4章 デートは休日手当付き?
4-1
ウィスタリアの花が満開になる
これから初夏にかけて王都で商売をする者にとってはかき入れ時だ。お
グランシア
ジェラルドの母親は領地で過ごされるとのことでお迎えの
「だからね、父様。商会の今後のことを
休日になり、エインワーズ商会に帰ったルルは、久しぶりに父、母、弟と四人でテーブルを囲んだ。
議題はエインワーズ家の今後について。母が紅茶を
「ハイ! 俺は姉さんが侯爵様と
「
「……と、父さんはできれば店を
ダミアン
「母様はどう思う?」
「仮にこの建物を手放したとしても、今後の我が家はどうする? って感じなのよね。ルルちゃんが侯爵様のもとでお世話になっている間、このシーズン中に新しい
ルルも母と同意見だった。
「と、なるとやっぱりこれよね」
テーブルの上にでんっと木箱を置く。
「絶対に話題性はあると思うのよ。食器だけじゃなくて、
「ああ~……、女性向けに品物を作るってこと?」
「エッチング加工してガラスの表面に模様を
「父さんは家具に使っても可愛いと思う……」
家族で会議を開きながらも、「でもうちに人を
トーマスはちらりとルルの顔を
「侯爵様に頼れないの?」
「――頼るって? 具体的にどうしろっていうのよ」
「
トーマスはやたらとジェラルドを頼りたがる。弟にとっては商会や姉のピンチを救ってくれた「侯爵様」に悪い感情はないらしい。
「シーズン期間中、興味のありそうな貴族を
「…………」
今のところジェラルドはただ単に借金を
(俺が金出してやっているんだから俺の命令に従え! 商会の今後は俺が決める! ……とは言わないのよね、ジェラルドって)
父や母からも好印象である。
わがままに
(多分、頼めばジェラルドは手を貸してくれるかもしれないけど……。でも、あんまり頼りたくない……)
お金も仕事も、何もかもジェラルドに
家族の期待を受けたルルは、不承不承ながら「あまり期待はしないでよ」と
エインワーズ家家族会議を終え、ルルは侯爵邸に帰るために速足で街を歩く。
父は
(わたしの友達もほとんど
同じ中流階級家庭に嫁ぐ子もいれば、下級貴族の元に嫁ぐ子もいる。
友人たちからは「エインワーズ家が借金で困っているのはわかっているけれど、実家や
彼女たちの言うことはもっともだし、責めるつもりはない。そこは気にしていないのだけど……。
ぼーっと歩いていたルルは前方不注意だった。すれ
ぶつかったのはルルの方だが、
「うわっ」
「危ない!」
体格差のせいでこちらがバランスを
「すみません、レディ。大丈夫ですか」
「大丈夫です。す、すみません……」
見知らぬ若い男性に密着することになってしまったルルは
すらりと背が高く、仕立てのいいジャケットを身に着けた、良家の子息風の青年だ。
そんな人がなぜかルルの顔をじいっと見つめてきた。
「あの……?」
「……もしかして、ルルちゃん……?」
「え?」
「ああ、やっぱり! ルルちゃんでしょう、エインワーズ商会の!」
(……
取引先のご子息だったかしら、と
「……無理もないか。卒業してからだいぶ
「…………。……ああ! コールドスミス商会の!」
ロイの顔ではなく家名の方で覚えていた。
コールドスミス商会も家具
「久しぶりだね、ルルちゃん。……あの、商会の方は大変だって聞いたけど大丈夫かい?」
「あ、うん。えっと、心配ありがとう」
商会同士の付き合いで
気遣わしげな表情を
「ジェラルドって、あの、ジェラルド・フィリー!?……あ、フィリーってのは
「ええ、そう。そのジェラルドよ。メイドとして雇ってもらっているの」
「メイド!?」
ロイは絶句してしまっていた。
学校に通っていた時、ルルの家は
いるなんて信じられないのだろう。
「……コールドスミス商会は順調なようだと聞いているわ。いずれはミスター・ロイが
皮肉っぽい口調になってしまわないように努めながらルルはロイの
エインワーズ商会が
インワーズの職人も何人も
「ミスターだなんて。そんな
ルルの
呼び捨てし合うような仲ではなかったように思うのだが、確かに落ちぶれたルルが「ミスター」なんて呼ぶと
「ロイは今何をしてるの?」
「商会を継ぐために勉強中なんだ。うちの弟はまだ小さいから、順調にいけばあと数年で僕に
ルルの目をまっすぐに見たロイは言った。
「ルルちゃん、良かったらうちにおいでよ」
「えっ?」
「借金のカタにメイド業なんて……、ルルちゃんの才能が
イデアマンでエインワーズ商会で生き生きと働いてる女の子だったのに、あんな性格の悪い男の元で働かされているなんてひどすぎる!」
性格の悪い男……。
「あ、でも、素行は子どもの頃よりはましになっているというか……」
「そんなの当たり前だよ! 外では
大丈夫なのかと本気で心配されてしまう。
ロイにとってはジェラルドが喧嘩に明け暮れ、相手をぼこぼこにするほどに
「きみがあの男に借りてるっていうお金は……、
「ちょ、ちょっと落ち着いて。わたしなら大丈夫だから。
セクハラ命令のことは
「少しずつだけど順調にお金も返せているし、何より、わたしもちゃんと返済する気があるから、ここでロイにお金を出してもらうのは違うと思うわ。お金の借り先があっちこっちに変わるのもどうかと思うしね」
「僕はきみに貸しを作る気なんて……」
「でも、コールドスミス商会はまだお父様のものでしょう?
小さな子どもを
「だったら、早く借金が返せるように協力するよ」
「協力?」
「うん。エインワーズ商会の品をうちの
なるほど。
エインワーズ商会の看板はもう落ちぶれている。コールドスミス商会の名前を借りて商売をするわけだ。……悪くないかもしれない。
ロイの提案にルルの気持ちは前のめりになった。
「この話、父様に相談してみてもいい? あと一応、ジェラルドにも……」
「もちろん。ゆっくり考えてもらって構わないから。……ごめんね、本当ならお茶でもゆっくりしたいところなんだけど、このあと打ち合わせがあって……。また
そう言って片手を上げて
*****
グランシア侯爵邸に帰ったルルを待ち構えていたのはオリアンとハリエットだった。
使用人用の通路にいた二人は、ルルの私服姿を上から下まで
「……まあ、いいか」
「ええ、派手でも地味でもないし、これでいいんじゃないかしらぁ。
「そうね。ルル、あんたちょっと後ろ向いて」
「えっ、何……?」
下ろしていた髪にバレッタか何かをつけられる。訳がわからないルルは背中を押されて元来た道を歩かされた。
「あの、わたし、帰ってきたばっかりなんだけど……?」
例の八番街での事件以降、親しく話をするようになったハリエットと、彼女と仲のいいオリアンが「まあいいからいいから」とぬるい
屋敷の裏口に連れて行かれたルルの前に現れたのはジェラルド――なぜか彼の服装はラフなシャツにジレを重ねただけの
訳がわからないでいるルルをジェラルドの元に押しやった二人は
「いってらっしゃいませ、ジェラルド様」
「ご苦労だった。行くぞ、ルル」
「……行くってどこに?」
「デート!?」
「思えば、再会してすぐに
「……まあ、そうね。
ハリエットたちはどうやらジェラルドの指示でルルを捕まえてこいと言われたらしい。
不満そうな顔をしているルルに対し、ジェラルドは強気だ。
「ボーナス、
「わたし、今日は休日よ」
「それなら休日手当も
そこまで言われたらルルに断る理由はない。「文句ないな」とジェラルドは
「どこに行くの? あなたがそんなラフな格好をしているってことは、高級店じゃないのよね?」
「ああ。四番街の方にはよく行くか?」
「四番街……は、あまりないわね。確か、あの辺りって貴族がお忍びで遊びに来てることが多いんでしょう?」
高級住宅街の二番街からも行きやすく、ウインドウショッピングを楽しめるようなブティックやカフェが多いと聞く。街中デートと言えば四番街は定番中の定番スポットだ。
「令嬢たちから評判がいいと聞いていて、一度行ってみたいと思っていた店があるんだ」
「……じゃ、そのご令嬢と
「ほほう、やきもちか?」
「違うわよ。そのご令嬢たちはあなたとデートがしたかったんじゃないかなって思っただけで」
「心配するな。俺は誰とでもデートをするような
「だから違うってば」
やきもちなんか
からかわれてむすっと
「うわ~~~! かわいい~~~!」
ルルはキラキラした目で展示
――連れてこられたのはドールハウスの販売店だった。
ベッドが配置された『
「すごいわ! こんなに小さいのになんて
子どものままごと遊び用ではなく、大人の女性がコレクションして楽しむ品だ。お値段もそれなりにするが好きな人にはたまらないだろう。貴族の女性たちがお忍びで
「本当にかわいい……。ずっと見ていられるわ」
うっとりとドールハウスに見入ってしまう。
「好きなだけ見ていていい。この時間は貸し切りにしてあるからな」
「貸し切……、えっ貸し切り? わざわざ!?」
「別に大したことじゃない。そのほうがゆっくり見られていいと思ったんだ」
貴族あるあるというか、エインワーズ商会でも貸し切りにしておいてくれと言う貴族はたまにいた。飛び上がって驚くようなことではないのかもしれないが……。
「好きだろ、こういうの」
「ええ、好き! 大好き!」
勢い込んで答える。
その勢いに押されたようにジェラルドは目を
(しまった……。わたしったらなんて単純な!)
ジェラルドにからかわれて膨れていたくせに、店に入った
なしだ。なのにジェラルドははしゃぐルルを
「あ、ありがとう。その、……
「別に、俺がお前と一緒に出かけたかっただけだから気にするな。慣れない職場で頑張っているようだし、これまで家のことで気を張っていただろうから、
笑顔に続き、畳みかけるように優しい言葉までかけられ、ルルの心臓は再び
きっとこれはまたルルをからかっているだけに違いない。そう思う反面、
(……わたしの喜ぶようなところに連れてきてくれたりとか、そもそも借金を肩代わりしてくれたりとか……。優しい
意地悪なところはあるが
(それなのに、どうしてわたしはジェラルドの好意を
わたしが意地を張っているだけなのか。それとも、子どもの頃にキスされたことを根に持ち続けているから?
(違う。もっと何か、こいつのことが
「――このマントルピース、うちのタウンハウスのものと似ているな」
ジェラルドはルルが照れて黙りこんでしまったと思ったらしい。
喋りやすい話題を提供してくれてほっとした。ルルは慌てて話に乗る。
「応接間にあるやつね。確かに
「銀食器は本物の銀か? ずいぶん細かく再現しているんだな……」
木製のマントルピースの上には小さな
る銀食器が置いてある。話していると、店内にひっそりと
「銀は混ぜ物でございますよ。ですが、銀食器の製作自体は細工職人さんにお願いしておりますの」
「へええ……。細工職人さんってこういう仕事もするんですね」
「はじめは木材を加工したものに
「コールドスミス商会が……!」
こういう繫がりの作り方や営業方法もあるのかと感心してしまった。
(やっぱり、商売に関しては向こうの商会の方が上手だわ)
ロイが自分で言っていたように販路や伝手はたくさん持っていそうだ。ちょうど話題に上がり、良いタイミングだと思ったルルは、ジェラルドに話を切り出すことにした。
「あの。実はね、コールドスミス商会の
「いつの間にそんな話を?」
「本当についさっきよ。屋敷に帰ってくる前に
ジェラルドは思案顔をした。
「……エインワーズ家は確かダミアン伯爵からの援助話を断られたと言っていたな」
「ええ、そうなの。今はあなたのおかげで商会を
「そういうことなら俺がなんとかしてやる。俺は経営のことにごちゃごちゃと口を出すつもりはなかったが、わざわざよその商会の手を借りるくらいなら、誰か興味を持ちそうな貴族を紹介してやるよ。それでいいんだろう?」
「…………」
なんだろう。
「そうじゃない」という気持ちがルルの中に
ジェラルドの紹介なら変な相手ではないだろうし、わざわざロイの手を借りなくともジェラルドにお任せしてしまえばいい。トーマスだってジェラルドの伝手を使えばいいと言っていたではないか。
「だけど……、できればあなたのコネじゃなくて、自分たちの力で仕事を取れるようになりたいというか」
「お前の今の仕事は俺のメイドだろ。
無駄。
ガン、と頭を
今日のデートで、ルルはなんとなくジェラルドとの
「ふん。まあ、そんなに言うならやってみろ」とか、「失敗して俺に泣きつく羽目にならないといいな」とか。意地悪なことは言われるだろうが、賛同してくれるだろうと勝手に思い込んでいたのだ。
商会の今後を
「無駄で悪かったわね。でも、わたしにとってはその無駄な時間が大切なのよ」
「……無駄という言い方が気に
「わたしはあなたに頼り切りになりたくないのよ」
資金も契約もすべてジェラルドに依存して、いつか放り出されたらどうするつもりなのか。ジェラルドが永遠に我が家を助けてくれる保障なんてない。本当に結婚する相手ならともかく、ルルは求婚を受けるつもりはないのだから。
……そうだ、どうしてこんなにもジェラルドの好意を信じられないのか。思い出した。
『ジェラルド・フィリーがルルちゃんに「本気にするなよ、馬鹿女」って伝えてほしいって言ってたんだけど、……なんのこと?』
ジェラルドが学校を
なんのことを言われたかわかったルルはカッと頭に血を上らせた。
本気にするなよ、馬鹿女。つまり、「
勝手な宣言をして、勝手にいなくなって。
そんな相手のことを信じられるわけがない
。
「商会のことはメイド業の時間外にやるわ。それなら仕事に差し障りもないし、あなたに迷惑をかけなければ構わないでしょう?」
「そんなに俺を頼りたくないのか? 俺にはコールドスミス商会とやらがエインワーズ家の利益を
「騙されてなんか……」
「いいから黙って俺の言うことだけ聞いてればいいんだよ」
この話はこれで終わりだと言わんばかりにピシャリとシャットアウトされる。
出資者だからジェラルドの発言権が強いのは当たり前だが、何もかもやる前から無駄だと言われたルルは悔しくて食い下がった。
「……なんでもしますからやらせてください」
「はっ。なんでも?」
「エインワーズ家の娘として仕事がしたいんです。お願いします。コールドスミス商会と仕事をさせてください」
「なんでもするというのならキスでもしてもらおうか。『大っ
キスって。この男は本当にことごとくこちらを馬鹿にしている。
どうせルルはできないとタカをくくっているんだろう。「できるわけないでしょ、馬鹿じゃないの!」と言ってあきらめると思っているのだ。
ぐいっと体重をかけて引っ張る。
「…………男に二言はないわよね?」
ジェラルドは
「お、お前、何してるんだ、今っ」
「キスをしたら認めてくださるんですよね? これで文句はないはずですので、コールドスミス商会とのお話を進めさせていただきたいと思います。メイド業に支障を出さないように
「お、おい、ふざけるなよ、そこまでしてあいつの所に行きたいのか」
「ロイの所に行きたいんじゃない。わたしは、うちの商会のためになるように働きたいだけ」
「だからそれは俺がなんとかしてやると言っ」
「あんたのことなんか信用できない。……いつ、あんたの気が変わって、昔みたいに人を罵倒していなくならないとは限らないもの」
「昔みたいに……? 何の話だ、おい、ルル!」
(キスくらいで馬鹿じゃないの)
……昔のわたしもあんなふうにみっともなく取り乱していたんだろうか。ルルは苦い気持ちになった。
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