何かが違う
真弥にはっきりと決別の言葉を伝えてすぐ、俺は茉莉さんと結婚前提のお付き合いを始めた。
言い訳がましく聞こえるかもしれないが、決して、真弥のことを吹っ切るためだけに茉莉さんを利用したわけではない。異性として今一番好きな相手は誰か、と聞かれたら、何の躊躇もなく茉莉さんだと答えるだろう。
俺と同じように男に裏切られ、普通の人間には理解できないであろう苦しみをいやというほど味わった茉莉さんを、俺が幸せにしてあげたいとも思っている。
俺も、前を向いて生きていきたい、という意思を持っているのだから。
幸せをつかめるように、道を間違えないように。
はたから見れば、俺も茉莉さんもお互いにこの人しかいない、という状態なはずなんだ。
なのに、なぜだろう。
その茉莉さんが、なんとなく踏ん切りがついていない気がするのは。
正直、ラブラブというような仲には程遠く、かといって穏やかなれどゆるぎない愛がそこにあると確信できるようなこともない。
そう、一番近い言い回しは、お互いに傷を舐め合ってるような感覚の延長だ。
確かに、前向きになろうという意思は見て取れるとは思う。でなければ、結婚を前提として一緒にいることなどない。
だが、なんとなく醒めたような空気が消えることはないのだ。
これは、二人とも大事な人に裏切られた結果の反動かもしれない。やはりどうしても脳裏から離れないのだろう、裏切られた後のことを。本気で好きになると、そのぶんダメージも大きくなるから。
まあそれでも、軽い気持ちで結婚を前提に付き合いを申し込んだわけではないし、茉莉さんも決して軽い気持ちで俺のプロポーズを受けたわけでもないはずだ。茉莉さんがそんな不誠実な女性でないことくらいわかる。
だからこそ、はがゆい。
まあ、茉莉さんもそう思っているのかもしれない。『俺が煮え切らない』と。
そんな宙ぶらりんな心境を痛感しつつも、正式に付き合いだして八か月近くがたった。充実していないくせに、時のたつのは早い。
男と女など、結局付き合いだせば、やることはひとつだ。茉莉さんを抱いた回数も、もう数えきれなくなっている。
ただ、その行為も、愛を確かめ合うまで行かず、隠しているお互いの心を探るかのように行うもので。
気持ちよくないわけではないが、終了後の充足感が大きくはない。
まあそれでも、お互いに何も言わなければ。このまま口に出さずに知らないふりをしていれば、世間にあふれている普通の幸せにはたどり着けるだろうとは漠然と思っていた。
死ぬまで知らないふりをすることなど、苦にはならない。裏切られることの数万分の一程度の苦しみだ。こんなのを苦しいと言ってしまったら、お互い過去の自分をバカにしているようなもの。
──だから、このまま、何も言わないでおこう。
改めてそう覚悟を決めたある日、俺は結婚式場の下見をしていた。
俺は再婚だが、茉莉さんは初婚。せめて結婚式くらいは、茉莉さんが望むようなものにしてあげたい。そう思ったからだが。
その後帰宅してから、まさか真弥の父親が俺の自宅までやってくることになるとは、予想だにしなかった。
「……和成君、すまない。突然押しかけて」
リビングで俺と向き合う元義父の顔は険しい。
もう慰謝料も解決し、今更何も話すことなどないはずだ。
そういぶかしみつつ、要件を尋ねてみる。
「……どうかしたんですか? 突然アポもなしに訪れるなんて」
「……」
だが、元義父は答えない。
テーブルの上に散らばっていた結婚式場のパンフレットに目をやって、悲しそうに顔をそむけただけだ。
よほど言いづらいことなのか?
まあいい。せっついても仕方ないので、話してくれるまで待つことにした。
そうして、元義父に淹れたお茶から湯気が立たなくなった辺りで。
俺の目を見ずに、ぼそぼそと、衝撃的なことを義父は口にしてきた。
「……実は、真弥のガンが転移していた。余命は……半年も、ないらしい」
今度はそれを聞いた俺が──絶句する羽目になる。
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