第3話 フォルトとディアリーネ
ぼくは夢を見ていた。
子供のころの夢だ。
それが夢だとわかったのは、ぼくが赤ん坊で母さんに優しく抱かれていたからだ。
そんな記憶はぼくにはない。そもそも母さんの顔を知らない。
孤児院では意地悪なシスターのひとりが、ぼくは山の瘴気が固まって孤児院に転がって来たのだなんて言っていた。
もちろん荒唐無稽な話だってわかっているけれど、心のどこかで納得している自分もいる。
だから母さんの温もりも匂いも、ぼくにとってはおとぎ話の中に出てくる不思議なものでしかない。
そしてこういう夢を見たときは、いつも最後には悪夢へと変わる。
どうせいつものように夢が禍々しいものに変わっていくんだ。
もうすぐ、どこからともなく悪鬼が現れてぼくを追いかけ始め、いつものように絶叫しながら目覚めるハメになるんだ。
そろそろ夢が目覚めに向っていることがぼくにはわかっていた。禍々しい黒色の魔物がこちらを覗いている気配を感じたから。
今ではもう母さんの姿は消えてしまい、代わりにぼくを取り囲む魔物たちの姿がハッキリと浮かび上がってきた。
これから始まるであろう悪夢に怯え、ぼくは思わず手を握る。
ギュッ!
何か柔らかいものを握り締めた感じがした。
と思ったら、その柔らかいものがぼくの手を握り返してきた。
思わぬ事態の発生にぼくの意識が急速に覚醒していく。
ぼくは豪華な寝室のベッドの上に横たわっていた。
そこにはぼくの手を握る美しい女性と、その背後に居並ぶ恐ろしい魔物たちの姿があった。
脳が情報を処理しきれずにパンクした。
『叫びたい』という本能と『声を出すな』という理性がごちゃ混ぜになった結果、
「おっ、おっ、おぉぉぉぉぉ!?」
ぼくの口から奇妙な音が漏れ出した。
「
女性が手を放し、優しいその手をぼくの頬に添える。
鼻腔をくすぐったふわっとした良い匂いは、夢の中で感じたのと同じものだった。
「おおおお、おはようございま……す?」
この美しい女性に見覚えがあるような気がする。
銀色の長い髪、透けるように白い肌、切れ長の目。その奥には強い意思が宿っているのが見える。顔立ちからは気の強さを感じるものの、その口元は柔らかく微笑んでおり、柔らかくて優しげな雰囲気を纏っていた。
一見すると大人びて見えるものの、よくみるとあどけなさが残っている。
なんてことを考えているうちに、ようやく今の状況を思い出すことができた。
確か今日、御使い様がジョイスさんたちを勇者する予定だったはずだ。
それでぼくは穴に落とされて怪我をして、石碑を見つけて雷に打たれて、落っこちて、目の前の美少女に出会って……。
とにかく結論として、いま僕は魔物に囲まれて絶体絶命の危機にある。
それだけは正しく理解できているはずだ。
「えーと、あの……どちら様でしたっけ?」
とりあえず目の前の優しそうな美少女に話しかけてみることにした。
いくら見た目が優しそうでも、とてつもない美人でも、その頭には角があり背中には翼のある魔族。ぼくの声が恐怖で上ずってしまうのは致し方ない。
周囲には恐ろしい形相をした鬼や人狼のようなモンスターがいるのだ。これで緊張しない方がおかしいだろう。
美少女は少し首を傾げ、不思議そうな顔で言った。
「あら? もうお忘れになってしまいましたの? わたくしはあなたの妻ですわ。
「はい!?」
ぼくは喉から思わず素っ頓狂な声を出してしまう。
ぼくの妻とか言ったかこの人?
「では改めまして! わたくしの名はディアリーネ。ディアリーネ・ファムドラゴ・ディデモニーク。魔族を統べるドラゴンの娘にして、巨神の錠。鍵たる者と共に永遠の時を生きるものですわ」
「は、はぁ……」
「つまりあなたの妻です!」
きっぱりと断言する彼女の顔がなぜかドヤ顔になっていた。
「ディ、ディアリーネさん。と、とりあえず助けていただいてありがとうございました」
本当に助けてくれたのかどうかはわからない。でもとりあえずは、お礼を述べて好感度を稼ぐべしという本能の声に素直に従っておくことにする。
ディアリーネさんは、ぼくのお礼に素敵な笑顔で応えてくれた。
それにしても、ぼくはこの地下迷宮の最深部に落ちたはずなのに何故こんなところにいるのだろう?
もしかしたらもうとっくに死んでいて、今は冥界にいるとか?
なんてことを考えていたら、ぼくを取り囲む魔物たちの中から、ひときわ身体の大きな魔人が進み出てディアリーネさんの横に並んだ。
ぼくの直感は、魔人がディアリーネさんの父親であると告げている。
「我が愛娘の婿殿。ご無事なようで何より」
魔族を統べるドラゴンの娘の父親……ってことはつまり魔王ってこと!?
ぼくは慎重に言葉を選びながら挨拶する――
「ま、魔王様、こ、ここの度は命を助けていただいてありがとうございました。ただ、ぼくはまだ結婚できる年齢じゃありませんし、ディアリーネさん……様のような高貴で美しい方の夫になるなんてひたすら恐れ多いので……そ、その謹んで辞退させていただきたいのですが……」
最後は超早口で声も小さくなってしまった。
魔王がギロリとぼくを睨みつけた。
怖い……。
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