汚い身体

 そうして、俺は風呂に入ることとする。

 吐いてしまったことで、体力も消耗した。こんな時は寝るしかない。悪夢並みの現実なら、まだ悪夢のほうがましだから。


 真弥の浮気が発覚し、いろいろ精神的な消耗が合った中でも、俺はなぜか風呂だけはきちんと入っていた。

 少しでもゆっくり寝れるようにしたかっただけだが、それがどのくらい効果があったかは知らない。


 だが、今のこの家で、一人でぼんやりできる時間は風呂の時だけなんだ。少しでも癒されたい気持ちもある。


 なのに。


「……なぜ、真弥が入ってくるんだ。許可したか?」


 風呂場で怒鳴ると声が響く。

 だからこそ俺は湯気すら凍り付くほどに冷たい声でそう吐き捨てたのだが、真弥は少し躊躇するだけで。


「あと一か月は夫婦なんですから……」


 いけしゃあしゃあとそうぬかすのだ。


 真弥の一糸まとわぬ姿は、客観的に見れば確かに美しいといえるのだろう。

 尚紀と散々浮気していた女とは思えないほどに。


 だが、軽蔑というフィルターが通されれば、汚らしく感じることしかできない。一緒の湯船につかったら、お湯がとてつもなく汚れてしまうほどに。


 当然のことだ。俺もその気になるわけがない。


「……一緒に、湯船に入ってもいいですか」


「……」


 だが、俺は拒絶をしようとしてもできなかった。

 なぜかはわからない。あと一か月は夫婦でいることを宣言してしまったからかもしれない。


「もう、あなたに抱かれることはないかもしれないけど、せめて夫婦として、触れ合いたいんです」


 ただ、余計なことを言うのは真弥の癖なのか。

 その一言が、俺の激情に染まった言葉を引き出す羽目になる。


「汚れた真弥の身体と一緒の湯船は嫌だ。せめてまず最初に身体を洗って、


 その言葉にうなずいて、真弥がボディタオルを手にする。


 ごしごし、ごしごし、ごしごし。


 ボディソープの泡立ちが、あっという間に真弥の体を覆った。


「……ちゃんときれいに洗えよ。きれいにだ」


 俺の念押しを受け、身体をこする真弥の力が強くなる。


 ごしごし、ごしごし、ごしごし。


 泡がどれだけ増えても、真弥は身体をこするのをやめなかった。


「ううっ、きれいに……きれいに……なって、おねがい、わたしのからだ。きれいになって」


 そうして真弥は、おそらく尚紀に散々いじられてたであろう身体を、ひたすら必死になって洗っていた。

 だが、鼻声で漏らす真弥の言葉は、止まらない。


「なんで、なんで……なんでわたしの身体は、きれいになってくれないの……きれいになって、きれいになってよおおおおぉぉぉぉ……」


 血がにじむほど必死になって身体をひたすらこすり続ける真弥に。

 俺は、危うい心の何かを感じ取った。


 だが、もう遅いんだ。

 その汚れは、もう落ちないのだから。



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