マゼンタ・ソーマ、お嬢様を惑わす

「失礼する」

 先ほどまで冷たくあしらっていたはずのマゼンタを背中にかばいつつ、赤羽あかは烈堂れつどうは守護隊部のドアを開く。


 彼らを出迎えたのは、一人の女生徒。

 くれないに染まる鮮やかな髪は左右で螺旋をえがき、腰のあたりまで届くいわゆる縦ロールを形づくっていた。切れ長の目も、真っ直ぐな鼻すじも、薄く紅を差した唇も、見るものすべてに高貴な印象を抱かせる。

 発展途上の美少女というより、完成された美女と言った方が彼女にはふさわしいだろう。


「おオー、おジョーサマ、おジョーサマがいますヨ!」

「おいマゼンタ、まさかお前、入学式のことをもう忘れたのか?」

 新入生代表としての挨拶を見事につとめあげた彼女のことは、新入生であれば皆知っているはずだった。

 その名も、その姿も、ひとたび見知ったならば忘れようもないものだったから。


 彼女の名は――。


「静まれい!」

 だが、『お嬢様』と言葉を交わす間もなく、天井から降って来た女の声が彼らの間に割って入る。


「っ!?」

「上だ」

 一瞬その身を強張らせたマゼンタに対し、烈堂は一人で腕を組んだままちらりと視線を向けただけだ。

 その視線の先では、天井に開いた管理作業用と思しき穴から、一つのあかい影がこぼれ落ちた。


 影は空中で反転し、忍びの者とは程遠い目を引く朱色しゅいろ――橙色を帯びた赤――の装束を纏ったくいちが一人、音もなく床に降り立つ。あかずくめの装束の中で、ポニーテイルにまとめられた黒髪だけが、彼女を追うようになびく。

 その顔も忍者らしく覆面で覆われており、わずかな隙間から鋭い眼光が烈堂たちを見据えていた。


「忍者、朱藤すどう四乃舞しのぶ、ただいま参上!」

 時代劇というより、漫画に出てくるキャラクターのように名乗りを上げたくノ一……四乃舞は、続けてあるじの元に素早く駆け寄り、彼女に変わって口上を述べる。


「こちらにおわすお方をどなたと心得る。恐れ多くも紅路樹こうろぎ学園理事長のご令嬢にして入学試験最優秀者、紅蓮小路ぐれんこうじ焔子ほむらこ様にあらせられるぞ!」


 そして、くノ一の紹介を受けた令嬢は、一歩進み出るとその唇を開く。

「御老公の御前である! 頭が高い、控えおろう! って誰が御老公ですの!?」

「誰が御ろ……いやすまん出遅れた何でもない」

「ノリツッコミは貴族のたしなみ。そうそう庶民相手に遅れを取ったりはしませんわ」

「すまんな。庶民だから上流階級の風習にはうといんだ」


 烈堂は咳払いを一つして、呆れたような表情を消す。そうして気を取り直すと、一瞬左下に目を向けた後、再び焔子に向き直った。

「挨拶が遅れた。俺は一年五組の赤羽烈堂。そこで土下座してるのが二組のマゼンタ・ソーマだ」

「ははァー」

「あの、何故なにゆえにいきなりそんなところで平伏など?」

「いや、お嬢がノリで頭が高いとか言い出すからでござる」

「ええと……別に、ほんとに頭が高いなどと考えていたわけでは……」


 動揺するお嬢様の代わりに、四乃舞が声を上げる。

「マゼンタ・ソーマ、立ちませい!」

「ははァー」

 そうやってようやく立ち上がったマゼンタに、失礼、と焔子は声を掛けた。

Nice to meet youナイストゥーミーチュー, Ms.ミズ Somaソーマ. Myマイ nameネーム isイズ Homurakoホムラコ Gurグr

「あいきゃんとすぴいくいんぐりっしゅう」

Ha?」

 流暢な英語をさえぎって放たれたマゼンタの棒読みに、焔子は思わず絶句する。


「からかわないで下さいまし。私はまじめに……」

「いや待ってくれ。こいつのことは小さい頃から知っているが、これが素だぞ」

「事前に調査をいたしたが、父親がアメリカ人というだけで、日本生まれの日本育ちという話でござったな」

「し、しかし、英語の授業ぐらい、小学校から受けているでしょうに」

「それは俺たちも同じだが、皆が英語ペラペラになるわけじゃない。こいつは中学の時から英語は2だったぞ」

 英語というか……それ以降の言葉を烈堂は呑み込んだ。それはいま語るべきことでもあるまい。


「百点満点ですの……?」

「5段階評価だよ!」

「いえしかし……先程から聞いていれば、日本語の方もおかし……失礼、不自由、ではなく不如意と申しますか……」


 言葉を選んでいるらしい焔子を、もういい、言いたいことはわかった、と烈堂は制する。

「『日本語以外は話せない』と『日本語が不自由』は両立する。何の疑問もないだろう」

「それでしたら……は普通に書けますでしょう?」

「ハイ」

 焔子の問いかけに短く応えると、マゼンタは近くの机の上に置かれていた紙とペンを手にとり、でかでかと『ぢ』の一文字ひともじを書き上げた。


「人の不安を掻き立てないと生きていけないかたですの!?」

 一瞬声を荒らげた焔子であったが、手にした扇でその顔をあおぎつつ大きく深呼吸する。


「しかし、無駄に達筆なのがまた何と言いますか……」

「誰にでも特技のひとつやふたつ、あるものでござる。問題はもうひとつの特技でござるが……」

「特技ですカ! 小粋なジョークなんかも得意ですヨ!」

「待て! お前得意の意味を理解してないだろ!?」

「そこからですの!?」

「まあまあ、いいではござらんか。自己紹介代わりにお笑いでも一席」

「俺は知らんぞ、どうなっても」

 ため息とともに視線を逸らす烈堂。


 他の二人の注目を浴びながら、マゼンタは満を持して唇を開いた。

「『魚屋のオッサンがオナラした』『ヘー』」

「………………………で?」

 訪れるべくして訪れた沈黙に耐え兼ね、烈堂は不機嫌な表情と声をマゼンタにぶつける。


「おアトがよろしかったデスか?」

「よろしいわけねえだろがあああ!」

 状況を理解していないその態度に、烈堂の我慢は限界に達した。


「知性とか理性とか品性とか、そういったものがお前からは一切感じられないんだよおおおお!」

「言葉のイミはよくわからんガ、とにかくヒドい言われよう」

 マゼンタの相手は諦め、烈堂は先程から何も言わない焔子と四乃舞の方に向き直る。主従は、凍りついたように動きを止めていた。


「……………………」

「……………………」

「おい、あんたらも黙り込んでないで何とか言ってやってくれ」

「にんともかんとも」

「……………………」

「お嬢も、あきれてものが言えぬとのおおせにござる」

「いや何も言ってないだろ。それはそれで間違いではないが」


 それよりも、と烈堂は本来の目的を果たそうとする。

「この部についてなんだが……」


 まだ動きのぎこちない焔子に代わり、四乃舞がそれを制した。

「そ、その前に、もう一人のメンバーを紹介するでござる」

 四乃舞とともに、焔子も部室の奥へと視線を送る。

 その先には、応接間のようなソファーに腰を下ろした女生徒が一人、先ほどからの騒ぎをまったく気にも留めずに、カバーをかけた本を熱心に読みふけっていた。

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