生きたい

 自分が何をしたいのか。

 それがはっきりわかるなら、こんなに悩まない。


 悩んで悩んで、自分がもっとわからなくなって。

 挙句の果てに、茉莉さんに別れを告げて、真弥のところへ来てしまう始末だ。

 自分を裏切らないであろう人間よりも、自分を裏切っていた人間を優先するなど、おそらく俺の人生で今後ない選択だろう。


「……なんで、わたしのところへ来たんですか……」


「ひどい言われようだな。俺が来ないほうが良かったか?」


「そうじゃ、ありません、わたしは、和成に……」


「……俺は、赦したはずだが」


「で、でも……」


 今さら、これほどまでにやつれたこいつとクソつまんねえやり取りをするつもりはない。

 この行動を選んだのは俺の意思だ。たとえ自分で自分がわからなくても。

 ただでさえ残された時間は少ないのだから。


 ならば、真弥がこの世から消えてしまう前に。

 もう二度と話せなくなる前に、話すべきことはたくさんあるのではないか。

 そんな気持ちが強いだけだ。


 …………


 認めるしかないか。俺は焦ってるんだと。

 真弥とやり残したことがまだあると。それをするまで、こいつに死なれては困るんだと。


 …………


 なんだ、簡単なことじゃないか。

 心の中になるのはあるのは、未練とかじゃない。俺はまだ、真弥を赦しきれてないだけだ。


 こいつが死んで、『ひとを裏切った天罰だ、ざまあみろ』と罵倒することは、俺にしかできないこと。

 俺は俺でそう罵倒しながら泣くかもしれない。いや、まちがいなく大声で泣き叫ぶだろう。


 それでも。



『だが、その中で一つだけお願いをしてきた。和成君にだけは、伝えないでくれとな。また和成君に会ってしまえば、この世に未練が残りそうだから、と』



 元義父の言葉を信じるならば。

 うぬぼれか、都合のいい思い込みかはわからないが、死の間際にこいつが望むものは、俺の存在なんだ。


 なら、それでいい。俺はそれで割り切れる。

 これで、思い残すことなく、旅立てるだろ?


 だからせめて、最期くらいは。


「そんなことより、お互い他に話すことが、たくさんあるんじゃないのか?」


「……!!」


「なんでも、聞いてやるよ。なんでも、な」


「あ、ああ……」


「そして、なんでも隠さずに話してやるさ。うまく話せるかは怪しいが」


 人間ってのは偉大だ。

 殺したいほど憎く思っていた女にでさえも、そいつに死が迫っていると思うと、優しくできる。

 愛情じゃなくて、同情で。


「いっしょに、いてくれるんですか……?」


「まあ、そうなるな」


「わたしが……もうすぐ……」


「もうすぐ、なんだ?」


「い、いえ……」


「悪いが、真弥の事情なんざどうでもいいわ。一緒にいる決断をしたのは俺だ。たとえ真弥が嫌がっても、俺はここにいるぞ」


「いやなわけ、ないじゃないですか……うれし、すぎ、て……」


 弱った身体で嗚咽を漏らす真弥は、こういっちゃなんだがとてもみじめで、情けなくて。

 こういうのを目の当たりにすると、正直、恨むとか憎たらしいとか、ざまあみろとか、そんな感情はどこかへ飛んでしまう。


「なら、問題ないな。話そうか、いままで話せなかったことも、たくさん」


 俺の表情は、きっとこれまでになく穏やかなのだろう。


 今の真弥は、生まれたての赤子より弱弱しく、悲惨だ。

 明るい未来などないその身体の中に眠っているものは何なのか。それを今のうちに吐き出させることが俺のやるべきこと。


 結局、俺はまだ真弥を完全に理解できていない。


 ──だから、生きているうちにせめて俺の心に爪痕を残していけ。俺から忘れ去られないように。そうすれば、おまえが死んだらたくさん罵倒してやるから。


「……欲が、出ちゃいます」


 真弥はしばらく涙を流し、それが収まったかと思うと、俺のほうを向いて悲しそうに笑いながらそう言った。


「……なんの欲だ?」


「死にたくない、和成のそばでもっと生きていたい、って欲が」


「生きればいいじゃないか」


「……そう、ですね」


 尚紀の死を間近で見て、あれほどまでにそれを恐れた真弥だ。

 自分がこうなってしまったことへの恐怖感は大きかったはず。


「覚えて、いますか? 和成がプロポーズしてくれた時の言葉……」


「……ああ。確か、『死が二人を分かつまで』だったな」


「そうです……皮肉な、ものですね」


「……」


「わたしが、バカだったんです……でも」


「でも、なんだよ?」


「和成は、こうやって、それを、きちんと……あ、ああ、ああああああ!!」


 今度は、悲しい気持ちを隠そうともせず、真弥が両手で顔を押さえ、輪をかけてみじめに泣きだす。


「なんで、なんで、わたしは、和成だけを、愛そうと、しなかったの……バカ、ほんとバカ……ああああああ!!」


 前向きになれない状況で、ただ心からあふれ出すのは過去の後悔。

 俺はそれを、黙って受け止めていた。


「死にたくない……生きたい、和成のいるこの世界で、生きたいよ……死にたく、ないいいいいぃぃぃぃ……」





────────────────────



おそらく次で完結です。


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