見えない影
「おお、今日に限って残業がないとはな。久しぶりに定時で帰れる幸せだ」
「……そうだな」
今日の仕事が終わった。なぜか今日に限って残業がない、というのも皮肉なものだが、桂木はうれしそうにそう言う。
ここ数日、俺の代わりに残業してくれてたからな。申し訳ないとは思ってるよ。
俺が会社に持ってきた弁当が誰作なのか、桂木は気づいてはいただろうが、何も言ってはこなかった。気を遣われてるのもなんとなくこそばゆい。
「さて、久しぶりに外は明るいし、たまには男同士の友情を……げっ!?」
定時で上がれてややハイテンションな桂木が何かを言いかけたが、そこで予想だにせず、俺たち二人の前に今野美月が立ちはだかった。
その姿を確認しオーバーなリアクションをとる桂木の様子は、俺の目にはお約束としか映らない。
「……お疲れ様、小野君。ちょっといいかしら?」
そんな桂木のことなど眼中にないとばかりに、俺だけに目を向けて、美月が話しかけてくる。
そういえば最近美月の姿は見てなかった。たしか最後に確認したのは、家で真弥と言い争いらしき何かをしてた時だったか。
「何しにきやがったんだよ今野! せっかくこれから男同士の……」
「
わざわざ俺のことを小野君、と呼ぶ美月にどこかよそよそしさを感じながらも。
なにやら真剣な顔の美月を見ると、話の内容が俺と真弥に関することだとしても、無下にはできない。
「……場所を変えようか」
―・―・―・―・―・―・―
とりあえず、俺と桂木は美月に導かれ、学生時代に来たことのある喫茶店『フロイライン』へと入店した。
余りに久しぶりすぎて、涙が出てきそうなくらいだ。
変わらない店内にノスタルジーを感じつつ、一番奥の目につかない四人席に俺たち三人で座る。
「ところで、あたしは小野君だけに用事があるんだけど、なんで桂木がいるの?」
「バカ野郎、今野みたいな何しでかすかわからない女と和成を二人きりにできるかよ。俺はいわば和成のボディーガードだ」
「……まあ、いいわ。いないものとして考えるから」
桂木にあきれたかあきらめたかわからないような態度を見せてから、美月は俺へと話しかけてきた。
「……ところで、小野君。尚紀相手に、慰謝料請求はするつもりなの?」
突然のことで面食らう俺。だがそのあたりの方針はすでに決定しているから、返事に躊躇はない。
「そのつもりだが」
「……そう。なら、早めにすることね」
「なぜだ?」
「尚紀は、今付き合ってる彼女と別れて、どこかへ引っ越すみたいだから。ま、正式に手続きしたところで、ちゃんと慰謝料を払ってもらえるかは怪しいけどさ」
「……なんでそんなこと、美月が知ってるんだ」
「その程度なら、知ろうと思えばいくらでも調べられるわ。真弥との浮気がバレて、尚紀の今カノも愛想つかしたみたいよ。今の尚紀は彼女のヒモみたいなものだし、少なくとも住んでるところは追い出されるでしょうね」
聞きたいような聞きたくもないような話ではあるが、まさか尚紀のやつがヒモ生活していたとはな。
そりゃこいつに引っかかったら人生破綻して首くくるしかなくなるわ、ヒモだけに。
……しかし、尚紀の今カノにも今回の件が漏れていたとは俺も認識してなかった。少なくとも俺のほうからはまだ尚紀に対してリアクションをとってはいないし、尚紀が自分からゲロするような人間とも思えないわけで。
そうなると誰が漏らしたか限られてくる。
「……余計な事しやがって」
俺は思わずそう吐き捨ててしまったが、美月はどこ吹く風だ。
「あら、あたしも一応関係者だから、貸したものを返してもらえるよう、要求してもいいでしょう?」
「……どういうことだ」
「あたしね、真弥にお金を貸してるの。真弥が尚紀と付き合ってた時に貢いでた分をね。たいした額じゃないから、尚紀と切れるなら貸したお金は忘れてあげる、って真弥には言ったんだけど」
「……なん、だって?」
今、初めて知った。
「あたしはあたしなりに真弥のこと本気で救いたかったのよ。だけど、結局真弥は今でも、あたしのことを必要としてくれなかった。友情すら一方通行なんて、なんか、ばかみたいじゃない?」
口調こそおどけているが、そう自虐的に吐き出した美月の表情は、ただただ苦しそうにしか見えなかった。
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