なにをもとめているのか

 俺は、まるで逃げるように茉莉さんと別れ、考え事をしながら家路を歩く。


 恐くなった。


 まだ俺に、真弥に対する愛情が残っていることは、認める。

 それでも、残っている愛情は、爪の先ほどもない、些細なものだと思っていた。


 なのに。

 大きすぎる怒りや憎しみが、愛情を打ち消していたから、そう感じていただけかもしれないと。

 茉莉さんの言葉で、改めてわかってしまったのだ。


 もしも、このまま真弥と離婚して。

 消えることはないにしても、やがて怒りが小さくなったときに、憎しみが薄れたときに。

 俺に残った、真弥の愛情がとてつもなく大きいものだとしたら。


 ──俺は、壊れてしまうだろう。


『煙草を吸う女は、お嫌いですか』


 そう訊いてきた茉莉さんも、自分が抱えていた愛情の予想外の大きさに、ただただ戸惑っているとしか思えない。本当の心の傷の大きさは、裏切られた悲しみじゃなくて、きっと残された愛情の大きさに比例するんだ。


 やっぱり、堂々巡りだな。


 真弥に関する、すべてを忘れる。

 それができるなら一番いいのに。



『思い出を忘れても、傷が癒えるわけではありません。むしろ傷の痛みを紛らわせるような思い出が消えたなら、痛みだけが残ることは間違いないと思います』



 惚れた弱みとも思える、前に茉莉さんが言っていたセリフを思い出しながら。

 俺は、浮気された側が振り回されるという、理不尽さを改めてかみしめながら、家に着いた。


「……お帰り、なさい」


 真弥の出迎え。

 俺の最近の態度から、余計なことは一切言わなくなった真弥だった。


 だがそれが、怒りではなく、俺が抱いた真弥に対する恐怖を増幅させる。


 どうすればいいのか、パッと浮かばないまま。


「……ああ。ただいま」


 俺の今の状態が、『怒りが大きすぎて、愛情があまりに小さく思える』状態であるならば、真弥に悪態をつくことに意味などないのではないのか。


 悪態をついてごまかす前に。

 相対的にじゃない、絶対的に、真弥に対する愛情の大きさを見極めなければならない。


 そう弱気になった俺は、思わず言ってしまった。


「! ……あなた……」


 真弥は驚いたまま、少しだけ涙ぐむ。


 ──なんだろうな、俺は。弱気すぎるだろ。浮気された屈辱をもう忘れたか。


 そう思う裏で。


 ──仕方ないよな。あれだけ愛した、本気で愛した女だったんだよ、真弥は。


 自分に対する言い訳を重ねるところは、俺の悪いところなのだろう。


 このままではいけない。

 そんな思いもあり、直でリビング兼ダイニングへ向かうと、相変わらず、俺が口にしないと分かっているであろうに、真弥はきちんと食事の用意をしていた。


 俺がそのまま、着替えもせずに指定席へ座ると、真弥はさらに驚きを見せる。


 どうすれば、俺が救われるのか。

 自問自答に答えなど見えるわけもないまま、用意されたヒレカツに俺はかじりついた。


 また戻しそうになったが、今日は食えないというほどではない。


「……あ、あなた……大丈夫なの?」


 心配そうな真弥の問いに答える必要はないだろう。見ればわかるのだから。


「あ、ああ、あああ……」


 そこで感極まったのか、真弥は伏せって嗚咽を漏らした。

 演技ではないにせよ、そこまで嬉しかったのか。俺にはわからない。


 だが。

 浮気された怒りが、大きかった愛情を小さく見せることがあるならば。

 浮気した罪悪感が、小さかった愛情を大きく見せることもあるのかな。


 きっと、今の真弥は──


 などと、自分でも驚くほど冷静に思うだけだった。




────────────────────



ここの部分は今後のキモというか転換点なのですが、うまく書けなくて悩んでおりました。

もう悩むのも飽きましたので、後ほど訂正追加する前提で更新いたします。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る