2章 グランシア侯爵邸

2-1


「……と、いうわけで明日からわたし、こうしゃく家のタウンハウスで働くことになったからよろしくね!」

 ジェラルドとのひともんちゃくがあった翌日。学生りょうにいる弟に報告をしに行くとぜんとした顔をされた。今年十二歳になるトーマスはうすちゃ色のひとみをまん丸に見開いてつぶやく。


「信じられない」

「そうよね。わたしも侯爵家で働くことになるなんて思いもしなかったわ」

「そっちじゃないよ! 侯爵様からのきゅうこんを断るなんてもったいなさすぎる! 姉さん、何考えてるの!?」


 昔の知り合いの正体が実は侯爵様で、大人になってプロポーズしにやってきてくれた。

 これだけ聞いたら、女の子が大喜びでがるようなシチュエーションだと思うだろう。ルルはがおできっぱりはっきり宣言する。


「だって、きらいな相手とけっこんなんてしたくないもの」

「嫌いって、……なんでそこまで? よっぽどいやなことでもされたの?」


 学生のころに無理矢理キスされたからよ、なんて弟には言えずに口ごもる。……とはいえ、六年も引きずるくらい嫌な思い出ではないかもしれないけど……。


(……あれ? それだけじゃなかったかも)


 腹が立った一件であることにはちがいないが、ルルがジェラルドを嫌いになった決定打

が何か別にあったような気もする。


『ねえ、ルルちゃん。ジェラルド・フィリーが――……』

 ――だれかに何かを言われた気がするのだが……。なんだったっけ?


(まあいいか。きっとむかつきすぎておくから消したのね)


 立ち話もなんだからとトーマスに先導され、寮のロビーに通される。

 学生用のロビーなので、談話用のやソファ、ちょっとしたテーブルがあるだけの簡素な空間だが、かべぎわにはティーセット一式がそろえてあった。

 どうぞご自由にお使いくださいとばかりに茶葉まで何種類か置いてある。茶器も茶葉も量産品で安いものだがずいぶんと気がいていた。


「えっ、何ここ? お茶のセットまであるの? 学生寮なんか来たことないから知らなかったけど、結構設備が整っているのね」


 トーマスがれてくれた紅茶に口をつけた。


「……二年くらい前? に、ある貴族からの寄付で寮の設備を整えたんだって」

「へー、立派な方ね」

「誰だと思う? グランシア侯爵だよ」


 ぶっとお茶をく。

 あいつか! そういえばジェラルドは通いではなくりょうせいだった。

 あまりいい思い出のないはずの母校、しかもこんなせいの学校に寄付したって特にメリットはないはずなのに、とても親切でしん的な人みたいじゃないか。そんな馬鹿な。学長を買収しているとか、何か裏があって寄付しているに違いない……。

 疑ってしまうルルに、トーマスはあきれた顔をした。


「姉さん、世の中お金だよ? せっかくのたま輿こしに乗るチャンスを棒にるなんてどうかしてるよ」

「世の中愛と真心よ! 我が家が赤字なばっかりに、弟がしゅせんに育ってしまって姉さんは悲しいわ……っ」


 わざとらしくをするも、弟は軽く受け流した。


「別に俺は父さんや姉さんほど商会にこだわりないしさ。家族で田舎いなかに移り住むのでも、俺がどこかの商家にほうこうに出るのでも構わないと思ってる。けど、姉さんはこんをどんどんがしちゃうよ。今からでもおそくはないし侯爵様の好意に甘えたら? こんな立派なお金持ちとの結婚話なんてそうそうないよ。だまされてるんじゃないかって思っちゃう」

「そうよ。騙されてるのよ。きっと生意気なわたしをよめにして、お金をちらつかせて言いなりにしてやるとか考えているに決まってるわ! そんな人生は嫌よ!」


 これまで自分の結婚相手のことなど考えたことはなかったが、――結婚相手にはおだやかでやさしく、身分のいが取れたしょみんを希望する。今後、「好きな男性のタイプは」とたずねられることがあったらジェラルドと真逆の人物像を上げていこう。

 まだ王都にとうちゃくしていない父と母にも手紙を飛ばしておいた。

 もっとも、そちらには求婚されたうんぬんの話はすっ飛ばし、借金をかたわりしてくれた侯爵のおしきで働くことになりましたと書いてある。


「まあ見てなさいよ。さっさと一千万分の要求をんでめてやるんだから」


 こぶしをぐっとにぎって宣言すると、

「……ほーう? それは楽しみだな」

「ぎゃあっ!?」


 背後から聞こえた低い声に振り返る。入り口にはフロックコートをかたうでにかけたジェラ

ルドがいつの間にか立っていた。


「ど、どうしてここに?」


 寮生の関係者しか入れないはずなのにと思ったが、たった今この男が学校に寄付金を出しているという話を聞いたばかりだった。出入りなんて顔パスだろう。


「メイド長が今日のうちに部屋や設備の説明をしておきたいというからむかえにきた。話が済んだならこのまま屋敷に向かう」


 ジェラルドからは身一つで来てもらっていいと言われていた。

 不承不承ながらりょうしょうしてうなずくルルとは反対に、トーマスはれいただしく頭を下げる。


「グランシア侯爵。このたびの件、本当にありがとうございました。姉がお世話になりますがよろしくお願いいたします」

「ああ。トーマス、といったか。よくできた弟だな。金のことなら心配しなくていいし、こいつのことも任せておけ」

 ジェラルドは立派な紳士のごとき振る舞いで「しっかり勉学にはげめよ」と言い、トーマス

もトーマスでおぎょうよく返事をしている。


「……侯爵様、別にフツーにいい人そうじゃん」


 かえぎわ、つつつ、と寄ってきたトーマスは、ジェラルドの耳に入らない声のトーンでこ

っそりささやいた。ルルは思い切り顔をしかめてしまう。


「ふっ。あんな上辺だけの態度で騙されるなんて、あんたはまだまだこの男のことをなんにもわかってないわね……」

「ワタシの方が彼のことを良く知っているんだから、ってアピール?」

「全然違う。事実よ、事実っ」

「っていうか、ほんとに姉さんは何が不満なの? 顔だってカッコイイし、あんなモテそうな人が姉さんに求婚した理由がなぞすぎるんだけど……」

「何をごちゃごちゃやっている? 行くぞ、ルル」


 えらそうに名前を呼びつけられ、「はい、ただいま!」とり返す。


「とにかく、わたしのことは心配いらないから。あんたは勉強がんりなさいよ!」

「うん。姉さんも頑張って」


 トーマスに見送られ、ルルは元気よくジェラルドの背を追いかけた。

 ――その去っていく姿を見送ったトーマスはほんのちょっぴりあんの息をく。

 たとえ侯爵に何かおもわくがあるにしても、姉をして助けてくれる存在がいるのはいいことだ。金銭的な面だけではなく、姉のメンタルも支えてくれそうな立派な男性の登場を喜ばしく思ってしまう。結婚しちゃえばいいのになぁ、と無責任に呟いておいた。





*****





 グランシア侯爵ていは王都の二番街に位置している。

 ここは貴族のタウンハウスが立ち並ぶエリアで、王都育ちのルルですらめっに立ち入らない。どの建物もしきの周囲にはぐるりとてっさくめぐらされ、立派な門がついている。

「彼女が俺の給仕女中パーラーメイドとしてやとうことにした、ルル・エインワーズだ。ルル、仕事のことはこのメイド長に一任してある。それと、ようけいやくしょもアンソニーに準備させたから目を通しておくように」


 ジェラルドによって引き合わされたのは、四十代くらいのそうな女性と、借金取りから助けてもらった時にも会った従者のアンソニーだ。

 かしこまりましたとひざを折る二人に、ルルもあわてて「お世話になります」と頭を下げる。

 そこでジェラルドとは別れ、メイド長の案内でルルの部屋に連れて行かれたのだが……。


「えっ、この部屋ですか?」

「何か問題が?」

「い、いえ、その……。まさか個室がもらえるなんて思ってもいなくて」


 使用人スペースの一角にある一室がルルの部屋だと言われた。

 日当たりはそんなに良くないし、ベッドや備え付けのクローゼットがあるだけの簡素な部屋だが、そもそも大勢いる使用人一人一人に部屋なんかもらえないはずだ。相部屋やだってかくしていた。


「ここは上級使用人用の部屋です。となりは私、階段をはさんだ反対側にアンソニー様のお部屋

があります。他の者ははなれにある使用人寮でまりしています」

「あの、わたしもそっちでいいんですが」

貴女あなたはジェラルド様の身の回りのお世話を引き受けるとのことでしたので、主人の呼び出しにすぐに応じられるようにせよとうかがっております」


 そこへ、アンソニーがたたまれたエプロンを何着かかかえて降りてきた。

 サイズをかくにんしてもらっていいですかとわたされて広げると、そですその部分にぜいたくにレースがあしらわれている。


「この屋敷には給仕女中パーラーメイド用のエプロンはまだありませんので、取り急ぎグランシア家ほんていで使っているものと同じものを用意しました」

「ここに来るまでにすれ違った人たちとは違うんですね?」


 中に着るこげちゃいろのお仕着せは同じだが、彼女たちはかざのないエプロンを身に着けていたはずだ。


「あのたちは家政女中ハウスメイドです。彼女たちや洗濯女中ランドリーメイドとは違い、給仕女中は主人やお客様の目にれる仕事ですので、それなりのものを着ていただきます」


 そう言うメイド長の服もデザインが少し違う。


「わたしの他に給仕女中は雇っていらっしゃらないんですか?」

「ジェラルド様は特に必要とされておりませんでしたから。元々、三年前にしゃくがれて以降ごぼうで、王都に長期たいざいすることはほとんどありませんでした。身の回りのことは私かアンソニー様で事足りていたのです」

 そうなんですか、と頷いた。

 後々知ったのだが――屋敷によってはわざわざ給仕女中を雇わないところもあるようだ。

 よごれ仕事をめんじょされるはなやかなメイドは、ようするに「れいどころを雇えるくらい財力にゆうがある家だ」と貴族が来客にアピールするための意味合いもあるらしい。

 支給される日用品の確認をした後、メイド長は一度部屋を離れ、ルルはアンソニーが持ってきた雇用契約書に目を通した。

 はっきりとさいされた日給三万ガロンの文字にややおののく。


(本当にこの日給で雇ってもらえるんだ……)


 ジェラルドが不在の時は、その都度、家政女中の仕事を手伝うことになっているが――それにしたってもらいすぎなくらいだ。

 アンソニーの顔をちらりと窺ってしまう。売り言葉に買い言葉で雇われたルルのことを、この人はどう思っているんだろうか。


「どこか、記載れでもありましたか?」

「あ、いえっ」


 否定したついでに、「なんか……すみません……」とちょう気味に謝ってしまう。


「なぜ謝るんです?」

「こんな高給で雇ってもらえるなんてつうだったらありえませんよね。あの、本当にわた

しはジェラルドのことをなんとも思っていませんし、あいつの言葉を真に受けて分不相応にも結婚したいとか言うつもりはありませんので安心してください。一メイドとして、いっしょうけんめい働かせていただきます」

「はあ。なぜ私にそのようなことを宣言されるんです?」

「え……。アンソニーさんはジェラルドの従者ですし……、得体のしれない女が主人のそばをちょろちょろしていたらかいかと思って……」


 主人が使用人に手を出しているなんて風評が流れたら、アンソニーだってめいわくするだろ

うと思ったのだが。

「ああ、私の心証をおもんぱかってのことでしたら別にはいりょはいりません。あなたがジェラルド様にふさわしいとかふさわしくないとか言うつもりもありませんし、もっと言うとジェラルド様が庶民のあなたと結婚しようが王族の娘と結婚しようが、私にとっては大差ありませんので」


 たんたんと述べるアンソニーをルルはまじまじと見てしまった。

 エインワーズ商会にも貴族は出入りしていたが、付き人というのは主人をいさめたり、守ったり、自分のすべてをささげる絶対の存在としてあつかっていた。そういう情熱のようなものがアンソニーからは感じられない。

 主人をたぶらかす悪い女め! とにらまれてもおかしくないはずなのに、どうでもいいと言わ

んばかりの口ぶりだ。


「…………あのー、従者とかじょって、もっと主人のためににくまれやくを買って出たりするイメージだったんですが」


 清潔感とにゅうほほみをたたえた男はにこりと笑う。


「そういった立派な志を持った方もおられますが、私にとっては『仕事』ですので」

「…………なるほど」


 アンソニーは公私を完全に切り離して考えるタイプらしい。

 職務たいまんなのではなく、結婚相手の選定なんて業務外だということだろう。


(仕事……。そうよね、これは仕事。別に後ろめたく思うことなんて何もないわ)


 見ようによってはジェラルドの好意をもてあそび、高いお金を出させている悪女に思われなくもないが……。いやいや、逆よ。わたしが弄ばれてるのよ、と思い直す。

 高給で雇われることへの躊躇ためらいや後ろめたさを飲み込み、契約書の下にルル・エインワーズとサインを入れた。


 これで、今からルルの主人はジェラルド。彼に対する生意気な態度はふういんだ。



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