追えば逃げて、逃げれば追われる
ヒレカツ一切れで腹いっぱいになった俺は、『許す』宣言をした後に何かをする気にもなれず、風呂に入った後にベッドにもぐりこんだ。
当然ながら、本当にすべて許すことなどできるわけないが、真弥の嘘に比べれば些細なもんだ。
真弥は真弥で、わざとらしくかいがいしく何かをしてた様子はあるが、少し遅れて俺の隣にあるベッドへ腰を下ろす。
もう記憶を落としていいだろう。寝てるうちは、余計なことを考えずに済む。
そう思って部屋の明かりを暗くした。
そのときに、俺からの言葉はない。もちろん何も考えてないわけじゃないが。
『残りの期間、普通の夫婦として、暮らそう』
果たして、いまこの瞬間が普通の夫婦の形なのか否か、第三者から見れば明らかだろう。
だが、真弥は。
「……おやすみなさい」
一応、挨拶だけはしてきた。
聞こえないふりをするべきか否かを悩んで、しばらく無反応でいると。
「……わたしは、和成のために、なにをすれば、いいですか……」
沈黙に耐えられなかったのか、そう真弥がこぼす。
今度は、答えられないせいで、黙り込むしかなかった。
俺たちは、結婚してからずっと普通じゃなかったから、それも当然だ。普通の夫婦を装うのが精いっぱいだろう。おまけに今さら、真弥を信頼などできるわけもない。
ケリをつけるまで、籍だけの夫婦。普通とは何なのか、お笑いだ。
そんなふうに、自虐しか浮かばない、前向きになれるわけもない中で、あらためて疑問がうかぶ。
──俺は、なんで真弥と結婚したんだろう。真弥と結婚して、何がしたかったんだろう。
「……正直、わからない」
この言葉は、真弥に向けたわけじゃない。いや、今この状況では自問自答なのかすらも怪しい。
崩れてしまった日常は、取り戻す価値もないものなのだから、そんなものに固執する必要はどこにもないし。
かといって、何の意味もなく、このまま約束の期間まで無駄に過ごすのも、誰のためにもならないのにな。
幸せというにはほど遠い今の状況から、この先抜け出せることはあるのかが、またもや怖くなった。
たとえ、強制的にもうすぐ別れというものが来るとしても。
またしてもむなしさが襲ってくるが、それで思い出した。
──ああ、そうだった。
俺はただ、人並みの幸せを。
この世で一番、好きだった女とともに、普通に夫婦として手に入れられたはずの幸せを、ただ夢見ていただけなんだ。
『結婚してくれてありがとう。愛してる。真弥も、そう思ってくれてたら、それだけでいい』
結婚記念日の手紙につづった、今となっては真弥が知る由もない俺の言葉だが。
今感じてる葛藤は、それだけすらも手に入れられなかったからこその、執着からくるに違いない。もう不可能だとわかりつつも捨てきれない
「……ならばせめて、残りの期間、可能な限りあなたに尽くさせてください」
俺が何を思ってるかなど当然わかるわけもなく、さっきの言葉を自分に向けられたものと勘違いした真弥は、案の定まと外れな答えを返してきた。
『そこに信頼も愛情もなければ、お互い幸せなど感じないと、そんなことは無意味だと分かっているだろう? そういうことは、一番愛してる相手にするべきことだ』
そう言いかけて、やめた。また同じ事を諭すのも癪にさわる。
心底不思議だ。追えば逃げるくせに、こっちが逃げようとすると追いかけてくる。いつまでも一方通行。
まあいいさ。残りの期間、せいぜい俺を追いかけてみろ。
『あなたに愛されるのと同じくらい、私があなたを愛することができるか、という、自信がなかった』
なんて言って、また俺が追いかけ始めたら豹変して逃げる未来が見えるから。
いざとなったら、真弥の罪悪感が薄れた別れ際に、わざと追うふりをしてやるよ。
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