後日譚195.獣人コンビはマーキングした

 シズトが信仰している神々の教会に行き、祈りを捧げて屋敷に帰ったのは日が傾き、影がだいぶ長くなった頃だった。もう少し時間が進むとシズトの加護により雨が降り始める事を知っている者たちは仕事を終えるために片づけをする者もいれば、雨具を準備して雨の中でも出歩けるようにする者もいた。

 禁足地として指定されている世界樹の根元に広がる畑でレモンちゃんと別れたシズトは、いつも通り正面玄関から屋敷に入った。

 彼を出迎えたのはシズトが帰ってきた事を持ち前の耳の良さで感じ取った狼人族の女性シンシーラだった。栗毛色のモフモフの尻尾は感情に合わせてブンブンと振られていたのだが、シズトのすぐ近くまで寄ってきた彼女は何かに気付いた様子で固まった。


「どうしたの?」

「………………」


 無言で匂いを嗅ぎ始めたシンシーラはシズトの周りをぐるぐるぐるぐる回りながらシズトの匂いを嗅ぐ。

 スンスンスンスンと匂いを嗅ぐ音を聞きつつも、たまにある事だったのでシズトは気にしないようにして手を洗うためにそのまま一階の奥を目指す。

 目指す場所は調理スペースである厨房だった。


「お帰りなさいませ、シズト様。夕食の準備はもうすぐ終わりますから食堂でお待ちください」


 鍋の前に立っていた狐人族のエミリーが首だけで振り返ってシズトに挨拶をした後、味見の途中だったようで小皿によそった物を口に含んだ彼女は首を傾げ、調味料に手を伸ばした。

 シズトは邪魔をしないようにさっさと手を洗って食堂を後にしたのだが、シンシーラは食堂に戻った。


「大変じゃん! なんか知らない女の臭いがシズト様からするじゃん!」

「町へ出かけたからじゃないの?」

「そうじゃないじゃん! 獣人族の女の臭いがしたじゃん!!」

「…………町の子たちの中に獣人族の子がたまたまいたんじゃないの?」

「いたとしても町の子たちはシズト様に気安く近づかないように厳命されてるじゃん! 間違いなく触れ合った匂いがしたじゃん!」

「……………………とりあえず食事の準備があるからそれから話を聞きましょう」


 目が据わったエミリーはそれだけ言うと自分の仕事だとせっせと食事の準備を再開した。

 ただ、シズトが屋敷に入ってからご機嫌層に振られていた真っ白でモフモフな尻尾はピクリとも動いていなかった。




 配膳の際にさり気なく臭いを確認したエミリーは、壁に控えている間しかめっ面になっていたし、隣にいたシンシーラはムスッとした表情だった。

 だが、シズトがどうしたのか問いかけても「まずは冷めないうちにお召し上がりください」とエミリーは理由を説明しない。

 何だろう? と疑問に思いつつも言われた通り気持ちはやめにせっせと食事を進めた。

 一通り食事を終えたところでシズトが再び問いかける。


「それで、どうしたの? 何かあった?」

「何があったのか聞きたいのは私たちの方です」

「どういう事?」

「失礼します」


 一言断りを入れたエミリーは、シンシーラと一緒にシズトに肉薄すると、スンスンスンスンと鼻を鳴らしながらシズトの体に着いた臭いを嗅ぐ。

 食事のいい香りが部屋に充満していても、体が密着するくらいの距離で臭いを嗅げば微かに残った臭いを嗅ぎ取るのは容易な事だった。

 座ったシズトをシンシーラとエミリーは見下ろすように見た。


「シズト様」

「はい」

「獣人のカフェにまた行ったんですか?」

「行ってないよ。客引きはされたけど時間がなかったから」

「その時に接触はありましたか?」

「ないよ? 浮遊台車で移動中に声を掛けられただけだったからね」

「でしょうね」


 エミリーが嗅ぎ取った臭いは一人だけだった。シズトが以前行ったカフェであれば無数の女性の臭いがきつくこびりついているはずだ。

 シンシーラが目を細めて尋ねる。


「じゃあどうして獣人の女の臭いがシズト様の体からするじゃん?」

「え、なんでだろ?」

「とぼけても無駄じゃん! 臭いはごまかせないじゃん!」

「そう言われても心当たりがないし…………あ」

「やっぱり何か心当たりあるじゃん!」

「うん、まあ…………たぶんランじゃないかなぁ。ほら、ラオさんたちは覚えてるでしょ? 猫の目の宿の娘さん」


 事の成り行きを魔力マシマシ飴を舐めながら眺めていた赤髪の女性ラオは「ああ」と端的に答えた。


「久しぶりにあそこのポトフが食べたくなったから行ったんだよ。決して何もやましい事はないからね」

「っていうか、シズトの場合はそういう事をしたら後が面倒だからしねぇだろ」

「それもそうよねぇ。これ以上お嫁さんは増やしたくないっていってたし」


 シズトの味方をするように話に加わったのはラオの妹であるルウだ。彼女もまた髪は赤いがラオと異なり長く伸ばしていた。その長い髪を指で弄りながら言葉を続ける。


「でも、臭いがついちゃうって言う事は何かしらあったのかしら?」

「何もなかったよ。話はしたけどそれくらい」

「体がぶつかったりとかはしてないのかしら?」

「あー、配膳の時に当たったかな。ほら、エミリーも良く僕に尻尾が当たるじゃん。あんな感じ」


 エミリーの場合はわざとだ。だからエミリーはその獣人族の女性がわざと尻尾を当てたんじゃないか、と邪推したが、それに関してはシズトは悪くない。

 これ以上問い詰めても何も出ない、といつの間にか『加護無しの指輪』という魔道具を指から外していたレヴィアが言った事で話は終わった。

 だが、知らない女の臭いがついている事に我慢できなかった二人はホムラとユキにお願いして夜一緒に過ごすのを代わってもらうのだった。

 その日、シズトがモフモフの尻尾を夜遅くまでモフモフし続ける事になったのは言うまでもない事だった。

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