みじめな女

 病室に横たわる真弥は、俺が知る真弥とは、全くの別人だった。


 放射線治療のせいで抜け落ちた頭髪。

 蒼白い肌色、そして生気のない表情。


 殴る気力も失せるというものだ。


「……あ、あ……な、なんで、ここに……」


 病室に入ってきた人間が俺だと分かると、真弥は慌てて両手で顔を隠した。見ないで、と言わんばかりに。


 いたたまれない。

 このままだと間違いなく生命の灯が消えそうな真弥を見ると、悪態をつく気力もうせる。


「……具合は、どうだ」


 俺は真弥から少し離れたところに立ったまま、問いかける。

 あまりにもひどい言葉だとわかってはいるものの、なんと声をかけていいかわからなかった俺は、真弥にそう言うしかできなかった。


 当然、返事はない。

 気を利かせたのか、元義父は病室内に入ってこなかった。


 …………


 無言のままは気まずすぎる。

 何か言葉を──そう思って、俺ははっとした。


 いくら真弥が病人だからと言って、なぜ俺が気を遣わなければならないんだ。

 所詮はもう別れた戸籍上だけの元妻、今は他人だろう。


 それでも。


「ひどい顔だなあ。こんなところで寝てる暇があるならとっとと元気になって、俺に慰謝料全額払えよ」


 何やらツンデレみたいな言い回しが、俺の口から出てしまう。

 それを受けて、真弥は力なく口角をつりあげるが、言葉は発しない。


 それが俺をイラっとさせた。


「なにがおかしい。慰謝料踏み倒したままあの世に逃げようったってそう甘くねえぞ。どうせ死ぬなら、ちゃんと罪を償ってきれいな身体になってから死ねよ。このまま死んだりしたら、おまえの墓参りなど絶対にしないからな」


 遠慮という言葉はその時だけ、俺の脳裏から消えた。罵詈雑言を並べ立て、まだ夫婦だったころに真弥を責め立てたときと同じ感覚が戻ってくる。


 それを受けた真弥は、泣きそうな顔で返してきた。


「……わたしが死んだら、和成はお墓参りしてくれるの?」


「おまえ次第だ」


「……そう、ですか」


 かと思うと、そのまま天井へと視線を移す。


 うつろな目で。


 俺は再度、はっとした。本当に哀れな、あわれな女だ。

 浮気相手の尚紀はもうこの世にはいない。俺よりも好きだった男にすがることもできない。

 自分がしでかしたことが引き金になって、美月もあのようになってしまった。愚かな自分をかみしめる時間はたくさんあったことだろう。

 結局、自業自得なのだ。


 だから、死ぬことは怖くても、生きる気力をなくしている。

 俺の目には、そう映った。


 だが、少しだけ気力が戻ったように感じられるのは、錯覚だろうか。


「……わたしが死んでも、和成は、決して許してくれないと、そう思っていました」


「……」


「でも、まだ和成のためにわたしにできることは、あったんですね」


「……」


「ならばわたしは、できることをしなければ、なりませんね」


「……」


「本当に……慰謝料を支払い終えたら、和成は、わたしの墓参りに、来てくれますか?」


「……おまえと違って、俺に二言はない」


「信じて、いいんですね?」


 俺だけを愛しますとか言いながら浮気していたおまえと一緒にするな。

 そう言いたいところだが、さすがにこの状態ではそうは言えない。


「その前に俺が死んでなければ、の話だぞ」


「……わかり、ました」


 涙を浮かべる真弥。

 なんだこいつ。自分から浮気しておきながら、自分から結婚生活にすがっておいて、挙句の果てに自分から結婚生活を終わらせ、自分からみじめになろうとしている。


 理解できない。

 心底、理解できない。


 自分から結婚生活を終わらせたのなら、自分でちゃんと前を向けよ。乳がんなんて、今はだいぶ生存率が高いんだろう?


 おまえが前を向かなきゃ、俺も前を向けないじゃないか。



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