1章 再会は小切手と共に

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(やばい)


 下町のはすむすめみたいな言葉を内心でつぶやきながら、十六歳のルル・エインワーズは曲がり角のへいにへばりついてたんにくれた。

 何がどうやばいって、ルルの自宅であるエインワーズ商会の周囲がガラの悪い男たちによって包囲されているのだ。顔とかみおおかくしている変装用のスカーフをしっかりと押さえたまま、ものかげからそーっと顔を出す。


「昨日よりも人数が増えてる……!」


 ルルが視線を向けている先は、つうしょう〈職人通り〉と呼ばれている大通りだ。

 ここはウィスタリア王国の王都・七番街のメインストリートであり、道のりょうわきには三階から四階建ての建物が立ち並んでいる。どの建物も一階と二階は専門店、上階は住居として使われており、この通りに店を構えることは商家にとってステイタスでもあった。

 その中でも、ひときわ広いしきを有している立派な建物が『エインワーズ商会』。

 ルルの自宅であり高級家具店として名高い商会は、現在、木製鎧戸シャッターが下ろされ、営業中でないことを示している。だというのに、店先には複数人の男がたむろし、よろいをガンガンとたたいていた。


「おーい、エインワーズさんよぉ。隠れてないで出てきてもらわねえと困るなあ。ウチが貸した一千万ガロン、準備できてんだろうなあ!?」

(ひえっ!)


 はなれているというのに、どうごえに身をすくませてしまう。

 仲間の男たちからも「出てこいや!」「金返せ!」の大合唱。

 まだ昼間だというのに付近からはさーっと人がいなくなり、エインワーズ家ととなっている商会は関わり合いになりたくないと言わんばかりに営業しゅうりょうの札をかけた。


「返済の期日は明日だぞ! わかってんのか!」

「隠れてないで出てこい!」

(わ、わかってるわよ! 返せるならとっくに返してるわよっ!)


 さいそくの声を背に、ルルはその場からした。

 向かった先は街外れにあるアトリエだ。『銀行差し押さえ物件』の立て看板を無視し、こそこそとかぎを開けて中に入る。スカーフを外して「ああああ……」と勢いよくしゃがみ込むと、長いアプリコット色の髪がいっぱくおくれてふんわりと広がった。


「どうしよう。父様たちかられんらくは来ないし、借金取りたちは増え続ける一方だし、今日も銀行からは出資を断られるしーっ……」


 もんぜつして、深呼吸。

 さわいだところで返事をしてくれる人間はこの部屋にはいない。エインワーズ家は現在一家さん中で、娘のルルは数日前からこのアトリエになんしていた。

 慣れ親しんだ木のにおいが心を落ち着かせる。

 ここはエインワーズ商会とけいやくした木工職人たちが使っていた場所だった。新しい木材はもうずっと仕入れていないというのに、建物全体に木の匂いがみついている。


(ほんの一、二年前まで、このアトリエは職人たちでにぎわっていたっていうのに……)


 作業台にはだれかが座り、窓から入る太陽の光がくずうさまをかびがらせ、「こんなむさ苦しいところに花なんか植えられても誰も世話しねえよ」と言いながらも、外に置かれたプランターに水をやってくれる人たちがいた。

 すみに寄せられた木材や工具はすっかりほこりかぶっており、どこか物悲しいふんただよわせている。


「……ちたものよね、エインワーズ商会も……」


 かつての日々を思いながらルルはためいきをついた。

 エインワーズ商会のはじまりは、産業革命が起きた祖父の時代。

 多くの職人たちが機械に仕事をうばわれ、市場は安価な量産品であふれ返ってしまった時代だ。祖父は逆転の発想で、「機械にはできない」「職人の手仕事」を売りにした、えて価格設定を上げたこだわりの品物を売ることに注力した。

 たとえば、はなやかなちょうこくほどこした木製家具。

 たとえば、ステンドグラスの技法を使ったキャビネット。

 たとえば、絵画のようなみつな模様が織り込まれたタペストリー。

 家具のみならず、かべがみや調度品、内装すべてのオーダーメイドもうけたまわると、美しい品々は量産型の家具とは一線を画し、貴族たちをとりこにした。

 エインワーズのアトリエは地方にも作られ、絵画、ちょうきん、木工と、よう契約を結んだあらゆるジャンルの職人たちがほこらしげに働いていた。

 幼いころからき祖父や父、職人たちの姿を見ていたルルが、いつしか自分のデザインした家具を商品化したいという夢を持つのは当然の流れだ。十歳の頃にはすでにアイデアノートをつけはじめ、実際にルルの意見を取り入れてもらえることもあった。

 ――自分の頭の中でおもえがいていたものが実際に形になる楽しさと言ったら!

 あとぎには弟がいるため、娘のルルはいずれどこかにとつぐ身だ。

 けれど、せめて家を出ていく日までは商会の仕事にたずさわっていたい。自分のデザインした家具を一つでも多く世に出したい――っていうかなんならいっそ、職人の誰かとけっこんするのもありかも? そうしたら家業に関わっていられるし……。

 そんなぼんやりとした将来設計を描きながら、十五歳で学校を卒業した後は本格的に家業の手伝いをするつもりでいた。その矢先。

 我が家にとんでもない赤字が発覚したのだ。

 祖父が亡くなって以降、ここ数年の業績は落ち込み気味だった。

 いものは安価で似た品が生まれるものだし、鉄道がかれ、外国から目新しい品がどんどん入ってくるようになると、どうしても売れ行きは悪くなる。じょじょに赤字はふくれ上がり、ついには銀行から借りた金だけではその時契約していた職人たちの給料をはらえない事態になった。

 その時に父がどこかから金を借りてきたのだが……、まさか借りた三百万を一千万にして取り立ててくるようなやみきんだったなんて、善良な市民の誰が思うだろうか!

 この一年間、売れるはんで家財を売り、土地を担保にして金を借り、ちまちま清算してお茶をにごしてきたのだが、払っても払っても利子分として吸収されてしまう。


 ついには、借金取りたちは返せるはずもない期日をごういんに設定して押しつけてきた。

 その期日は明日にせまっている。

 現在、父は王都から馬車で三日ほど西に走った先にあるガラス職人のこうぼうに出向中。

 そこで開発中のとあるガラス製品は、完成したあかつきには出資してくれた貴族が高額で契約を結んでくれることが決まっているのだ。うまくいけば借金返済のためのまとまった額のお金が手に入るだけではなく、商会を立て直せるヒット商品になってくれるかもしれない。

 母は元きゃくの貴族の領地に出向き、出資をしてくれないかと回っていた。

 四つ年下の弟は、家の問題で勉学に集中できなくなってしまってはいけないと学生りょうに入ってもらっている。

 両親が不在になる間、ルルは王都に残り、やとっていた経理担当者と共に王都で金の工面ができないかほんそうするつもりでいた――のだが。連日のようにおとずれる借金取りたちの対応

いやが差したのか、経理担当者は両親が王都からいなくなった早々に辞表を置いて逃げ

ていってしまった。

 おかげで借金取りへの対応は、ルル一人が逃げ回る羽目になっている。十六歳のむすめが相手では銀行もけんもほろろな対応だ。だったら! と働こうとしても「うちの店に借金取りが押しかけてきちゃ困るんで……」とあちこちの店から断られる始末。知人や友人相手にしつこく金の無心をするわけにもいかない。……まりだった。

 父が契約を結べなければ、あるいは母が資金調達に失敗すれば、――エインワーズ家は商会けん自宅、土地、商品の特許、すべてを手放すことになる。

 商会再建の望みは完全にたれ、王都から逃げ出すことになるだろう。


「……ううん。まだあきらめちゃだめよ。父様と母様の知らせを待とう」


 ルルだってできることなら商会をつぶしたくない。家族で仲良く経営してきた店だ。幼い頃からの思い出だってたくさんまっている。

(この商会を守るために、最悪の場合はわたしが身売りするとか、もしくはお金持ちのおじさんの愛人になるとか……って考えたりすることもあったけど)

 それではほんまつてんとうな気がする。

 ルルが心と身体からだをすり減らしたって家族の誰も幸せにならない。ルルだって、ただ金をかせぎたいわけではなくて商会の仕事がしたいのだ。


「空からぽーんと一千万が落ちてきたりしないかしら。なーんちゃってね……」


 明日、もう一度銀行に頭を下げに行ってみよう。

 落ち込む自分にかつを入れるため、りょうほおをぱしんと叩いて気合を入れた。

そしてむかえた翌日。

 ルルは落ち着かない気持ちを持て余すように街を彷徨さまよっていた。 

 銀行からは再三にわたるもんぜんばらいを食らい、自宅は相変わらず借金取りたちに見張られているようで出入りはできない。

 ぴゅう、と飛んできたチラシが顔に張りつく。

『オーダーメイドの家具はコールドスミス商会へ!』――エインワーズ家が赤字に落ち込んでいくのとわりに頭角を現したライバル商会のチラシだった。業績良さそうでうらやましいわね……とちょっぴりねたんでしまう。


(父様からも母様からも連絡が来ない……。どうなったのかしら、それとも何かあったのかしら)


 不安に思いながら連絡を待ち、空があかねいろに染まる頃――ようやく家族間の連絡に使っているたかの姿が現れてほっとした。


「どうか良い知らせでありますように!」


 いた手つきで手紙を開く。

 ギリギリまで待ったのだ。きっとお金が調達できたにちがいない。いのるような気持ちで父からの文面を読んだルルだったが、いくばくもしないうちに表情を失った。


『先ほど、ダミアンはくしゃくから契約の話はしたいとの申し出があった。私と母さんは王都へ向かっているちゅうだ。ルルはトーマスを迎えに行ってやってくれ。こんな結果になってしまって本当にない』


 あらひっせきで書かれていたのは、ガラス職人の工房に出資してくれている貴族からの契約破棄。エインワーズ商会はもうおしまいだという決定打だった。


(……かくしていたことじゃない)


 泣きそうになったルルはくちびるみしめてこらえる。

 今からやることは二つ。

 さっきゅうに弟の退学手続きを取ること。そして、両親が帰ってくるまでの間、借金取りた

ちにつかまらないようにせんぷく先を考えることだ。

 ここでめそめそと泣いているひまなんかない。

 おなかに力を入れる。だいじょう。しっかりしなくちゃ。行かなくちゃ。足早に歩き出したルルだったが――


「よう、エインワーズのじょうちゃん。探したぜ」

(ぎゃっ!)


 道中、物陰からぞろぞろと借金取りたちが現れ、ルルは飛び上がってしまった。


(エインワーズ商会の前に大勢集まっていたから、街中にはいないと思ったのに!)


 そくに回れ右をしようとするがばやく取り囲まれてしまう。


「いやあ、会えて良かったよ。俺たちさぁ、おたくのパパと話がしたいんだけど……、いったいどこに行っちゃったのかなあ?」


 親しげな声を出す借金取りたちは明らかにこちらをからかっていた。若い娘相手だからめられているのだ。ルルはじょうる舞おうと努力する。


「ち、父は今、王都外にいて、もうすぐもどってくることになっています」

「そっかそっか~。でも今日には帰ってくるんだよね? 何度も何度も延長してやった借金返済の期日は今日だもんね?」


 かたかれ、ずしりと体重をかけられた。

 これはまずい。逃げられない……。


「お……、お願いです。どうか、あと数日待ってもらえませんか」


 あせをだらだらかきながらのせいいっぱいこんがんに、どっと笑い声がはじけた。


「おいおい、お嬢ちゃん。家具屋なんだから納品日はちゃーんと守らねえと。……それともなんだ? たおして逃げる気か?」

「そんなつもりはありません! ちゃんと返しますっ」

「おお、いい覚悟じゃねえか」

「……だったら、どうやって金を返したらいいかわかるよな?」


 男たちはにやにや笑いながらルルの顔や身体をながめまわした。

「嬢ちゃんにぴったりのいい仕事があるんだ。しょうかいしてやるよ」

「家族のためにひとはだいでがんりなよ。あんた、なかなかわいい顔だし、頑張れば一日で五万ガロンくらい稼げるんじゃないか?」

(こ、これ、確実にしょうかんに売り飛ばされる流れだ――――ッ!)


 闇金から紹介される仕事が真っ当なものであるはずがない。真っ青になったルルはぶんぶんと首を振った。


「お金はちゃんと返しますっ、返しますから!」

「もう待てねえなあ」

「本当に、あと数日待ってもらえればっ」

「ごちゃごちゃ言ってねえで、とっととこっちに来い!」


 無理矢理どこかへ連れて行かれそうになってしまう。


(どうしてわたし一人がこんな目に……、いや、『わたしのことはいいから商品やお金のことに集中して』って父様と母様にたのんだのはわたしだった。っていうか経理のやつ、うら若き乙女おとめを置き去りにして何逃げ出してるのよ! あああ、ていそうの危機! なんとかしてここから逃げなくちゃ――)


 必死にていこうし、はじも外聞もなく「誰か助けて!」とさけんでいると。


「――何をしているんだ」


 通りすがりとおぼしき誰かが、借金取りたちを押しのけてルルの身体を抱き寄せた。

 ルルが声の主の顔をかくにんするよりも早く、頭を胸に押しつけるようにしてかばわれる。

 若い男だ。うわついたところのない堂々とした声に、細身だがしっかりとした筋肉質の胸。

 とつじょ現れたたよりがいのありそうな人物に庇われたルルはあんしそうになった。しかし、その人物はあきれたように溜息をつく。


「ったく、久しぶりに王都に戻ってきたと思ったら、商会は閉まってるわ、お前はゆく不明になっているわ……、いったいこんなところで何をやってるんだ」

(え?)


 この人、わたしの知り合い……?

 顔を上げる。

 そこにいたのはガラス細工のようなんだ青のひとみに、夕日に照らされて茜色に染まっている銀の髪を持った青年だった。まるで物語の中から出てきた王子様のような、いかにも高貴な人間ですと言わんばかりの美しいようぼうに、思わずルルもほおを染めかける。

 だが、くっとかたほおを上げて笑った顔を見たたん、ときめいた気持ちは一気にさんして消えた。


「久しぶりだな、ルル。六年ぶりか?」


 その、人をななめに見下したような顔に見覚えが――ある。

 ぎんぱつの知り合いなんて、ルルの人生の中でも後にも先にもたった一人しかいない。

 生意気そうな昔のおもかげを残しながらも、すっかりせいかんな大人の男に成長していた相手を信じられないような気持ちで見つめた。おくが正しければ、この男は今、十九歳になっているはずだ。


「……うそでしょ。まさかあんた、ジェ」

「おいおい兄ちゃん! 急に現れてなんのつもりだよ!」


 ルルが口を開く前に借金取りたちが声を荒らげた。


「嬢ちゃんのコイビトか? 兄ちゃんが代わりに一千万払ってくれんのかぁ?」


 借金取りたちがゲラゲラ笑う。べつふくんだ笑い声を受けた男は、気分を害したように低く呟いた。


「……こいびと、だと?」

「っ、こ、この人はなんの関係もないわ!」


 とっに庇う。

 なのに、ルルの肩を抱いたこの男は何を思ったのかキリッとした顔で宣言した。


「恋人じゃない。将来をちかい合った仲だ」

「は…… !?   ちょっと何言っ」

「お~。だったら、将来のヨメのために金くらい払ってくれるよなぁ」

「いいだろう」

「よくないわよ!!」


 ルルを無視して話が進んでいってしまう。


「アンソニー」


 青年が誰かの名前を口にする。すると、いったいいつからいたのか、かげのようにひかえていた黒服の男性が音もなくそばに寄った。黒服は二十代半ばくらいに見えるが、従者と呼ぶにふさわしいうやうやしい態度で台帳とペンを差し出す。

 受け取った青年はそこに流れるようなサインを入れた。


「見ての通り、俺たちは感動の再会の真っ最中だ。これを持ってさっさとせろ」

「はあ? なんなんだテメェ、えらそうに。いきなり現れて何言って……」


 台帳から破かれた紙を受け取ったリーダー格の男が目を見開く。

 他の男たちも紙切れを見たしゅんかん、ひゅっと息を飲んだ。

 青年は冷たくすごんだ。


「……さっさと失せろと言ったのが聞こえなかったのか? それとも、お前たちがもしもこれ以上この女につきまとうつもりならようしゃはしない。この王都にいられなくしてやることだってできるが――」

「あ、いや! 俺たちは金さえ払っていただければそれで!」

「ど、どうもすみませんでした!」


 借金取りたちは急に低姿勢になり、逃げるように去っていってしまう。

 こつな態度のひょうへんぶりにルルはあわてた。


「え? ちょっと!? あ、あんた、今、あいつらに何わたしたの!?」

「一千万ガロンの小切手」

「はああああっ!?」


 青年の返答に大声を上げてしまう。

 アンソニーと呼ばれていた従者から小切手の写しを奪い取る。確かに一千万ガロンの金額と、はらい主のサインが書いてあった。


 ――グランシアこうしゃく領領主、ジェラルド・グランシア。

 侯爵。

 ……ルルが知っている男の名前は、ただの『ジェラルド・フィリー』だった。

 ぎょうぎょうしいかたきも立派な格好も何もない、腹が立つほど生意気で俺様な、同じ学校に通う少年だった。

 苦い思い出が胸によみがえる。


「……何年か前の新聞で、あなたの名前を見たわ」

「新聞? ああ、父が亡くなった時のやつか」


 ジェラルドは特にかんがいなさげに呟く。

 侯爵相手にこんな生意気な口をきくなんて本来は許されないことだ。けれどルルは昔のままの口調で話してしまう。


「侯爵家のむすなのに、どうしてしょみんの学校なんかにいたの?」

「事情があったんだ」

「事情って何よ。……いいえ、今はこんな話よりもお金のことよね」


 この男はエインワーズ家の借金をたった今、全額支払ってしまったのだ。昔のわだかまりはわきに置き、ルルは頭を下げた。


「助けてくれて本当にありがとう。出してくれたお金は、……その、すぐには難しいけど、きちんと返します」


 きっと、ジェラルドはむかしみの現状に見かねて金を貸してくれたのだろう。

 この男との関係は決して良いものとは言えなかった。しかし、あのままだったらルルは娼館にでも連れて行かれてしまっていたかもしれないから、咄嗟に肩代わりしてくれたに違いない。

 ジェラルドはうでを組んで偉そうにこちらをへいげいしていた。


「金のことなら心配するな。数年前から商会の経営がかたむいてると聞いていたが、まさかここまで追い詰められているとはな……。俺も王都を離れていてあくしきれていなかったんだ。許せ」

「許せも何も……。そもそもあんたにお金を出してもらう筋合いなんかないでしょう?」

「何言ってるんだ。結婚相手の実家が危機におちいっているのだから、助けるのが当たり前だろ」

「…………はい?」


 とつぜん登場した「結婚」という単語にげんな声を上げてしまう。

 そういえば彼はさっきも借金取りたち相手に将来を誓い合った仲だなどと言っていたが、その場しのぎのじょうだんかと思っていた。


「ちょっと待って、結婚ってなんの話……? なんでそんな話になるの?」

「おい、まさか忘れたとか言うわけがないよな」


 こんな大切なことを忘れるなんておかしいと言わんばかりににらまれる。

 ルルの方はもんでいっぱいだ。借金を払ってやっただいしょうとして結婚しろと言うのではなく、まるで以前から将来を誓い合っていたかのような言い方をしているのだから。

 本気でわからない様子のルルに、ジェラルドはれたように溜息をついた。

 そしてごうまんな態度で言い放つ。


「六年前の約束を守りに来てやったぞ。喜べ、立派な侯爵になって帰ってきたこの俺様がお前と結婚してやると言ってるんだ」

「は……?」


 はああああ!?と本日二度目のぜっきょう

 こんな男と結婚の約束をした覚えなんか――ない! 断じて!

 なにせ、ルルにとってこの男との思い出は記憶からまっしょうしたいものばかりなのだから。



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