清算できない

 いてもたってもいられない、というほどじゃないのに。

 なぜ俺は、早足で帰宅しているのだろうか。


 少しばかりの焦燥感と、やりきれなさ。

 そして、思ったこと。


 それをそのまま真弥へとぶつける前に、玄関の扉を開けた。


「おかえりなさい……」


 帰宅した俺の姿を確認しすぐ、真弥がそういってねぎらってくる。

 だが、俺の表情から、何かあったのではないかとすぐさま感づき、眉を少しだけひそめた。


「……どうか、しましたか。なにか、あったんですか」


 自分のことを糾弾されると思って焦っているのか。

 落ち着かない様子で、久しぶりに狼狽する真弥。


 それを見て、俺はほぼ反射的に、とんでもないことを口走ってしまう。


「……金が、入り用になった」


 おいちょっと待て。

 なんで俺は詐欺師のような真似をしている。そうじゃない、尚紀に金を貢いでたことを尋ねるつもりだったんだろうが。


 だが、これが無意識に出るということは、俺は真弥を試したかったんだと思う。

 何を試したかったのか、うまく説明はできないけど。


「……いくら、ですか?」


 そして真弥は、なぜ金が必要か、ではなく、いきなり額を訊いてくる。

 これがどういう意味を持つのか、俺はおぼろげながら悟った。


「……とりあえずは、百万、あれば、事足りる……」


 ますます大きくなる焦燥感をごまかしてそう吹っ掛ける俺を品定めするかのように、真弥は目を見開く。


 だが、言葉は何も発さず、リビングへと引っ込んでいった。


 俺が靴を脱ぎ後を追って家の中へと入ると、真弥はリビングの隅にある棚の引き出しをごそごそとあさっている。


「……これを、あなたに」


 そこから真弥が出した通帳が、そっと差し出された。

 見たことがない、地方銀行の通帳。名義は──『橋本 真弥』。


 思わず俺は、通帳を開き中を確認してしまう。


 そこには、きっかり百万円が、残高として残っていた。


「それで、何とかなるでしょうか……?」


 悲しそうな声で、真弥が確認をとってくる。

 何故悲しそうなのかは、聞くまでもないだろう。そうか、俺に絶望したか。

 そうだよな。尚紀と同じように、おまえに金をたかってるんだもんな。


 ──なのに、なぜ俺の胸が、締め付けられるんだ。


「……これを、受け取るわけにはいかない。受け取る理由がない」


 真弥を試したことをすぐさま後悔し、それに耐えきれず俺は通帳を突っ返そうとしたが、真弥は首を左右に振ってそれを拒む。


「いいんです……それは、あなたにお返ししようと思ってたお金ですから」


「……返す?」


 何のことを言ってるのか、すぐにはわからなかった。

 が、少しして、そのお金がどういうものなのか、理解した。


 これは──俺が出した、結納金──なんだな。


 確認のため通帳の日付を見ると、口座に入金された日は、浮気発覚の三日後だ。


 俺は、慰謝料は別としても、浮気したから結納金を返せ、なんてケチ臭いことを言うつもりはさらさらなかった。だいいち真弥だって、詫びるつもりであれば、もっと早くにこの通帳を差し出していただろう。


 これを、今出してきた理由は、いったい何なのか、どういう意味を持つのか。

 俺はますます混乱して、まったく考えがまとまらない。


 ただ、この金の使い道は、すぐに一つだけ思いついた。


 ──いくら借りたのかは不明だが、真弥が踏み倒した美月の借金を、これで返そう。


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