろそろ社交シーズン。地方にいる貴族たちが王都に集まりだす時期だからだろう。今もしつ机で書類に目を通していた。


「べ、別になんともありません。それより、お食事の準備ができましたのでどうぞ」

「ああ」


 執務机から立ち上がったジェラルドは少ししょぼくれているルルの顔を見た。


「俺の良さに気づいて結婚を断ったのをやんでいるのか?」

「そんなわけないでしょ!」

「冗談だ。それだけせいがいいなら大丈夫だと思うが、つかれているのなら無理はするなよ」


 そう言ってぽんと頭に手を乗せられた。


「……え、ええ」


 体力的にはどうということはないが、同僚たちからの嫌がらせで精神的にじわじわと疲れがまっていた。嫌いな相手に体調を案じられてしまい、少し気がゆるんでしまう。


(……いや、まどわされるなわたし)


 気をめ直す。しかし、その直後、ルルの腹からは空腹をうったえる音がぐう~~~とひびいた。


(げっ)


 ジェラルドはきょとんとした顔でルルを見ている。

 うわやだものすごくずかしい上に格好悪い!

 実は仕事を押しつけられたせいで昼食に間に合わず、食事をとりそこねていたのだ。としごろの娘とは思えぬかいじゅうのような音を出してしまったことに、かーっとほおが赤らむ。


「なんだ。腹が減っているのか?」

「失礼しました。お気になさらないでください」

「使用人の食事までまだ時間があるのか。……いっしょに食べるか?」

えんりょします。ジェラルド様の食事ですから」


 まして言った直後に再び腹が鳴った。全く格好がつかない。


「いいからとなりに座れ。……ほら」


 ローテーブルの前のソファに座ったジェラルドから、フォークにさったミートボールを差し出される。きょしたら「座れ。命令」。しぶしぶ受け取ろうとすると、「口を開けろ」。

 ルルはていこうしたが、命令だと言われれば逆らえなかった。

 恥ずかしい空腹音を出したばつとしてあーんのけいに処されるらしい。なぜかジェラルドから食べさせてもらう羽目になる。


「どうだ?」

「おいひいです……」


 トマトソースでまれた肉に、さっぱりとしたヨーグルトソースが合う。軽食をしょもうしたジェラルドのために胃もたれしないような味付けがされており、料理人たちの気遣いを感じた。

 げんをよくしたジェラルドはパンをちぎってルルの口元に持ってくる。



「ほら」

「も、もういいです……」


 ジェラルドの食べる分がなくなってしまう。


「いいから食べろ」

「いや、じゃあせめて自分で」

「だめだ。俺は今、この時間を楽しんでいる」


 楽しんでいるの!?

 口に入れられたロールパンにはレーズンが巻き込まれており、むとカルダモンの香りが鼻に抜けた。手がんでいて美味おいしい。そんなルルの表情を見てジェラルドは満足そうに笑った。……えさやりでもしている感覚なんだろうか。


「お、お茶! れますね!」


 いつまでも続きそうな「あーん攻撃」から逃げるため、ルルは勢いよく立ち上がる。

 酒ではなくお茶が飲みたいとジェラルドから事前に命じられていたのだ。カップを温め、茶葉を準備し、砂時計できっかりらし時間まで計る。

 メイド長からてっていてきにしごかれたお茶の淹れ方だ。注ぎ口から最後の一滴ゴールデンドロップが落ちるまで真剣に見届けた。

 そのお茶を一口飲んだジェラルドが「美味うまい」と言う。


「練習したのか?」

「え、ええ。一応」

「初日よりも格段に美味くなっているぞ」


 上達しているとはいえベテランのメイドが淹れたお茶の方が千倍美味しいはずなのに。


「あ……ありがとうございます……」


 がんった努力をめられているようで不覚にもちょっとぐっと来てしまう。


「なんだかんだ言いつつお前は真面目だな。金だけもらって適当にやらないところがお前らしい」

「当たり前でしょ。やとってもらってる身なんだから給料分の働きはちゃんとします」

「まだまだ借金返済までは遠いんだ。無理はするなよ」


 ゆったりとティーカップをかたむけるジェラルドから、真っ当なやさしい言葉をかけられる。

 振りまわされてばかりだが、雇いぬしとしては優しいところもあるのかもしれない。

 改めて考えてみれば彼はルルよりも年上で、なんだか今日は年上らしい余裕を感じられた。ほわっと心がなごみ、「ありがと」とはにかんでしまう。

 ジェラルドもこちらを優しく見つめ返してきた。

 なんだかいいふんになり、ルルはどきっとしたものの――……


「――って、あやうくほだされるところだったわ!」


 我に返る。


「危うくとはなんだ。なおに俺に甘やかされておけよ」

「いや、そもそもわたしが疲れているのはあんたのせいだからね!? あんたが人前でキスなんかしたから!」


 そのせいでメイドたちから誤解を受け、責められているのだというと、悪びれない態度で「仕方がないだろう」と言われた。


「お前がむかえてくれたのが嬉しかったんだ。だからつい、手を出してしまった」

「つい!? と、とにかく、ああいうのはやめてくれない?」

「なるほど、つまり二人きりならいいということだな。ちょっともう一度ここに座れ」

「嫌よっ。何する気!?」

「まだ一度もボーナスを手に入れてないだろ。早く辞められるように協力してやる。俺をゆうわくするような甘い言葉を言えたら金を出してやるぞ」


 そもそも、ジェラルドにからかわれることを込みで日給三万という高い給料が発生しているのだ。

 ルルがジェラルドの行動に文句をつけられる立場じゃないし、こうしてボーナスのサービスがあるなら、まんして、積極的に受けなくては……。


「…………」


 渋々ソファにこしかけ直したルルにジェラルドは笑う。


「最初のころの威勢はどこへ行った? まあ、れんあいめんえきのないお前にはハードルの高すぎる命令だな。こんな簡単なこともできないとは、借金返済はいつになることやら。それとも、わざとらしているつもりなのか……」

「そんなわけない! やるわよ、やればいいんでしょ!」


 売り言葉に買い言葉。

 くっとあごを上げて強気に言い返すルルに、ジェラルドはさあどうぞと言わんばかりの意地の悪い顔をした。むかつく。見てなさいよ、あんたがボーナスのおおばんいをしたくなるような甘いセリフをろうしてやるわよ。


「え、えーと、あなたの綺麗な瞳に見つめられると、わたしの心は熱く燃え上がり」

「それは少し前にはや行った歌の歌詞だな。ちゃんと自分で考えろ。できないなら別に態度で示してくれても構わないが」

「態度って」

「こんなふうに」


 かたかれてせまられたルルはさけんだ。


「ぎゃーちょっと無理無理無理」


 寄ってきたジェラルドを押し返してしまう。

 酒の席でのぱらいを押しのけるかのごとき対応をしたルルに、ジェラルドはあきがおだ。


「色気のない声を出すな。俺に迫られてもなんとも思わないと言っていたくせに……」

「な、なんともないわよ!? これは不意打ちでどうようしているだけで」

「赤くなっているのはときめいているわけではないと」

「そうよ! これは……、いかりで赤くなっているのよっ!」


 早く機嫌を取るようなことを言って解放してもらおう。そう思うのに、なぜか意識して

しまって何も言葉が出てこない。


「あ、明日っ! 明日再ちょうせんしますっ!」


 結局、部屋から逃げ出してしまう。

 こんなことでは本当にいつまで経っても借金は減らない。

 人前でのいちゃいちゃも嫌、二人きりで迫られてもダメ。そろそろ、お前は借金を返す気があるのかと言われてしまいそうだとルルは頭を抱えてしまう。




*****




 おおあわてで部屋を飛び出したルルを見送ったジェラルドは「食器はどうするつもりなん

だ」と笑ってしまう。片付けるためにこの部屋に戻ってこないといけないのに、敵前とうぼうするなんて馬鹿なやつ。すごすご戻ってきたところをからかってやってもいいが、度をしすぎて嫌われたら元も子もないので、これでも手加減はしてやっているつもりだった。

 楽しい空気を変えるように、冷静なノックの音が響く。


「――ジェラルド様、よろしいですか?」

「ああ、アンソニーか。入れ」


 ルルとわりで入ってきた従者は食べ終わった食器をちらりと見て、手短に済ませますと言った。ルルが戻ってくる時間を計算しているのだろう。


「例の件を調べさせましたが、やはりにせがねが出回っているのは王都きんこうに限られた話のようです。地方では見つかっていません」

「そうか。とすると、やはり王都にいる人間がにせのガロン金貨をばらまいているのか」

「発見された場所も様々です。貴婦人ようたしこうすい店やそうしょく品の店だけなら貴族のかんを疑いますが、下町の肉屋や定食屋でも見つかっています。流通区画もしぼり込めませんので、王都全域に流通しているととらえるべきでしょう」


 まだおおやけにされていないが、今、王都では偽のガロン金貨が出回っていた。

 ジェラルドがシーズンにさきけて王都にたいざいしているのは、数年ぶりに社交の場に出ることになるための準備というのが表向きの理由。そして、この贋金事件について調べるように王太子セオドアから命じられているからでもある。



 ……六年前。ぼつらく寸前だった侯爵家のことをジェラルドは内心で見限っていた。

 母はどうにか立て直せないかとほんそうしていたが、父は愛人にうつつを抜かす始末。

 社交界からも遠ざかっていたため、ジェラルドは投げやりな気持ちでしょみん校に入学した

 どうせ没落するんだから、貴族の学校に行っても学費がだと思っていたのだ。

 身分をして入学した学校では一庶民として振る舞っていたが――目立つ銀の髪と自分の容姿から、グランシア侯爵の隠し子ではないかとうわさされた時期があった。

 隠し子ではなく実子なのだが、金目当てに「念のため」っておこうというやからはこてんぱんにしてやったし、容姿にかれて寄ってくる女子生徒にも暴言をいてやったら

大泣きされた挙句にある事ない事言い触らされた。

 かえって人付き合いをしなくてよくなったと思っていた時にジェラルドの手を取ったのは、年下の女子生徒だった。


『はじめて会った時にあなたのことを何も知らずに、、、、、、、、、、、、、、いきなりいじめっ子だって決めつけてしまっていたから、……失礼だったかなって。謝りたいと思っていたの』


 のちにルル・エインワーズと名乗った少女がそう口にした時、ジェラルドは「ああ、こいつもか」と思った。

 こいつもどこかからジェラルドの噂をぎつけ、機嫌を取りにきたのか。


『こんなことくらいで俺が絆されると思うなよ』


 友人なんて必要としていなかったジェラルドはそれでルルをはらったつもりだったのだが。


『ふっ……ざけんじゃないわよ! あんた、何様よ!?』


 ――まさかきを食らうなんて思わなかった。

 女ならビンタとかだろうが。というかそもそも男に手を上げるなよ。

 怒りのままに行動しましたと言わんばかりの向こう見ずな行動と、『下心で近寄ってくる人間なんからせるくらい、あんたがりょく的な人になればいいのよ』


 まっすぐすぎる言葉に目が覚めたような気持ちになった。

 こいつはなんで顔見知り程度の俺に説教なんかかましているんだ。

 ジェラルドが金持ちだろうがびんぼうだろうが知ったこっちゃないと言っていたが、本当に

俺がやんごとなき家の人間だったらどうするつもりなんだ。――多分、何も考えていないんだろうな。「言ってやったぞ!」と言わんばかりの表情を見ていると、かたくなだった自分が馬鹿馬鹿しくなって笑えてきた。

 かわいいな、と思った。


 なんのしがらみもなく、自分の気持ちに正直に生きている姿はジェラルドにとってただただまぶしかったのだ。

 庶民としてこの学校で生きていくのも悪くはないかもしれない。この年下の少女をからかいながらの学園生活というのも捨てがたかったが、言われっぱなしというのもしゃくさわる。

 俺が侯爵家の人間だったと知ったら、この少女はいったいどんな反応をするのだろう。

 こんなところで明かしてやるつもりはない。どうせなら――そうだ、こんなところでくすぶっていないで、本来の地位とめいを取り戻した状態で目の前に現れてやる。

 正体を知ったら、びたり、態度を改めたりするんだろうか。


(変わらないでほしい)


 どうかまっすぐな性格はそのままで。キスをしたジェラルドは心の中で不敵に笑う。


(俺にこんな思いをいだかせた責任はとれよ)


 落ちぶれた生活のせいですさんでいた心は、ルルにあおられたことで再び熱を取り戻した。

 ――その勢いのまま、ジェラルドは退学を決意した。

 当時、立太子のひかえていた第一王子セオドアに自分を売り込むことにしたのだ。


『俺を使ってもらえませんか?』と。


 父のように自棄やけになるのでも、母のように領地を走り回るだけでもなく、ジェラルドは自分にできることをさくした。そして、使い勝手のいいこまを探していたセオドアとジェラルドの利害がいっした結果だった。

 グランシア侯爵家を立て直すための助力をしてもらう代わりに、ジェラルドは現状以上の地位も名誉も求めず、セオドアの犬として働くことを約束したのだ……。


「――以上の件はセオドア様にも報告を上げています」


 そう締めくくったアンソニーはセオドアからの『借り物』だ。

 たんたんと報告書を読み上げるアンソニーの真のあるじはセオドアであり、主の目的のためにジェラルドに従っているだけの男は、ジェラルドがルルを囲うと決めても別段おどろきも止めもしなかった。

 ゆうしゅうな男だが、ジェラルドはアンソニーから主人として認められているわけではない。

 くうな主従関係をたまにむなしく思いながらもジェラルドは報告にうなずいた。


「……それと、これは私見ですが気になることが」

「なんだ」

しんな輩が八番街にしゅつぼつしてるようだと報告が上がっています。外国人がガロンこうねらったスリやきょうかつを行っているそうです。……調べますか?」


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