後日譚219.元知の勇者は定時前に帰る
シグニール大陸から海を渡って来たに進んだところにミスティア大陸がある。
大陸の中央には東西を分断するように広がる『大樹海』という魔物たちの領域があるため、以前までは横断するためには限られたルートを通るしかなかった。大樹海を迂回するように船を使って海路で行くか、大樹海の端っこにあるエルフたちの国を通るか。
安全なのは当然陸路だが、通るためにそれ相応のお金が必要だった。
だが、少し前からは海路は全く使われなくなった。
世界樹の問題を解決した異世界転移者シズトが作り、保管してあった転移門が各国に設置されたからだ。着々と設置、開通が進み、今ではミスティア大陸にある十四ヵ国全てが繋がっている。
起点となるのは依然としてエルフたちの国イルミンスールではあるが、毎月一定の使用料さえ払えばそれ以上支払うものはない。
各地より珍しい品々を買い集めてはイルミンスールに持ってきてビッグマーケットで売り買いしていた。
その結果、過去に例を見ない程エルフたちの懐は潤った。邪神の信奉者によって一時は経済活動が壊滅的な被害を受けていたのが嘘のようだ。
「まあ、転移門の制限が緩和されたらそりゃ直接買い付けに行くよね」
最近のイルミンスール国内の経済状況をまとめた報告書を読みながらそう呟いたのはタカノリという男性だった。茶色の髪はしっかりとセットされており、服は皺ひとつなく、靴はピカピカに磨き上げられている。
以前までは知識の神ナレジから加護を授かっていたので『知の勇者』として活動していたが、今は都市国家イルミンスールの外交官として働いている。
外交官と言っても内政にも意見できる権限をシズトから与えられており、仕事は多岐にわたるのだが、今は転移門の制限を解除した事による影響に関する考察がまとめられた報告書を読んで何事か考えている所だった。
「…………うん、概ね想定内の動きだね。ビッグマーケットはどう?」
「大きな影響はないようです。直接買い付けや売りに行くのは一部の商人だけで、ビッグマーケット自体は相変わらず数カ月先まで場所の予約が入っております」
タカノリの問いかけに答えたのはキラリーというエルフの女性だ。エルフ特有の金色の髪は長く腰まで伸ばされているが、後ろで一つに結われている。緑色の瞳は少しつり目がちで、きつい印象を見る者に与えるが、仕事はしっかりとこなす真面目たエルフだった。
その真面目さが認められ、本来世界樹の使徒の許可が下りないと行えない内政に関する事のほとんどを任されるようになっていた。
「そっか。多少影響はあると思ったけど、ほとんど変わらなかったね」
「変わった事と言えば参入する商会の大きさくらいでしょうね。ビッグマーケットに残った商人たちは安定を好むようです。一方、転移門を使って行き来しているのは行商人やまだ自分の店を構える事ができていない駆け出しの商人が多いようです。自分の足で販路を切り開こうとしているんでしょう」
「行ける範囲が広くなって可能性も広がったんだろうけど、くれぐれも伝染病には気を付けないとね。あっという間に広まっちゃうから」
「そうですね。個々人で気を付けるようにアナウンスは再三しておりますが、万が一のために薬草もストックしておく必要がありそうです。フローレンス王国にも根回しをしておきます」
過去の勇者たちが興した国が大樹海の西側に八ヵ国ある。その内の一つであるフローレンス王国は、大樹海に接している国の中で一番北にある。
フローレンス王国の特徴といえば、何といっても医学と薬草学が発達している事だった。周辺の国々の王侯貴族は、なにか病気にかかるとエリクサーを求めてイルミンスールに行くのではなく、近場のフローレンスに向かうくらいにはその確かな技術は認められている。
過去の世界樹の使徒はそれが気に入らなかったようで、貴重な霊薬を高値で買い取らせようとしていたのだが、『大樹海で採れるものをわざわざ買わない』と言って跳ね除けたというエピソードは今でも有名だ。
転移門を設置するのが最後だったのもこのフローレンス王国だった。代替わりしたとはいえ、世界樹を擁するイルミンスールとは一定の距離を保ちたいようで、他国と比べると王侯貴族の来訪が極端に少なかった。
それでもタカノリの活動のおかげで以前と比べると関係は良好になりつつある。根回しも問題なくする事ができるだろう、とタカノリはキラリーを見送った。
「そろそろ帰るか」
窓の外を見ると既に日が暮れかかっている。この後の来訪の予定はなく、夜にいきなりやってくる人は一先ずエルフが対応してくれている事になっていたのでタカノリは部屋を照らしていた魔道具から魔石を抜き取って近くの魔石置き場に置いておくと部屋を後にした。
迎賓館から出て馬車に乗り込み、家に着くまでのんびりと車窓から外を眺めるタカノリ。
通りを歩くのはエルフと人族が多く、時々ドワーフや獣人族などがいた。身綺麗な格好をしている者もいれば、仕事帰りっぽい冒険者の姿もある。
(歩いた方が早かったかな)
そんな事を思いつつも、のんびりと行き交う人々の様子を眺めるタカノリだった。
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