未練
※残酷なシーンがあります
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慌てて俺と真弥は、音の出どころへと駆け出していく。
そうしてアパートの一室と思われる二階の部屋へたどり着くと。
そこには、仁王立ちしながらこぶしを握り締めている桂木と、床にひっくり返っている男がいた。おそらくこの男が──尚紀だろう。
「……やめろ!!」
俺は叫ぶ。桂木のために。
「……和成……なぜここに」
名前を呼ばれて反射的に振り向いてきた桂木は、怒気を隠そうともせずに答えた。
もちろんこれは俺に向けてのものではないだろうが、俺は桂木の雰囲気に当てられ一瞬ひるむ。
「ダメだ桂木! こんな奴のせいでおまえが罪を背負うことになるのは、絶対にダメだ!!」
「……もう遅いよ。殴っちまったしな」
「それでも!!」
必死で叫びながら桂木の身体にしがみつく俺は、非力だ。きっとガタイのいい桂木がその気になったら、俺なんか軽く振りほどかれてしまうだろう。
だが、桂木はそうしなかった。
「……っなんなんだよおまえら! いきなり入ってきたかと思えば、ぶん殴り……」
その隙に、尚紀らしき男は立ち上がろうとしてこちらを見て──その先に見知った顔の女がいることに気づき、文句を途切れさせた。
「……真弥?」
名前を呼ばれ、真弥は尚紀から顔をそむける。
くそったれ、と心の中で吐き捨てつつも、尚紀の視線を遮るようにして俺は前に出た。
「おまえが、尚紀か。真弥が世話になったな」
「……まさか」
「一応は、戸籍上の真弥の配偶者だ」
「はっ。真弥に浮気された旦那様が何の用だ。慰謝料請求にでも来たのか?」
「……そうだな。真弥も、そして美月も世話になったか、おまえには」
「!!」
俺のことはともかく、その一言でなぜ自分が桂木に殴られたのか、尚紀も悟ったらしい。
正直俺も、本音を言うなら殺したい。慰謝料なんていらないからボコボコに殴って首を絞めてやりたい。だが、桂木を巻き込んではいけないという意識だけが、俺を常識人にさせている。
「てことは、なんだ。俺を殴ったこの男が、美月の──今カレなのか?」
「……」
「そうか……美月が、『もう二度と会わない』とあれほどまでに必死になってたのは、そのせいか。あいつも嘘つきだな、付き合ってる男なんていないって言ってたのに」
「……黙れ」
ひとことだけ発し、威圧する桂木の身体に力が入る。ヤバイ、俺の身体ごと持ってかれそうだ。
「ああ、悪かった。美月も幸せ者だな、浮気相手をぶん殴りに来る男に巡り合えたんだから。あんなに流されやすい優柔不断のくせに」
「黙れと、言っている。今野を知ったような口、きくな」
美月が優柔不断……?
尚紀の言葉に違和感しかない。あんなにきつくて、物事はっきり言う性格なのに。
ひょっとして、尚紀は美月の違う面を知っているのだろうか。
──いや、美月の本質を知っているのだろうか。
「おまえこそ知ってるのかよ? 美月はな、優柔不断で他人に流されやすい性格なんだよ、もともと。強がって自分を変えようと努力したところで、人間簡単に本質なんて変えられない。そんなことも知らないで彼氏面して殴りに来てんじゃねえ」
「黙れっ!!」
「ぐはっっ!!」
これ以上聞いていられないとばかりに、桂木がまだ起き上がってない尚紀へ足を伸ばす。
「変わりたいと思っていたやつを! 変わろうとしてたやつを! どうしてお前は、踏みにじれるんだ!! おまえに踏みにじられた結果、今野は自分で死を選ぶしかないくらいに、追い詰められたんだぞ!! おまえにその責任が取れるのか!! 責任も取れないくせに、自分の欲望のままに行動してんじゃねえ!!」
げしっ、げしっ。
自分の苛立ちをたたきつけるかのように、桂木は尚紀を蹴った。何度も蹴った。
それを必死にガードしている尚紀だったが。
「……なん、だと……?」
いつのまにか、表情から不敵な笑みは消えている。
桂木もそれに気づいたらしく、ふと、蹴りを繰り出す足の動きを止めた。
「本当か!? 美月が死を選んだというのは、本当なのか!?」
「何を今さら!! おまえ、今までさんざん女を使い捨てにしてきたんだろうが! 捨てられた女の中にはそういう行動に出たやつもいるかもしれないのに、こんな時だけ今野のことを気遣うんじゃない!!」
「違う、俺は……おい、おい!! 美月は、美月は死んじまったのか!?」
尚紀の態度が、おかしい。
まるで、美月だけは特別だとでも証明するかのように。
「美月は、美月は、どうでもいい女じゃない! ほかのどうでもいい女じゃないんだ!! おい教えろ、美月は、美月はどうなった!?」
尚紀の行動、なんじゃこりゃ。よくわからない展開だ。
今まで自分を蹴っていた桂木の脚に縋り付いてそんなことを訊いてくるとか、蹴られすぎて脳挫傷でも起こしたかと思った。桂木も困惑している。
が、その時。
「……あなたたち、他人の家で、なに騒いでるんですか?」
うしろから、若い女の声が飛んできた。
思わず三人で振り向くと、そこには──なんだろう、なんとなく美月を思い起こさせるような
「
すかさず尚紀が驚いたような声を上げた。
よく見ると、この部屋の内装はカーテンの色や小物からして、女性っぽい雰囲気がある。ひょっとすると、尚紀と同棲している女性なのかもしれない。
尚紀を除く全員がそう判断したのだろう。三人で同時に、道を譲るかのように横にどけてしまった。
そうして麻里と呼ばれたその女性は、尚紀のほうへと歩を進める。
前を通り過ぎてからも、俺たちはその女性に目が引き寄せられて──すぐに、全員ぎょっとした。
「……もう帰ってこないかと思った。今までどこに……」
一方、自分の味方が現れたせいか、尚紀の表情は和らぐ。
だが、そんな尚紀に足音も立てず近づいたその女性は。
「……忘れ物、したの」
ひとことだけそう言って、ようやく立ち上がった尚紀の腹に、後ろ手に隠していた出刃包丁を突き立てた。
腹に刃物がめり込む鈍い音が、やたらと大きく脳内に響いた。
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