3章 新米メイドの受難

3-1


 セオドア・C・ウィスタリア。

 それはウィスタリア王国の王太子であり、パーフェクトプリンスと名高い人物の名前だ。

 二十三歳にしては細身でがらな体格だが、くりくりとした大きなひとみに、甘いはちみつ色のかみは周囲に親しみやすさをあたえるのに一役買っている。権力者特有のえらぶった態度はいっさいとらず、博識で、会話もウィットに富み、何かと口やかましいじゅうちんの老貴族たちからも一目置かれていた。

 貴婦人の間では地上にりた天使のようだとめたたえる者もいるらしい。


「聞いたよ、ジェラルド。はつこいの女の子とメイドさんごっこをして遊んでいるんだって? ずいぶん楽しそうだね」


 ――ジェラルドの前ではあくだが。

 王城に呼び出され、セオドアの向かいに座るジェラルドは顔をしかめた。そんな態度をとってもセオドアはしれっとした態度だ。


「おかしいな~? 初恋の女の子にきゅうこんしに行くって言ってなかったかな~? 僕の聞きちがいだったかな~」

「いいや、聞き間違いじゃない。俺は今、初恋の女とメイドごっこをして遊んでるんだ。最高に楽しい」

だいじょう? 強がりも度をすと痛々しいよ」

「うるさい」


 スンとした顔でづかわれたが、そもそもそちらがった話題だろうが。

 ジェラルドだってまさかルルに断られるとは思わなかったのだ。すんなり大喜びでりょうしょうするまではいかずとも、まどいとためら躇い交じりに再会を喜んでくれると思っていたのに、「だいきらいなやつけっこんしたくない」ときたものだ。


(そんなに何年も根に持つほど俺とのキスがいやだったのか?)


 そりゃ、許可なく手を出したのは悪かったと思うが、しんけんにジェラルドを案じてくれる

姿がわいいと思ったからしたのだ。何が悪い。


「あいつはごうじょうな性格なんだ。おこっているのはかくしで、どうせそのうち折れる」

「うわー。強気だねー。あまりごういんな男は嫌われるよ。たまには引いて、年上のゆうでもアピールしたら?」


 妻帯者であるセオドアからのアドバイスにそっぽを向く。


「……ふん。言われなくてもする」

「それとも、これを機に他の女の子に目を向けてみるのもありなんじゃない? 僕がスタイルばつぐんの美女でもしょうかいしてあげよう」

「いらん」


 からかい文句を切り捨てる。


「……俺が何年努力してきたと思ってるんだ」

「はは、そうだね。そんなに簡単にあきらめられるような相手なら、六年間も僕の下で働いてなんかいないか」


 六年。もう六年もジェラルドはこの男にこき使われているのか。

 くすくす笑ったセオドアは机の上に金貨を置いた。

 おしゃべりの時間はこれで終わりだ。ジェラルドは雑談をするために呼び出されたわけではない。セオドアの表情はひとなつっこいものから、せいしゃのものへとスッと変わる。


「さて。じゃあ、仕事の話に入ろうかな。……例の件を本格的に調べてもらいたい」




*****




 ルルがこうしゃくていに勤め始めて数日がった。

 一日の流れや仕事は飲み込むことができたし、ジェラルドからのボーナスミッションもできるだけ平常心でこなそうとしている(いまだ成功率ゼロだが)。

 そんな中、目下の問題はどうりょうメイドたちによる嫌がらせだった。


「どうしてきゅう係がそうなんてしているの? ……ジェラルド様が不在の時は家政女中ハウスメイドを手伝うように言われているですって?」


 あなた、掃除できるの? と笑ったメイドたちは、ルルが掃除したしょをツーッと人差し指でなぞった。ほこりがまだ残っていると言われ、やり直しをさせられる。


「ちょっとあんた。今朝、十分も長くジェラルド様のお部屋にいたそうじゃない」


 ジェラルドに引き留められていたと答えると、なんの話をしたのか、一言一句たがわずに言えと要求された。正直に言えるわけもなく適当にでっちあげると、重箱のすみをつつくかのごとくいちゃもんをつけられる。


「あーら、ごめんなさい。気づかなかったわ」


 ルルが掃除用のバケツに入った水を運んでいると、後ろからばされた。

 ろうに派手に水をぶちまけてしまい、周辺の掃除を担当していたメイドからせいだいに顔を顰められる。後始末はルルが担当することになった。


 …………。

 ……………………。


「~~~なんっでわたしがこんな目にあわないといけないのよ!」


 きーっとみしながら、ルルはゆかにモップをかけた。

 割り当てられたというか丸投げされた場所を一人で掃除する。

 同僚にあいさつをしてもぷいっと顔をそむけられるわ、食堂で席に着くと周囲から人はさーっといなくなるわ、メイドたちの反感を買ったルルはりつしていた。


(あんな目立つところでジェラルドがキスなんかするから!)


 ただいま、と妻にするようなキスを頭にちゅっとされ、ルルは固まってしまったのだ。

 げんかん先で「ちょっとあんた何してくれてんのよ!」なんて言えない。言ったら言ったで

不敬だとたたかれたのだろうが……。


「ふっ、こちとら借金かかえた身よ。いじめられてすと思ったら大間違いなんだから」

 こんなことくらいで負けないし、「わたし、いじめられてるの~っ」とジェラルドに泣きつくのも馬鹿馬鹿しい。

 さっさとめたいと思いながらジェラルドの色っぽいじょうだんをかわし、辞めるもんかと思いながらメイドたちからのいじめにえる……、ゴシゴシとモップをかけるルルは、もはや自分が何と戦っているのかわからなくなりつつあった。

 丸めてよけておいたじゅうたんを元にもどし、ふう、と息をく。

 掃除道具を持って廊下を歩いていると、通りかかった部屋から「どうしよう」とせっまったような声が聞こえたので足を止めてしまった。

 掃除の時間中はかんのために部屋のとびらを開けておくことになっている。廊下から中の様子は丸見えだ。二人のメイドがキャビネットの前で右往左往していた。


「どうかしたの?」


 声をかける。ハッとした顔でこちらを見たのは、先日ルルをきゅうだんしてきたジェラルド

信望者の筆頭であるハリエットだった。

 たんかっしょくの一枚板が張られたキャビネットの側面をこすっているのはオリアン。ぞうきんの下はインクをぶちまけたかのような黒々としたみがあった。


「あ、あたしたち、何もしてないわ!」


 まだルルが何も言っていないのに、先回りするようにハリエットが弁明する。

 口にした後で「あんたには関係ないでしょ! あっちに行ってよ!」と言われたが、

「あ、そう。じゃあね」と無視するほどルルは冷たくない。

 ハリエットよりも冷静なオリアンはとにかく無心でよごれを擦っていた。


「何もしてないのに、いきなりこんな汚れが出てきちゃったのよねぇ……。インクじゃな

さそうだし、擦ってもとれないの」

「オリアン! この子に余計なこと言う必要ないでしょ」


 ハリエットは真っ青だ。


「このキャビネット、ジェラルド様のお母様のおよめり道具なのよ……! 汚したなんて

メイド長に知られたら大ごとだわ!」


 ここは現在グランシア領にいるジェラルドの母親の部屋らしい。

 クビになっちゃう……とあわてるハリエットの気持ちもわかる。

「ちょっとぉ、さわいでないで協力しなさいよハリエット。せんざいか何か取ってきてよ」

「洗剤なんかかけて、余計にひどくしちゃったらどーすんの!?」

「じゃあどうする気よぉ!」

「ちょっと見せて」


 オリアンに雑巾をどけてもらう。インクのようにしたたちた黒い筋は木材の部分で切ぎれており、かれている絨毯に染みはできていなかった。


「……ためした?」

「酢?」

「多分、これは木材にふくまれるタンニン――しぶの色じゃないかしら」

「……あら、そういえばあなたって家具屋のむすめだったわねぇ。ちょっと待ってて、持って

くるから」


 のんびりした口調とは裏腹にオリアンのフットワークは軽い。すぐさま調達して戻ってきてくれたので、ルルはガーゼに酢を染み込ませて黒くなった部分に張りつけた。

「黒く変色してしまった家具のリペアをたのまれた時、ベテランの職人が酢水でれいにしていたの。木材の上に金属を長時間置いておくと、黒く変色したりするらしいわ」

「金属なんてれさせてないわ!」

「じゃあ、何かこぼさなかった? 洗剤とか……」


 ハリエットがはっとした顔になる。


「絨毯の染みきに使っていた重曹水ソーダを、こぼしてしまったわ。で、でも、すぐにったし、その時は染みにならなかったし……」

「皮をいたリンゴと同じよ。こぼしてすぐはなんともなかったかもしれないけど、空気に触れてじょじょに色が変わっていったんだわ」


 時間をおいてガーゼをがすと――元通り、綺麗な淡褐色の木目が現れる。

 オリアンが手を叩いた。


「あらやだ、すごーい! 良かったわねぇ、ハリエット」

「え、ええ……。ど、どうもありがと……」


 ハリエットは目の敵にしていたルルに助けられたのが複雑なようだった。

 ルルの方も無事に落ちてほっとした。

 自分の家具屋の娘としての知識が役立って良かったし――久しぶりに同年代の女の子と話せたことをうれしく思う。

 仕事だけをもくもくとやっていればいいと思っていたけれど、やっぱりできることなら友人だってしい。ハリエットはとげとげしいが、オリアンは表立ってルルをこうげきしてはこなかったので話しやすかった。


「これって、においは残ったりしないのかしらぁ」

「大丈夫よ。風にさらしていればすぐに消えるわ。お天気もいいし、メイド長に話して、しばらくこの部屋の窓を開けておいたらいいと思う」

「そうねぇ。汚れも綺麗さっぱり消えてるし、報告しても問題なさそうだわぁ」


 ね、ハリエット、とオリアンが話を振ると、ハリエットはツンと顔をらした。


「あたしが報告しておくわ。……心配しなくてもちゃんと正直に話すわよ。でも、こんなことくらいであなたを認めたりしないから!」

「ええ? ハリエットってば、まだそんなこと言って」

「行くわよ、オリアンっ!」


 ハリエットは掃除に使った道具を持って出ていってしまう。

 ごめーん、と手を合わせながらハリエットを追いかけるオリアンに、ルルは気にしないでと手を振っておく。

 みぞはなかなかまらなさそうだ。



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