第2話 ダゴン教団

◆ フォルトとディアリーネ


 巨大な像の手から解放されたぼくの目の前に、銀色の髪の美しい少女が立っていた。


 今の状況がまったく分からない。助かったという実感もない。ぼくは死んだのだろうか。


 だとしたら、こんなに美しい彼女は……


「綺麗な天使様、貴方が来てくれたということは……女神トリージア様がぼくを天国に入れてくれるということですか?」


「むっ!」

「痛たたたた!」


 女神トリージアの名前を出した途端、天使は頬を膨らませてぼくの頬をギュッとつねる。


「愛しい妻を目の前にして、他の女神おんなの名を出すなんて許し難いですわ!」


「き、君は……?」


 頬の痛みで意識がはっきりとしてきた。どうやらまだ生きているらしいことを確認したぼくは、目の前の美少女を観察する。


 まっすぐぼくを見つめているオレンジに近い紅玉の瞳。陶磁のような白い肌。尖って長い耳、頭部から生えている二本の角、背中には竜種の飛膜が……


 あれ?


 もしかして魔族?


 薄い生地で作られた服は、細く華奢な身体を優しく包み、そのほどよく大きな膨みを強調していた。


「うふふ」


 彼女の胸が一歩前に近づいてきたので、思わずぼくは体を一歩引いた。改めて少女の顔を見る。


「はじめまして鍵様ダーリン。わたくしはディアリーネ。このミスリルで作られた巨神に宿る精霊にして鍵者と共に永劫の時を生きるもの。鍵様ダーリンのお名前は何とおっしゃいますの?」


「ぼ、ぼく?」


 ディアリーネと名乗る少女が、ぼくの手を取って自分の胸元に引き寄せる。


「我が永遠の夫となったあなたの名前を知りたいですわ」


 最初はドギマギしていたものの、彼女の手のぬくもりでぼくの心は徐々に落ち着いていった。


「ぼくはフォルト。フォルト=ソルスレイ。別に何者でもないただのフォルトだよ」


「フォルト……フォルト……」


 ディアリーネは手を握ったまま、ぼくの名前を何度も繰り返しつぶやいていた。


 それにしても……


 夫がどうの言ってたような……。

  

「言いましたわ。あなたはわたくしの夫となり、わたくしはあなたの妻となりましたの。きっと魔神様のお導きに違いありませんわ」

「ぼくの心を読んだ!?」


「ええ。わたくしはあなたの妻ですもの。それくらいのことできて当然ですわ」


「ぼ、ぼくには君の心が読めないんだけど?」


「ふふふ。古えの昔より、妻の秘密を暴いて不幸になった神や英雄たちは多いですわ。鍵様ダーリンもお気を付けになって」


 そう言ってディアリーネはぼくに身体を寄せてきた。彼女から花のような香りが漂ってくる。


 ディアリーネがぼくの右腕を取って立ち上がらせる。


「「「うおぉぉぉぉぉぉ!」」」


 途端に歓声が轟いた。


 そのとき初めてぼくは、自分が魔物たちの真っただ中にいることに気付いた。


「んっ!?」


 真っただ中にいることに気が付いた。


「んんんんんんんっ!?」


 ぼくは気を失ってしまった。




◆ 黒の碑


 新たな6人の神命勇者が誕生した古代神殿から西へ15キロメートルにあるマルク岬。そこには悪魔の岩礁として昔から忌避されてきた岩礁がある。


 海上に突き出している岩は少ないものの、浅瀬は広く波は常に荒い。そのため多くの船がこの岩礁で座礁してきた。


 だが迷信深い漁師たちは、単に座礁によって船が沈むわけではないと信じていた。


 海の上に突き出ている黒く巨大な岩。それは古代の碑であり、表面には呪いの祭詞が刻まれているのだと言われている。


 この大きく傾いた不気味な岩がこの世ならざる妖を呼び寄せて、近づく船をことごとく沈めている。この地方では古くから信じられている伝承のひとつだ。


 漁師たちは恐れていた。


 ここ数年、誰も近づくはずのないマルク岩礁に、夜な夜な漁火が見えることに気づいたのは漁師たちだった。


 村人たちは恐れていた。


 誰も近づくはずのないマルク岬に、夜な夜なローブ姿の集団が向かっている姿を目撃したという話を。


 嵐の夜には、風雨に紛れて恐ろしい妖魔の叫び声が聞こえてくるという話が、村中に広まっていた。


 この当たりでは最も大きなミナス村では、真夜中に妖魔の叫び声が聞こえると、その翌朝に若い女性が行方不明になっているという。


 ここ数年は人さらいによる犯罪が多くなっていることも相まって、この噂は信ぴょう性をもって人々の口に上るようになっていた。


 マルク岬に一番近い場所に住んでいるローランドは、嵐の夜に黒い碑の下から緑の光が揺らめいていたと村人たちに語っている。




◆ ダゴン教団


 トゥカラーク大陸は七つの大陸の中で最も進んだ文明を持っているとされている。それは魔力と蒸気を組み合わせた魔蒸気機関の発明によるものであった。


 しかし、文明の開化が進むほどに、そこから取り残されてしまった闇はますます深くなって行く。


 その闇が結実したもののひとつが、ダゴン教団と呼ばれる異端の宗教の誕生だった。


「海の悪魔ダゴンを信仰する邪教そのものは昔から存在していました」


 黒髪の青年が黒い瞳を光らせながら、冒険者ギルドの二階にある会議室で説明をしていた。


「近年、それが教団という形を取るようになってきたことは、先日のG5でも報告されています」


「我が国を含めた五大強国でそのような報告が上がるというのは、それだけ巨大な組織に成長しているということなのか。お前自身はその教団を見たことがあるのか、タケーシ?」


 髭を生やした恰幅のよいドワーフが黒髪の青年に尋ねる。タケーシと呼ばれた青年は頭を縦に振った。


「ええ、ドワーリス様。その件についてはギルドにも報告していますよ。これまでわたしは彼らと三度交戦しています。戦いを重ねるごとに、彼らの規模がより大きなものとなっていくのを常々感じてきました」


 赤毛のエルフ女性が切れ長の瞳をタケーシに向ける。


「それだけ大層な相手と戦って、今までよく生き残れたものだな」


「実際、何度も危うく殺されかけました。ダゴン教団には漁師の信仰者が多いことは分かっているのですが、それだけでは彼らを見分けるのは困難です」


 タケーシが懐から五芒星の中央に瞳が描かれた木札を取り出す。


「この旧神の印は、ダゴン教団の信者が最も忌み嫌うものです。とはいえ、この木札には何の魔力があるわけでもありません。ただの印ですが、これを見せれば多くの信者は眉をひそめます。それがダゴン教徒かどうかを見分ける手がかりにはなりますね」


「だが、この印を気にしない信者には通じないし、自分が教徒であることを強い意志で隠そうとする相手にも意味はない」


 ホビット族のルーナスが木札をひっくり返して観察しながらそう言った。


「ルーナスさんの言う通りです。皆さん、今後は船に乗るときに注意してくださいよ。それが商船でも海賊船でも……王国軍の軍艦であってもです。船員の中に信者がいるかもしれませんし、最悪、乗組員全員が信徒なんてことも考えられますから」


「せいぜい気をつけるとするよ」


 そう答えるルーナスから木札を取り上げ、その後タケーシは全員の顔を見て言った。


「そしてこれからが本題です。やつらダゴン教団が、海獣ダゴリーヌの召喚に成功したという報告が入りました」


 その場にいる一同の顔に暗い影が走った。


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