1章 再会は小切手と共に
1-1
(やばい)
下町の
何がどうやばいって、ルルの自宅であるエインワーズ商会の周囲がガラの悪い男たちによって包囲されているのだ。顔と
「昨日よりも人数が増えてる……!」
ルルが視線を向けている先は、
ここはウィスタリア王国の王都・七番街のメインストリートであり、道の
その中でも、ひときわ広い
ルルの自宅であり高級家具店として名高い商会は、現在、
「おーい、エインワーズさんよぉ。隠れてないで出てきてもらわねえと困るなあ。ウチが貸した一千万ガロン、準備できてんだろうなあ!?」
(ひえっ!)
仲間の男たちからも「出てこいや!」「金返せ!」の大合唱。
まだ昼間だというのに付近からはさーっと人がいなくなり、エインワーズ家と
「返済の期日は明日だぞ! わかってんのか!」
「隠れてないで出てこい!」
(わ、わかってるわよ! 返せるならとっくに返してるわよっ!)
向かった先は街外れにあるアトリエだ。『銀行差し押さえ物件』の立て看板を無視し、こそこそと
「どうしよう。父様たちから
慣れ親しんだ木の
ここはエインワーズ商会と
(ほんの一、二年前まで、このアトリエは職人たちで
作業台には
「……
かつての日々を思いながらルルは
エインワーズ商会のはじまりは、産業革命が起きた祖父の時代。
多くの職人たちが機械に仕事を
たとえば、
たとえば、ステンドグラスの技法を使ったキャビネット。
たとえば、絵画のような
家具のみならず、
エインワーズのアトリエは地方にも作られ、絵画、
幼い
――自分の頭の中で
けれど、せめて家を出ていく日までは商会の仕事に
そんなぼんやりとした将来設計を描きながら、十五歳で学校を卒業した後は本格的に家業の手伝いをするつもりでいた。その矢先。
我が家にとんでもない赤字が発覚したのだ。
祖父が亡くなって以降、ここ数年の業績は落ち込み気味だった。
その時に父がどこかから金を借りてきたのだが……、まさか借りた三百万を一千万にして取り立ててくるような
この一年間、売れる
ついには、借金取りたちは返せるはずもない期日を
その期日は明日に
現在、父は王都から馬車で三日ほど西に走った先にあるガラス職人の
そこで開発中のとあるガラス製品は、完成した
母は元
四つ年下の弟は、家の問題で勉学に集中できなくなってしまってはいけないと学生
両親が不在になる間、ルルは王都に残り、
に
ていってしまった。
おかげで借金取りへの対応は、ルル一人が逃げ回る羽目になっている。十六歳の
父が契約を結べなければ、あるいは母が資金調達に失敗すれば、――エインワーズ家は商会
商会再建の望みは完全に
「……ううん。まだあきらめちゃだめよ。父様と母様の知らせを待とう」
ルルだってできることなら商会を
(この商会を守るために、最悪の場合はわたしが身売りするとか、もしくはお金持ちのおじさんの愛人になるとか……って考えたりすることもあったけど)
それでは
ルルが心と
「空からぽーんと一千万が落ちてきたりしないかしら。なーんちゃってね……」
明日、もう一度銀行に頭を下げに行ってみよう。
落ち込む自分に
そして
ルルは落ち着かない気持ちを持て余すように街を
銀行からは再三にわたる
ぴゅう、と飛んできたチラシが顔に張りつく。
『オーダーメイドの家具はコールドスミス商会へ!』――エインワーズ家が赤字に落ち込んでいくのと
(父様からも母様からも連絡が来ない……。どうなったのかしら、それとも何かあったのかしら)
不安に思いながら連絡を待ち、空が
「どうか良い知らせでありますように!」
ギリギリまで待ったのだ。きっとお金が調達できたに
『先ほど、ダミアン
(……
泣きそうになったルルは
今からやることは二つ。
ちに
ここでめそめそと泣いている
お
「よう、エインワーズの
(ぎゃっ!)
道中、物陰からぞろぞろと借金取りたちが現れ、ルルは飛び上がってしまった。
(エインワーズ商会の前に大勢集まっていたから、街中にはいないと思ったのに!)
「いやあ、会えて良かったよ。俺たちさぁ、おたくのパパと話がしたいんだけど……、いったいどこに行っちゃったのかなあ?」
親しげな声を出す借金取りたちは明らかにこちらをからかっていた。若い娘相手だから
「ち、父は今、王都外にいて、もうすぐ
「そっかそっか~。でも今日には帰ってくるんだよね? 何度も何度も延長してやった借金返済の期日は今日だもんね?」
これはまずい。逃げられない……。
「お……、お願いです。どうか、あと数日待ってもらえませんか」
「おいおい、お嬢ちゃん。家具屋なんだから納品日はちゃーんと守らねえと。……それともなんだ?
「そんなつもりはありません! ちゃんと返しますっ」
「おお、いい覚悟じゃねえか」
「……だったら、どうやって金を返したらいいかわかるよな?」
男たちはにやにや笑いながらルルの顔や身体を
「嬢ちゃんにぴったりのいい仕事があるんだ。
「家族のために
(こ、これ、確実に
闇金から紹介される仕事が真っ当なものであるはずがない。真っ青になったルルはぶんぶんと首を振った。
「お金はちゃんと返しますっ、返しますから!」
「もう待てねえなあ」
「本当に、あと数日待ってもらえればっ」
「ごちゃごちゃ言ってねえで、とっととこっちに来い!」
無理矢理どこかへ連れて行かれそうになってしまう。
(どうしてわたし一人がこんな目に……、いや、『わたしのことはいいから商品やお金のことに集中して』って父様と母様に
必死に
「――何をしているんだ」
通りすがりと
ルルが声の主の顔を
若い男だ。
「ったく、久しぶりに王都に戻ってきたと思ったら、商会は閉まってるわ、お前は
(え?)
この人、わたしの知り合い……?
顔を上げる。
そこにいたのはガラス細工のような
だが、くっと
「久しぶりだな、ルル。六年ぶりか?」
その、人を
生意気そうな昔の
「……
「おいおい兄ちゃん! 急に現れてなんのつもりだよ!」
ルルが口を開く前に借金取りたちが声を荒らげた。
「嬢ちゃんのコイビトか? 兄ちゃんが代わりに一千万払ってくれんのかぁ?」
借金取りたちがゲラゲラ笑う。
「……
「っ、こ、この人はなんの関係もないわ!」
なのに、ルルの肩を抱いたこの男は何を思ったのかキリッとした顔で宣言した。
「恋人じゃない。将来を
「は…… !? ちょっと何言っ」
「お~。だったら、将来のヨメのために金くらい払ってくれるよなぁ」
「いいだろう」
「よくないわよ!!」
ルルを無視して話が進んでいってしまう。
「アンソニー」
青年が誰かの名前を口にする。すると、いったいいつからいたのか、
受け取った青年はそこに流れるようなサインを入れた。
「見ての通り、俺たちは感動の再会の真っ最中だ。これを持ってさっさと
「はあ? なんなんだテメェ、
台帳から破かれた紙を受け取ったリーダー格の男が目を見開く。
他の男たちも紙切れを見た
青年は冷たく
「……さっさと失せろと言ったのが聞こえなかったのか? それとも、お前たちがもしもこれ以上この女につきまとうつもりなら
「あ、いや! 俺たちは金さえ払っていただければそれで!」
「ど、どうもすみませんでした!」
借金取りたちは急に低姿勢になり、逃げるように去っていってしまう。
「え? ちょっと!? あ、あんた、今、あいつらに何
「一千万ガロンの小切手」
「はああああっ!?」
青年の返答に大声を上げてしまう。
アンソニーと呼ばれていた従者から小切手の写しを奪い取る。確かに一千万ガロンの金額と、
――グランシア
侯爵。
……ルルが知っている男の名前は、ただの『ジェラルド・フィリー』だった。
苦い思い出が胸に
「……何年か前の新聞で、あなたの名前を見たわ」
「新聞? ああ、父が亡くなった時のやつか」
ジェラルドは特に
侯爵相手にこんな生意気な口をきくなんて本来は許されないことだ。けれどルルは昔のままの口調で話してしまう。
「侯爵家の
「事情があったんだ」
「事情って何よ。……いいえ、今はこんな話よりもお金のことよね」
この男はエインワーズ家の借金をたった今、全額支払ってしまったのだ。昔のわだかまりは
「助けてくれて本当にありがとう。出してくれたお金は、……その、すぐには難しいけど、きちんと返します」
きっと、ジェラルドは
この男との関係は決して良いものとは言えなかった。しかし、あのままだったらルルは娼館にでも連れて行かれてしまっていたかもしれないから、咄嗟に肩代わりしてくれたに違いない。
ジェラルドは
「金のことなら心配するな。数年前から商会の経営が
「許せも何も……。そもそもあんたにお金を出してもらう筋合いなんかないでしょう?」
「何言ってるんだ。結婚相手の実家が危機に
「…………はい?」
そういえば彼はさっきも借金取りたち相手に将来を誓い合った仲だなどと言っていたが、その場しのぎの
「ちょっと待って、結婚ってなんの話……? なんでそんな話になるの?」
「おい、まさか忘れたとか言うわけがないよな」
こんな大切なことを忘れるなんておかしいと言わんばかりに
ルルの方は
本気でわからない様子のルルに、ジェラルドは
そして
「六年前の約束を守りに来てやったぞ。喜べ、立派な侯爵になって帰ってきたこの俺様がお前と結婚してやると言ってるんだ」
「は……?」
はああああ!?と本日二度目の
こんな男と結婚の約束をした覚えなんか――ない! 断じて!
なにせ、ルルにとってこの男との思い出は記憶から
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