2-2



*****



 そして迎えた勤務初日。

 わいらしいお仕着せに身を包み、長いかみをひとつにまとめたルルは、指示された時間ぴったりに主しんしつとびらをノックする。

 カートに乗せているのは洗顔用のぬるま湯やタオルなどだ。ふかふかのやわらかそうなタオルや、とうめい度の高いガラスに入ったレモン水―― 一つ一つに手間とお金がかけられたものを改めて見ると、ジェラルドは『世話をされる側の人間』なんだなあと思った。いじめっ子をふんすいとしたりしていた男が……、なんだか信じられない。


「おはようございます、ジェラルド 。朝のたくにまいりました」


 入室を許可する声はかからない。

 返事がなくても中に入っていいと言われているため、カートと共に室内へと足をれた。 分厚いしゃこうカーテンのせいで部屋の中は暗いが、大人二人がゆうにころがれるサイズのベッドのまくらもとにジェラルドのぎんぱつが見える。

 動く気配がないため、ルルはもう一度声をかけた。


「ジェラルド様、朝ですよ」


 シーツの中のかたまりは動かない。


(これ、本当に寝ているのかしら。……わなっぽいわね)


 まるでルルが近寄ってくるのを待っているかのようだ。


 けいかいしながら「起きてください」とそっとかたに触れる。

 すると、手首をつかまれてあっという間にベッドの中に引きずり込まれてしまった。


「ちゃんと時間ぴったりじゃないか。感心だな」


 ニヤニヤ笑いのジェラルドがルルをきしめている。

 ルルの方はある程度予想がついていたので、動じずにニッコリと微笑んだ。


「おはようございます、ジェラルド様。起きていらっしゃるのなら離していただけますか?」

「つれないな。二度寝に付き合えよ」

「付き合いません」

「昨夜はよくねむれたか? 使用人部屋にしてはましな方だが、お前のこころだいではあんなせまい部屋じゃなくて女主人用の部屋をあたえてやるぞ?」

「ものすごく快適に眠れましたのであのお部屋でじゅうぶんですわ」


 れいたんなルルの対応をつまらなく思ったらしい。


 ジェラルドはすかさず切り札を出した。


「どうだ? 三分間、抱き枕になったらボーナス一万」

「わかりました」


 そくとうする。

 照れもせずにしょうだくしたルルにジェラルドは意外そうだった。


「……もっと嫌がるかと思ったが」

「仕事ですから」


 いちいちおおさわぎして振りまわされてなんかやらない。


(どうせセクハラまがいの要求をしてくるだろうってことは読めてるのよ。このあくしゅな男はわたしが嫌がったりずかしがったりするのを見て笑ってるんだから、騒げば騒ぐほどこいつを喜ばせるだけだわ)

「では、わたしは今から三分間枕になりますね。枕ですので口も閉ざさせていただきます」


 微笑んだルルは固く目を閉じた。何をされても無視してやるという意思表示だ。


「へえ……?」


 目を閉じてしまったのでジェラルドの表情まではわからないが、おもしろがっているようなこわだった。


「だったら、えんりょなく抱き枕になってもらおうか」


その言葉と共にぎゅっと抱きしめられる。


うすしにジェラルドの体温を感じた。骨ばった身体からだかたむないたは女の自分とは違い、異性を感じてどうが速くなる。


(だめだめ、わたしはただの枕。石。無機物になるのよ)


 ルルはジェラルドを意識しないよう、頭の中で今日の予定を並べた。


(えーっと、今日やることはジェラルドのたくが終わったら朝食を運んで、食べている間に洗顔用のお水を片付けて、外出するジェラルドを見送ったのちにベッドメイキングとそう……)

「……ルル」


 せっまったような声には色気がにじんでいる。


「六年ぶりに再会して思ったが……、綺麗になったな」

「!?」

「昔から可愛い顔立ちだったが大人っぽくなった。この綺麗な髪も食べたら甘そうだと思っていたんだが、ざわりもいいんだな。っているせいで頭をでるくらいしかできないのが残念だ。できればもっと、乱してやりたい」


 甘ったるく耳元で囁かれて背筋がぞわぞわした。


 まるでこいびとに囁くようなむつごとだ。

 頭を撫でていた熱い手のひらがすべるようにほおに移動し、「ひゃっ」と情けない悲鳴が出てしまう。くつくつと押し殺したようにジェラルドが笑った。


「可愛い声だな。もっと聞かせてくれ」

(こ、こいつ、いつの間にこんな遊び人みたいなセリフをくように……! 侯爵位になってモテモテってわけ!? 女の扱いなんか慣れっこですって言いたいわけ!?)


 ちゅっと大げさなほどのリップ音を立てて耳に口づけられたところで限界に達した。


「三分っ! もう三分ちましたっ!」

「まだ一分しか経ってないぞ」


 ベッドから転がり落ちるようにして逃げ出したルルを、ジェラルドはものを追い詰めることに成功したおおかみのようにあざわらっている。


「三分えられなかったんだからボーナスはなしだな」

「そんな!」

「残念だったな。再ちょうせんしたければいつでも相手をしてやる」


 すずしい顔で笑われ、ぐぬぬぬ……とくちびるむ。

 せっかくのボーナスのチャンスが……。そしてなんだ、この敗北感は……。

 えるから出ていけと部屋から追い出され、ルルはろうをずかずかと歩いた。耳元で囁かれた甘ったるい声やジェラルドの体温が身体中に残っているようで真っ赤になる。


(信じられない、あのセクハラろう! 変態! しき! 朝から馬鹿じゃないの!)


 ――逃げるようにあるじの部屋から出てきたルルの様子を見ていたメイドたちが、ひそひそと囁き合っていることには気づかずにいた。




*****




(はあ……。やっとお昼……)


 ジェラルドを見送った後の仕事をこなし、ルルはよろよろと使用人用の食堂に向かう。

 主人付きという特別たいぐうを受けているルルだが、食事は他のメイドたちと同じく食堂で

とることを希望した。

 昨夜と今朝は上級使用人たち――従者であるアンソニー、メイド長、料理長などといっしょにとったが、場違い感がすごかったのだ。ミーティングもねているのだが、主人付きとはいえジェラルドの仕事に同行するわけでも、なんの権限もないルルがいる意味はほとんどない。

 そしてどうやら上級使用人たちの中で『求婚そうどう』を知っているのはアンソニーだけで、みな、ルルのことはジェラルドのコネ採用で勤め始めた娘だとしかにんしきしていないようだった。かべのある接し方をされるのは気がる。


(もうちょっとねなく話せるような友人ができたらいいな)


 食堂に足を踏み入れると、すぐに視線が集まってきたのでドキッとした。

 部屋の中には二十人ほど――男性使用人は一人か二人で、あとは女性使用人だ。特に話しかけられるわけでもなく視線はすぐにらされるが、皆の意識がルルに向いていることは間違いなさそうだ。朝は軽く名乗った程度ですぐにジェラルドの元へ向かったので、ここで改めて自己しょうかいとかした方がいいのかしら……となやんでしまう。

 ぎくしゃくした動きで食事をもらって空いている席に座ると、二人組の少女がすかさずルルの正面に移動してきた。


「ここ、座ってもいいかしら?」

「あ、ええ、どうぞ」

「ありがとう。あたしはハリエット、で、こっちはオリアン。あたしたちは二人とも家政女中よ、よろしくね」


 きびきびとした口調の少女が名乗る。

 同年代の少女二人が声をかけてくれたのでほっとしてしまった。

 今話している背が高くて気の強そうな方がハリエット、スープにさじを入れながら「よろしくう~」と間延びした口調で話すぽっちゃりした方がオリアンだそうだ。


「わたしはルルです。よろしくね」


 商会が赤字になってからは女友達ともすっかりえんになってしまっている。仲良くでき

たらいいな、と思うルルをハリエットはしげしげとながめた。


「あなた、すごいのね。あたしたちと同じくらいのねんれいでジェラルド様付きにばってきされるなんて、……元々はどちらのお屋敷にお勤めだったの? まさか、王城とか?」

「え」

「それとも、侯爵家のごしんせき筋の方かしら」

「そんなまさか!」


 ルルはおおあわてで否定した。


「わたし、お屋敷勤めって、はじめてなの。職人通りのエインワーズ商会ってご存じかしら? そこの娘なんだけど……」


 この発言に、周囲で耳をそばだてていたメイドたちの空気がびしりと固まった。


「はじめて? はじめてでいきなりジェラルド様付きなの?」

「え、ええ……」


 ルルとしては気を使われるような大層な人間じゃないとアピールしたつもりだったが、

どうやら失言だったらしい。ひそひそ話にすらなっていないざわめきが聞こえてくる。


「エインワーズ商会って、落ち目の商家じゃない。そんな子がどうして侯爵家に勤めに?」

「あたし、見たわ。あの子が赤い顔してジェラルド様の部屋から出てきたところ……」

「やだ。まさか、ジェラルド様に取り入って雇ってもらったってこと?」


 しまった。まるでルルが愛人か何かのように思われてしまう。

 ハリエットはけんのんな目でルルを睨んでいた。

「ご、誤解よ。わたし、ジェラルドの――ジェラルド様のことなんて、なんとも思っていませんから」

「なんとも思ってないですって!? あんなにてきな方に対して失礼がすぎる言い方じゃな

い?」

「えー、その、素敵な方だと思いますが」

「ほら、やっぱり色目を使っているのね!」


 じゃあなんて答えろと。

 何を言ってもあしをとるつもりのハリエットを筆頭に、メイドたちは口々にジェラルドをしょうさんし、何も知らない新人ルルに対してジェラルドの過去を語りだした。

 若い娘ばかりなので実際に見聞きしたわけではなく、せんぱいたちから語りつがれてきた内

容なのだろう。皆がとうとうと熱っぽく瞳をうるませて語る姿は、昔、家族で歌劇場に見に行ったしばを思い出した。多分、歌にするとこんな感じだ。



 ♪ 今から語るのは若き侯爵ジェラルド様の過去。

   語りはわたくし、ハリエットが務めさせていただきます。



   さかのぼること数年。グランシア侯爵家はぼつらく寸前と言われておりました。

   ジェラルド様のお父上である前侯爵には悪いうわさがたくさんありました。

   「ばくに愛人に借金」

   「ああ、かわいそうなジェラルド様」

   「学校にも通えず、社交界からも遠ざかるばかり」

   そんな矢先、前侯爵はおたおれになりました。

   残された奥様と一人むすのジェラルド様は領地立て直しにほんそうなさいます。

   「十六歳であとぎに」

   「ああ、苦しい思いをなさったジェラルド様」

   「領地を立て直すために三年もの時間をついやしました」

   そして、ずさんな管理をされていた侯爵領を立て直しました。

   「将来有望、王家からの覚えもめでたく」

   「ああ、今やれいじょうたちのあこがれの的のジェラルド様」

   「素敵な方にお仕えできて、わたしたちは幸せです」

   ジェラルド様の未来に幸せあれ、グランシア侯爵家に栄光あ~れ~~~♪

 


 じゃじゃん!

 お芝居だったらはくしゅかっさい、スタンディングオベーションだっただろうと思いながら彼女たちによる熱心な説明を聞いた。


(ジェラルド過激派……。いや、ジェラルド教?)


 ジェラルドが庶民校にいたことは知られていないらしい。

 再会した時に「なぜ身分をかくして庶民校にいるのか」という問いには答えてもらえなかったが、……プライドの高いジェラルドが「びんぼうなせいで、多額の入学金が必要な貴族の学校に通えなくて」なんて言うはずもない。彼が苦労していたことはわかった。


「とにかくっ」


 ハリエットがルルを指差してくぎす。



「ジェラルド様に気に入られてるからっていい気にならないで。あの方はあんた如きがお近づきになれるような方じゃないのよ! わかった?」


 おされたルルは頷いた。彼女たちの前でうっかりジェラルドと親しげなところなんて見られないようにしようと決意する。


 ――その数時間後。


 外出から帰ってきたジェラルドがげんかんむかえたルルのつむじにキスをした。

 ルルはまたたにメイド全員を敵に回すことになった。



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