後日譚214.子狐はへし折られた

 シズトたちに『本館』と呼ばれている建物と比べると少し小さい建物では、シズトの家族以外が寝泊まりしていた。本来は本館で働く侍女たちを住まわせるために建てられたため部屋は狭く、数が多いのが特長だ。

 だが、今住んでいるのは半数ほどが本館に立ち入らない者たちだった。中には日中、一歩たりとも部屋から出ない者もいる。

 そんな事情を知る由もなく、エドガスは別館の一室に通された。普段は物置と化しているその部屋は、シズトを尋ねてやって来た人や、貴族の関係者が待機する部屋だった。

 アクスファースの辺境にある開拓地では見られないような豪華な作りの机と椅子が用意されていて、そこに座らされたエドガスはしげしげと机と椅子を見ていた。

 だが、彼の白い狐の耳がピクピクッと何かに反応すると、視線を扉の方に向けた。しばらくするとその扉が開かれて、彼の姉であるエミリーと女性が数人入ってきた。全員同じ服を着ていて、その内の二人は首に奴隷の証である首輪を着けていた。

 容姿の整ったエルフの女性とダークエルフの女性が奴隷の首輪を着けている所を見ても、義兄がお金持ちだという事は分かった。

 エドガスは興味が惹かれなかったが、人族は綺麗な女性であればだれでもいいという話だったので、この二人も夜の相手もしているのだろう、と勝手に考えていたエドガスは、ピンク色の髪の少女に話しかけられてやっと視線をそちらに向けた。


「こんにちは。私はアンジェラです。見習い侍女をしてます。よろしくお願いします。エミリーさんにそっくりですね」

「そうね。久しぶりに会ったけれど、随分と似ていてびっくりしたわ」

「……眠い。部屋に戻っていいか?」

「良いわけないでしょ」

「……じゃあここで寝る」

「ちょっとダーリア!」

「仕方ないよ、ジュリーンさん。ダーリアさんは夜行性の種族なんだから」

「アンジェラ、何でも素直に受け入れるのは貴女の良い所でもあるけれど、良くない所でもあるわ。それは嘘よ」

「そうなの!?」


 目を丸くして驚いた様子のアンジェラと、呆れた様子のエルフの女性ジュリーンはダーリアと呼ばれたダークエルの女性を見たが、彼女は既に椅子に座って目を瞑っていた。

 シズトの命令によって合法的にサボれると意気揚々とついて来た彼女らしい行動だった。


「……今のこれだけ見ても分かるでしょ。奴隷だったとしてもここまで自由に過ごせるのよ」

「ダーリアがちょっと特殊なだけで、シズト様の奴隷でもちゃんと働いていますよ」

「むしろ待遇が良いからみんな頑張ってるよね。それで、エドガスくんは私たち……じゃなくて、ジュリーンさんたちに何が聞きたいのかな?」

「えっと……主人の不満、とか?」

「いや、普通の奴隷だったら主人に対する不満は喋らないわよ。そんな事したら罰が待ってるから」


 呆れた眼差しでエドガスを見るエミリーだったが、シズトは不満を言われた程度ではそんな事はしない。

 だから不満を述べてもいいのだが、ジュリーンはしばし考えたが困った様に眉を八の字にした。


「特にこれと言って思い浮かばないわね。夜の相手をするように命じられた事がなかったからちょっと拍子抜けしちゃったけれど、別にシズト様の事は異性として好きという訳じゃないから別にいいし」


 ジュリーンに同意するように目を瞑ったままダーリアが「めんどいだけ。余計な仕事は増やさないのが大事」と言った。

 まあ、当然主人の不満なんて出るわけないよな、とエドガスが勝手に納得していると、ピンク色の目の少女アンジェラが元気よく挙手をした。


「私はあるよ! シズト様はね、私にあんまり仕事をするなって言うの。あと、危ない事もダメって」

「まあ、シズト様からしてみるとまだまだ子どもだから仕方がないわよ」

「もう身体強化だってバッチリ使いこなせるのに……。ジュリウスさんには全然勝てないけど、冒険者にはいつでもなれるってお墨付きも貰ってるんだよ」

「……へぇ」


 それまで黙って成り行きを見守っていたエドガスは、全く興味が湧いていなかった人族の少女に視線を向けた。自分よりもいくつか下のように見えるその小柄な少女の手足は細く、魔力もあまり感じられなかった。

 不躾な視線を向けられてもアンジェラはニコニコとしている。


「俺も冒険者になりたいって思ってんだよね」

「そうなの? この後一人で鍛錬する予定だったし、一緒にする? あ、でも町の方に出かける用事があるんだっけ?」

「別に、鍛錬が終わってからでもできるから問題ねぇよ。稽古をつけてやんよ」

「ほんと? ありがと!」


 満面の笑みで笑うアンジェラを心配そうに見ている者はいない。むしろ姉に心配そうに見られている事に苛立ちを感じたエドガスは「さっさとやろうぜ」と言って部屋から出て行く。

 そんな彼を追い越したアンジェラは、普段鍛錬をする場所として使っている所へと案内した。

 普段使っている鍛錬をする場所はそこまで遠くない。畑の中にぽつんと何も植えられていない場所があった。


「エドガスくんは何を使うの?」

「軽くやるだけだったらいらねぇだろ」

「そっか~。じゃあ私も無手で相手するね」


 そう言ったアンジェラは、特に合図する事もなくエドガスに突っ込んだ。

 エドガスは正面から彼女を迎え撃とうと魔力を体に纏わせたが、その瞬間、視界からアンジェラが消えたかと思うと視界がぐるりと回る。


「え?」

「あ、ごめん。ジュリウスさんとやる時は『実践には合図なんてない』って言われてたから癖でいきなりやっちゃった。大丈夫?」


 気が付いた時には地面に大の字になって倒れていたエドガスは、青い空と白い雲、それから心配そうにこちらを見ているアンジェラとひらひらとそよぐスカートをこれから何度も見上げる事になるのだった。

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