何かを感じ取る

 喫煙ルームに、椅子など気の利いたものがあるわけがない。


 俺は、灰皿をはさんで、茉莉さんの向かい側に陣取り、咥えた煙草に百円ライターで火をつけた。


 一息、深く吸い込んでから、さて何を話すべきか、などと考える。

 少々気まずい。というか何を話せばいいのかわからない。


「……茉莉さん、一時期禁煙、してたの?」


 結局口から出たのは、無難なようでそうでもない質問。聞いた後しまった、と思ったところで後の祭りだ。


「……はい、でももう、禁煙する必要がなくなりましたから」


 幸い気を悪くしてないような茉莉さんの答えだが、内心はわからない。

 だが、なんとなく、変に気を遣う方が悪い気がした。


「そっか。俺と同じだね」


 恋愛も結婚も、相手に気を遣うのが当然だ。一緒に暮らすうえで、相手が嫌がるようなことを控える必要はあるだろう。


 だが、こちらがどれだけ、パートナーに嫌われないように行動しても、相手がその気遣いを踏みにじるような真似をしてきたら、どこかで反動も出る。

 無性に吸いたくなるのは、そういう理由かもしれない。


「……和成さんは」


「うん?」


「煙草を吸うと、思い出したりすることは、ないですか?」


「……」


 茉莉さんからの質問があいまいで困る。もう少し具体的に言ってもらえればいいのだが。


「それは、昔のことを?」


「……幸せだったころの、自分の気持ちを、です」


 だが、聞き返したのは失敗だったと言わざるを得ない。

 結局のところ、茉莉さんも呪縛にとらわれているのだ。いまだに。


 いや、人のことは言えないか。

 俺もそうに違いないから。


 人間というのは、欲深い生き物だ。


 心から愛する人ができた最初のうちは、その人を愛する気持ちだけで幸せになれる。

 その次は、愛する人に愛されることで、幸せを感じられるようになる。


 そうして、やがて最後には。

 愛することにも愛されることにも、麻痺するんだ。

 だから愛を誓った相手をほっといて、浮気することができるのだろう。


 まあ、真弥が俺に対して愛情を持っていたなんて、うぬぼれることすらできないが。


「……おかしいよな。時間が経つにつれ、幸せな気持ちが薄れていくのって」


 ──不幸な気持ちは、時間が経つにつれ、大きくなっていくのに。


 さすがにそこまでは言わなかったが。

 茉莉さんが顔をしかめ、何を思っているのか、俺には手に取るように分かった。


 裏切られるくらいなら、愛する人と結ばれないほうが、幸せだったのかもしれない。


「……まだ、和成さんは、愛しているんですか」


「……」


 俺のぼやきを受け、茉莉さんがボソッと言った言葉は。

 茉莉さん以外に訊かれたら「そんなことはない」と即座に否定できる、ごく単純な質問だった。


 だが、あくまで、茉莉さん以外に訊かれたら、だ。

 俺は、そこで煙を深く深く吸い込み、答えることを拒否した。


 思わず弱音を吐きそうになる自分が、嫌でしかたがない。

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