1-2



*****



 ジェラルドと出会ったのは六年前。

 ルルが通っていたのは中流階級層が通う私立校だった。

 この学校にいるのは、実業家や医者、大学教授など、しゃくこそないがそれなりに地位とめいのある家の十歳から十五歳までの子どもたちだ。

 上流階級にを持っている生徒も多く、『そこそこゆうふくなおぼっちゃんお嬢ちゃんたち』

 ばかりだと聞いていた。……のだが。

 ルルが入学してすぐにもくげきしたのは、中庭で起こっているけんだった。


「おい、ふざけるなよ! こんな目にあわせやがって」


 男子生徒二人がふんすいの中でびしょれになりながらえている。

 っている相手は、噴水の外ですずしい顔をしている銀髪の生徒だ。どちらの生徒もジャケットにつけられた校章の色は青――ルルよりも三学年上だ。

 どうやら銀髪の生徒が二人組を噴水にとしたらしい。悪びれもしない態度で、噴水にいる二人組に向かって涼しい顔をしていた。


「良かったじゃないか。どろよごれていたかられいになっただろ?」

「だ、誰のせいで汚れたと思ってるんだ! お前が僕に足を引っかけたりしたから――っ、こんなこと、僕の父さんが知ったらだまってないぞ!」

「はっ。いい年して父親に助けを求めるなんてずかしくないのか?」

「な……なんだとっ……このびんぼうにんめ!」


 銀髪は鼻で笑い、濡れた生徒は真っ赤になってふんがいしていた。


(う、うわ~~~っ! なんていやな奴!)


 真冬ではないのでを引いたりはしないだろうが、それにしたって噴水に突き落とすなんて乱暴すぎる。しかも、その前にも足を引っかけて転ばせたりもしているの?

 周囲の生徒たちは遠巻きにささやき合っていたが、ルルは黙って見ていられなくなり――


「やめなさいよ! いじめなんて格好悪いわよ!」

 ごろ、商会で職人たちに意見することもあってこわいもの知らずだったし、子ども特有の強い正義感とけっぺきさをさくれつさせた結果―― いっしょにいたクラスメイトたちの静止を振り切って飛び出してしまう。


 突如しゃしゃり出てきた下級生女子に銀髪が怪訝な顔をした。


「…………なんだお前。関係ないだろ」

「な、ないけど、こういうのはよくないわ!」


 青い瞳で睨まれてひるむ。

 負けるものかとルルが睨み返すと、お前なんかに付き合っていられないと言わんばかりに視線を外された。銀髪はぷいっと背を向けて去っていく。


(勝った!)


 いじめっ子をげき退たいしてやったぞ! と良い事をした気分でいるルルが振り返る。

 しかし、助けたつもりの男子生徒たちはさっさと退散していた。周囲の生徒たちも特にルルをしょうさんするでもなく、素知らぬ顔でその場から離れていく。


(あ、あれ……?)


 ちがいのような空気を感じていると、クラスメイトが慌ててってきた。

「ルルちゃん、あの人に関わらない方がいいって!」

 ……上級生に兄姉きょうだいがいるという子が忠告してくれた。

 ジェラルド・フィリーという名のあの銀髪の生徒は、喧嘩ばかりしている問題児で、気に入らない相手はぼこぼこにする乱暴者なのだそうだ。目をつけられて嫌がらせでもされたらどうするのかとまくてられた。


「女子相手にも容赦がなくて、嫌なことを言って何人も泣かせているんですって」

「最低ね。しんの風上にも置けないわ」


 周りの女子たちも同調する。


「え……、じゃあ、わたしのところにも仕返しにきたりするのかしら」

「ルルちゃん、気をつけた方が良いわよ」

「それにフィリー家なんてお宅、聞いたことないもの。貧乏人だって言われてるし、あんなな人、本当に中流階級の人間なのかしら」

「関わったって良いことなんてないわ。言いがかりをつけられないように、しばらくは顔を合わさないようにしておいたら?」


 みながジェラルドの悪評を口にするものだから、ルルは入学したばかりの学校生活が急に不安になった。そのうち校舎裏に呼び出されたりするのだろうか。

 しかし、ルルの心配はゆうに終わり、その後、特にジェラルドがルルに突っかかってく

ることはなかった。

 既に顔を忘れられたのか、すれ違っても気づかれない。

 喧嘩騒ぎは相変わらず起こしているようだったが―― その場に居合わせてしまったり、後から人に話を聞くうちに、どうやら相手側から喧嘩をしかけられていることが多いようだと知った。先日の噴水の一件も、相手の方からジェラルドになぐりかかり、ける際に足を引っかけて転ばせ、そのまま噴水に突き落としたのが真相らしい。

 これまでに返りちにあった生徒が腹いせで悪評を流しているようだ。

 いつ見てもりつしているジェラルドには悪いうわさていせいしてくれるような友人はいないし、彼自身も誤解を解こうとそっせんして動くような性格ではない。その結果、きょうあく犯のように噂が独り歩きをしていた。


(もしそうだとしたら、初対面でいきなり『いじめなんてやめなさいよ』は失礼だったかもしれないわよね……)


 彼からしたら降りかかる火の粉を払いのけているだけなのだ。まあ、売られた喧嘩を買っているだけにしては正当防衛の域をえているとは思うけれど……。

 いく目かの喧嘩に居合わせてしまった時、ルルはジェラルドの手を取った。

 喧嘩相手は逃げていって、周囲の生徒たちもいつものことだからと遠巻きにしていて。

 殴られたジェラルドの頰を見ながら「保健室に行きましょう」と言った。

 怪訝な顔をして振り払われたが、ルルはゆずらず、「いいから来て」と強引に腕を引っ張って連行する。ジェラルドは意外にも大人しく保健室までついてきた。

 養護教諭は席を外しているらしく、ルルはたなを物色して消毒液やガーゼなどを拝借する。

 丸に座ったジェラルドはこれまた意外にも黙ったままでルルの手当てを受けていた。


(思ったより大人しい……。やっぱり、噂されているほどひどい奴じゃないのかも)


 遠巻きにジェラルドを見ていたルルは「単に人付き合いが苦手ないっぴきオオカミ」なので

はないかと確信していた。

 付き合いのある職人にも周囲から怖がられているがんおやがいる。

 その人はぶっきらぼうな物言いしかできず、冷たい人だと誤解されやすいのだ。何度かやりとりを重ねていくと、ちゃんとやさしい人だと言うことがわかってくる。きっとジェラルドもそういうタイプなのだろう。


「おい。いきなりこんな真似をして、なんのつもりだ?」


 怪訝そうにたずねられる。


「……わたし、あなたのことを誤解していたわ。ごめんなさい」


 突然のルルの謝罪に、ジェラルドはかたまゆを上げた。


「はじめて会った時にあなたのことを何も知らずに、いきなりいじめっ子だって決めつけてしまっていたから、……あの時はちょっと失礼だったかなって。ずっと謝りたいと思っていたの」

「…………」

「よく知りもしない相手にいきなり悪者あつかいされたら嫌でしょう?」


 切れてしまっている唇のはしにガーゼを当て、テープで止めていく。

 ジェラルドはルルの顔をじっと見た。

 とげとげしい態度のせいで気づかなかったが、よく見ればジェラルドの顔立ちはとても整っている。見つめられたルルは思わずどきっとしてしまった。テープを止める指先が少しふるえてしまう。

「……俺のことを何も知らずに、、、、、、、、、、、、か……。いったい、誰から何を聞いたんだ?」

「え? 痛っ」

 急に腕をつかまれる。

 ルルはまどった。


 なぜかジェラルドはおこっているように見えたからだ。


「誰だったかと考えていたが、お前、前に中庭で俺に口答えした奴か。今さら謝ってくるとはどういう心境の変化だ?」

「え、それは、だから、あの時は何も知らなかったし……」

「誰から何を、、聞いた? ……目的はなんだ。 金か? それとも、こびを売ってこいと親にでも命じられたのか?」

「っ、ちょっと、痛いってば! なんの話!?」


 凄まれたことにおどろき、ルルはジェラルドの手を振りほどこうとした。

 金? 媚び? ジェラルドは何かを誤解している。

 ルルはただじゅんすいに謝りたいと思っただけなのに――……。ジェラルドは凶悪な顔のままで言い放つ。


「こんなことくらいで俺がほだされると思うなよ。二度と俺に近寄るな」


 摑まれた腕は解けない。

 変な言いがかりをつけられた挙句、おどしのように凄まれたルルはカチンときた。


「ふっ……ざけんじゃないわよ! あんた、何様よ!?」


 ガァン! ときをかますと、ようやくジェラルドの手がルルから離れた。二人そろって椅子から落ち、額を押さえる。

 痛っっった~~~~~!!

 と自分でやっておいて悶絶したが、こちらが純粋な気持ちで謝罪し、案じていた気持ちを、「媚び」だとか「金目当て」だとか言われて腹が立ったのだ。

 ゆかに座り込んだまま、なみだでジェラルドを睨みつける。


「『こんなことくらいで俺が絆されると思うなよ』なんて、なんでそんなエラソーな目線なのよ。『実は隠してたけど本当はいいところのお坊ちゃんでした~』とでも言いたいわけ? あんたが金持ちだろうが貧乏だろうがそんなのどうでもいいわよ!」


 ジェラルドの方も額を押さえて声を荒らげる。


「だったら、どくな奴に声をかけて善人気取りのつもりか? 友達ごっこならでやってろよ、このおせっかい女」

「なんでそんなにひねくれた考え方しかできないのよっ。周りが言うほどあんたは悪い奴には思えないし、つうに友達になれたらいいなと思って声をかけただけなのに」


 いつも一人でいるジェラルドには放っておけないあやうさがあった。

 初対面で失礼なことを言ってしまったことが胸に引っかかっていたのも事実だが、周囲にけ込めない姿を目にするたびに心配もしていたのだ。


「友達なんか別にしくない。どいつもこいつも、家同士の付き合いや将来のメリットでしかつるむ相手を考えていない奴ばっかりじゃないか」

「そんなことないわよ」

「実際そうだろう。一部じゃ、俺が貴族の隠し子なんじゃないかって馬鹿な噂が流れているようだが、そういう噂が流れた時だけげんを取ろうと声をかけてくる奴が現れるんだ」


 ああ、だからさっき、媚びを売りにきたのかと言ったのか。

 ジェラルドは噂を聞いたルルがごまをりにきたのだとかんちがいしたのかとに落ちた。


「……あんたは自分に自信がないのね。そんな下心で近寄ってくる人間なんからせるくらいりょく的な人になればいいじゃない。声をかけてくるきっかけがごま擂りだったとしても、一緒にいて楽しいな、良い奴だなって思ってくれる人はきっとあんたの側に残るわよ」


 思うがままに自分の意見を述べたルルだが……。

 我ながら今、ものすごく良い事を言った気がした。

 さぞやこのひねくれ男も感じ入り、「へへっ、お前の言うとおりかもしれないな。俺が間違っていたよ」とか言うに違いない。

 ぽかんとしていたジェラルドは表情をゆるめ、そして唇にみを乗せていく。

 雪解けのような表情。ルルも笑顔になる。

 ジェラルドの笑いは、優しいほほみから満面の笑み、そして、馬鹿にしたものに変わっていった。


「立派な演説だな。鼻につくくらいのいい子ちゃんの回答だ」

「もう一回頭突きするわよ!?」


 真面目な説教を馬鹿にされ、ルルの頰は紅潮した。

 だが、ジェラルドは笑っている。

 少しは仲良くなれたと思っていいのかしら……。立ち上がったジェラルドから手を差し出されたので、床に座り込んだままのルルはなおにその手を借りた。

 ぐっと引っ張り上げられ、「ありがと」と礼を言って顔を上げると。

 キスされた。

 唇と唇がれ合っただけの軽いキスだが、ルルはこうちょくしてしまう。

 え。今。何。

 何が起こったのかわからずに、ただただぼうぜんとした。

 ジェラルドは不敵な顔でにんまりと笑う。


「……気に入った。将来、お前を俺のよめにしてやってもいい」

「は!?」


 とっな発言に固まる。

 いきなり何を言い出すんだこいつは、とルルは開いた口がふさがらなかった。


「ここまで俺を心配してくれた人間ははじめてだ。俺は感激した。お前が言うところの『魅力的な人』になった俺を一番近くで見る権利をやるよ」

「まっったく感激してなさそうな態度で何言ってるのよ。絶対お断りよ!」

 俺の嫁にしてやってもいい、、、、、、、、、、、、だなんて、どこまで傲慢な奴なんだ。


「ところでお前、名前は?」

「ルル・エインワーズよ!」


 名前も知らなかったんかい! と反射で怒鳴り返す。

 いや、それよりも。それよりも……っ。


「信じられない! わたしのファーストキス~~~~~!!」


 なんでこんな奴とキスしなくちゃならないんだ!

 しかもこいつ、ついさっきまでわたしの名前さえ知らなかったのよね!? そんな相手に軽々しくキスをするなんてどうかしている! なんてことをするんだ!

 憤慨したルルはジェラルドを突き飛ばして逃げたのだが……。




*****




 まさか、あの時の一方的なあれが『結婚の約束』のつもりだというのだろうか。

 ルルは六年ぶりに会ったジェラルドをじろりと睨んだ。

 だというのなら今さらすぎる。この男はキスした翌日からしれっと学校に来なくなり、連絡一つ寄こさなかったのだ。

 数年って、新聞記事でジェラルドの名前を見た時のわたしの気持ちと言ったら!

 ああ、あいつ、本当にいいところのお坊ちゃんだったんだ。

 ……わたしは、からかわれたんだ。

 ざっくり切られたような胸の痛みは、むかつく奴だけど友達になってもいいかな、なんて芽生えていた気持ちや、自分でも気づかないくらいの小さな小さな好意を消し去るにはじゅうぶんなものだった。

 侯爵家のあとりのジェラルドが中流階級のルルをめとるなんてありえない。

 あの時のキスはめかけにしてやってもいいというからかい文句で、当時、友達を必要としていないと言ったのも、爵位のない者たちと仲良くしたってしょうがないと思っていたからなのだろう。ルル一人でむきになったり照れたり、馬鹿みたいだった。


「あんたとの結婚なんかお断りよ!」


 思い出してむかむかと腹が立ってきたルルは力いっぱいきょぜつしてやる。

 そんなルルの態度などどこく風。ジェラルドはおうような笑みを浮かべている。


「お前がどうようする気持ちもわかる。突然俺がハイスペックになって現れたから驚いたんだ

ろう。安心しろ。俺はふところが広いから、お前の気持ちの整理がつくまで待ってやってもいい」

「偉そうに何言ってんの? どれだけ待たれたって、わたしはきらいな相手と結婚する気なんてないから」


 ジェラルドの表情はぜんとしたものに変わった。


「は? ……嫌い、だと?」

「そうよ。無理矢理キスしてきたような相手をわたしが好きになるとでも思っていたの? あんたなんか大っ嫌いに決まってるでしょ!」


 きつい口調で言い切ると、ジェラルドの目は軽く見開かれる。

 おそらく、ルルごときが断るとは思っていなかったのだろう。喜んでしっを振るとでも思っていた相手から噛みつかれたジェラルドはむっとした顔で黙り込んでしまった。凄まれたルルは怯む。


(あー……、で、でも、今助けてもらったわけだし……。お金を出してくれた相手に、こんな恩知らずな言い方はよくないわよね)


 感情のままに言い返してしまったが、一応は取りつくろったようにしゅしょうな態度をとる。


「え、ええと、とにかく、助けてくれてありがとう。お金のことは本当に感謝してるし、さっきも言ったとおりちゃんと返すから。父様が王都に戻ってきた時に、また改めて……」

「――今すぐ返せ」

「え?」


 ジェラルドは微笑んだ。


「返せ。今すぐ。この俺のきゅうこんを断るとはいい度胸だ。絶対許さん。嫁に来ないならた

だの他人だ。金なんか出してやらん」

「いっ、今すぐなんて返せるわけないでしょ!」


 突然の手のひら返しにルルは叫んだ。


(ああ、わたしったら後先考えずに言い返してしまって本当に馬鹿! でも、いくら借金のカタだとしてもこんな奴と結婚するなんて絶対嫌だもの)


 赤の他人がこの話を聞いたら、変態ジジイに嫁がされるならともかく、顔見知りでもある侯爵の手を取らないなんてどうかしているというだろう。

 だけど、この男に一生言いなりにされるなんて嫌だし、第一、身分が違うのだ。中流階級出の娘が分不相応なと悪口を叩かれるのも、愛人扱いされるのも真っ平ごめんである。


「商会の建物を売ればまとまったお金が手に入る予定なのよ。残りは働いてなんとかするし、だからその」

「働く? 王都でお前を雇ってくれる場所なんかあるのか」

「あ、あるわよ、きっと。今は借金取りたちのせいで雇ってくれないけど、ほとぼりが冷めれば、どこかが……」

「そんなことを言って、逃げるつもりだろ」

「逃げないわよ! ちゃんと働いて返しますっ」

「――だったら俺の元で働け」


 なんでよ。嫌よ。とルルが口を開く前に、ジェラルドは指を三本立てた。


「一日三万ガロンで俺がお前を雇ってやる。仕事内容は俺の身の回りの簡単な世話――まあ、さしずめ給仕女中パーラーメイドとでも言ったところか。どうだ? 悪い条件じゃないだろ」


 三万!?

 ぶっ飛んだ金額すぎる。真っ当な仕事なら一日丸々働いたところで一万ガロンに届くか届かないかだ。


「そ、そんなんで三万とか……。いかがわしいことでもしようとか考えてるんでしょ!」

「そのとおりだ。俺の要求に応えたら臨時ボーナスをやってもいい。そうだな……。キス一つにつき一万ガロンとかでどうだ?」


 堂々と言い切ったジェラルドに、ルルは「ふざけないでよ!」としゅういかりで真っ赤になって震えた。


「お金の力で人を言いなりにしようとするなんて最低」

「なんとでも言え。四六時中俺の側にいたら、絆されて俺のことを好きになるだろう」

「なるわけないでしょ。どこから来るのよ、その自信は」

「じゃあ、大っ嫌いな、、、、、 俺に迫られてもなんとも思わないんだな」

「思わない」


 きっぱりと宣言したルルをジェラルドは鼻で笑い飛ばした。


「だったら俺の元で働いても別になんの問題もないだろう。俺の気が変わる前にお前の方から『やっぱりわたしが間違ってました。ジェラルド様と結婚したいです』と言ってきたら借金はチャラにしてやってもいい。……ああ、迫ると言ったが、あくまで普通にメイドとしての業務をこなしてもらった上で、お前が臨時ボーナスを受けるかどうか選べばいい。こんぜんこうしょうの心配はしなくていいぞ。俺は初夜は大切にしたい派だからな」


 何言ってんのこいつ。

 初夜とか言って馬鹿じゃないのと思ったし、言いくるめられている気がしないでもなかったが――


「絶対お断りと言いたいところだけど……。働くだけで本当に日給三万もくれるの?」


 どんないかがわしい要求をしてくるつもりなのかは知らないが――できそうな命令ミッションだけ受ければいいのだ。愛情の欠片かけらもないれいたんな対応を返し続けてやれば、この男だってやがて馬鹿らしくなって変なことを言わなくなるかもしれない。そうしたらあとはメイドとして決められた仕事をこなすだけだ。

 ジェラルドもここが落としどころだと思ったらしい。真面目な、心優しい雇い主のような顔をしてうなずく。


「もちろんだ。まかないつき、制服支給、使用人寮有り、休みは交代制。これ以上好条件の職場があるか?」


 ない。結婚はしたくないがさっさと金を返したいルルにはぴったりの仕事だった。


(日給三万。頑張れば月給七十万くらい? 一年とちょっとくらいで返せる上に、わたしが働いている間に商会を立て直せるゆうもできるかも)


 札束で人の顔を叩くような人間に成長してしまった男を睨みつける。

 スッと息を吸ったルルは、そこでようやく貴族に接するように恭しく頭を下げた。


「わかりました。わたしを雇ってください」

「契約成立とみなしていいのか?」

「ええ。メイドとして働いて、きっちり一千万ガロンお返しします!」


 結婚をしょうだくしたりなんかしないぞという意思をめて笑うと、ジェラルドも意地の悪い笑みを浮かべていた。


「良い返事だ。じゃあまず手始めに百ルピオンで『精一杯務めますにゃんにゃん』とでも

言ってもらおうか」

「…………」

「どうした? これっぽっちのこともできないのか?」


 こちらを馬鹿にしたような命令にルルは怒りで震える。


「……この××××侯爵……っ」

「減給にするぞ」


 こうしてルルはジェラルドに雇われることになった。

 借金の残額は九百九十九万ガロン、……飛んで、九百ルピオン。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る