第4話 錠者と鍵者

 魔王に睨まれたぼくの全身から、大量の汗が流れ始めた。


「お主、封印を破って落ちて来たように見えたがまさか……」


 魔王の目がスッと細くなる。


「地上から来たのか?」


 ここで何と答えるかによって、自分の首と身体がさよならするハメになるかもしれない。そう思ってしまうと、ぼくの喉は詰まってしまった。


「お父さま、鍵様ダーリンは今しがた目覚めたばかりでお疲れのはずですわ。そんな風に怖い顔をして問い詰めたりなさらないで……」


 そう言ってディアリーネさんが、魔王の肩に手を添える。


「そ、そうだったな。鍵者むこ殿、申し訳なかった……って、おぉぉぉ!?」


 突然、魔王が素っ頓狂な声を上げる。


 元々が赤い髭面の厳めしい面だけに、ギャップが激しくて、ぼくは思わず笑ってしまった。


 もちろん心の中だけで。


 右手をぼくの頬に添えたまま、左手を魔王の肩に触れていたディアリーネさんが、魔王に続いて驚きの声を上げた。


「えっ!? えぇぇぇぇぇ!?」


 ディアリーネさんがパシパシと魔王の肩を叩く。


「!?」


 何度か魔王の肩を叩いた後、ディアリーネさんがハッと何かに気が付いた表情になった。


 彼女がぼくの頬から手を放して、魔王の肩を叩く。


「!?」


 パシパシという音は鳴ることなく、ディアリーネさんの手は魔王の身体をすり抜けた。


 次に彼女は、ぼくの頬に手を添えて魔王の肩を叩く。


 パシパシッ!


「「!?」」


 魔王とディアリーネさんが、しばらくお互いを見つめ合った後、


「お父さま!!」

「ディアリーネ!!」


 お互いを呼び合った後、ヒシッと二人は抱き合って泣き出した。


「おおぉぉぉ! 触れられる! お前に触れることができるぞ、ディアリーネ!」

「お父さま! お父さまの温もりが伝わってきますわ!」


 おいおいと泣き出す二人を見て、周りの魔族たちも同じように泣き声を上げ始めた。




◆ 落ち着いた


「なるほど、鍵者むこ殿に触れている間は、ディアリーネも触れることができるようになるということか」


 魔王が赤い顎ヒゲを撫でながら言った。


 ちなみに今、ディアリーネさんは左手でぼくの手を握りながら、もう片方の手で魔族たちとの握手会の真っ最中だ。


「申し訳ない、鍵者むこ殿。錠者となったディアリーネには、もう二度と触れることができないものとワシも皆も覚悟しておった故、このような事態になってしまった」


 そう言って頭を下げる魔王は、普通の娘大好きパパ(娘に近づく虫には鬼神)そのものだった。


「あっ、いえ……ぼくは大丈夫です」


 魔王や周りの魔族に対する恐怖心が和らいだ。


 ……と思ったところで、魔王が最初の質問を繰り出してきた。


「それで鍵者むこ殿は、やはり地上から参られたのであろうか? ワシやディアリーネのことを知らぬというのであれば、少なくともこの地下王国の者ではあるまい?」


「あっ、はい。そうです……ね」


 不意打ちを喰らってしまったこともあって、思わず正直に答えてしまった。


「やはりそうであったか! 鍵者むこ殿、ぜひ地上の話を聞かせてくれ! 我々の同胞はどうなっておる? あの邪な神の威を借る人間共は未だ我が物顔で地上を跋扈しておるのか!? 」


「跋扈!? えっと……魔族も人間もどちらも普通に跋扈してますが、どちらかと言えば人間の方が多いですね」


「「「おおぉ!」」」


 ぼくの返答を聞いて、魔王だけではなく魔族たちも驚きの声を上げた。


 魔王が目を輝かせて質問を浴びせかけてくる。


「では状勢の方はどうなっておる? 人間共が奉じる女神勢と、我ら魔神の勢力はどうなっておるのじゃ?」


「人間が奉じる女神? ……女神トリージア様のことですか?」


 女神トリージアの名前を出した途端、一瞬にして静寂が訪れた。


 魔王の表情が悔しそうに歪み、その顔を伏せてつぶやく。


「トリージア…………か。我らが同胞は未だ奴の圧政の下にあって、辛い日々を送っているということか……」


 ぼくが状況が飲み込めないで困惑しているのをみた魔王は、ぼくの肩を叩きながら、何故か励ますように言った。


「だがもう大丈夫だ! 鍵者むこ殿よ! いまや我らにはミスリルジャイアントがある! この無敵の巨人の力によって、地上を再び我らの手に取り戻そうぞ!」


「「「おおぉ!」」」


 魔王の言葉を聞いた周りの魔族から再び歓声が上がった。


「きょ、巨人ですか。それってもしかして、ぼくが落ちたときに掴んでくれた……」


「そうじゃ! あの銀色の巨人こそ、我らが地上を取り出すための要! 錠者たる我が愛娘ディアリーネと鍵者むこ殿に従う魔神様の化身よ!」


 んーーーーー?


 チョットナニイッテルカワカリマセン。


 周囲を見回すと、恐ろしい姿をした魔族たちがジッとぼくのことを見つめてる。


 だが事態がよくない方向に進んでいるのは分かる。


 もしかして……もしかすると、穴の中でぼくはもう死んでいて、


 実は今、地獄にいたりするのでは!?


 あの暗闇の中で「死にたい」と思っていた自分は、いつのまにかどこかへトンズラしていた。


 今はただただ、この難所を乗り越えて生き延びようと、ぼくの全脳細胞はフル稼働していた。


 だが元々優れていたわけでもない頭では、何の解決策も思い浮かばない。


 再び汗が全身に次々と流れ出す。


 加えて、胃がキューッと締め付けられるのを感じた瞬間、


 フワッと柔らかくて優しいものが、ぼくを覆う。


「わたくしと一緒に地上を取り戻しましょう、鍵者様ダーリン! 」


 ぼくの鼻先で、ディアリーネさんが超絶素敵な笑顔を見せてくれた。


 ここは天国か!?


 地獄もあって天国もあるってことは、まだ自分は死んでなさそうだ。


 そんなことを考えつつ、少しずつ現状を受け入れ始めたぼくに、魔王がまた不意打ちの質問を繰り出してきた。


「ところで鍵者むこ殿は、人間を見たことがあるのだろうか?」


 というか予想外の質問だった。


「はっ?」


 またまた困惑するぼくにディアリーネさんが、魔王の質問について補足してくれた。


「私たちは、この地下王国に千二百年もの間、封じられてきましたの。今ではもう人間を見たことがあるものはいないのですわ」


 ディアリーネさんと魔王、そしてこの場にいる全魔族の視線が


 ぼくに集まった。

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