緑の紙
「それで、だ」
一応のけじめ──ではないが。
俺は、今後真弥と夫婦生活を続けるうえで必要なことを最初に行おうかと考えた。
「この先一カ月間の契約を、最初にしたい」
「……なん、でしょうか」
神妙な面持ちの俺に何かを感じたのだろうか、真弥は静かに訊き返してくる。
そこで、俺は無言で真っ白な離婚届を真弥の目に前に差し出した。
「これが契約書だ。まずは、この紙にサインをしてほしい」
そう告げたとたん、真弥の表情は真っ青になった。
何を今さら、と思わないでもない。何のために一か月一緒に住むと思ってるんだ。
自分に向き合えば、心の整理もつくだろう。ならその後はどうするのかなんて決まってるじゃないか。
「……あ、あああ、い、いい、いや、です」
「それは困ったな、これにサインしてもらわないと、一か月間一緒に暮らすことはできない」
「な、なんで……」
「このまま、ずっと一緒に暮らすわけにはいかないだろう? もしそうなってしまったら、俺も真弥もきっと後悔するに決まってるからな」
一か月、けじめをつけるための期間としては短すぎるかもしれないが。
そのあとどうするのか、明確にしておかない限り、自分と向き合うことなんてできるわけがない。
だから、俺は俺で、自分の意思表示を明確にする。
「そ、そんなこと……わたしは、死ぬまで和成と一緒に……」
「真弥がこの一か月内に死ぬんであれば、それはかなうさ」
死が二人を分かつまで。
なんてきれいな言葉で──なんて嘘っぱちとしか思えない言葉なんだろう。
「俺は俺で、することもある。もしこれに真弥がサインしないなら、俺はなんとしてでも即離婚するためにありとあらゆることをするつもりだ」
「そ、そんな……」
「それほどまでに、俺に慰謝料請求されたいのか?」
「……」
やはり真弥は何かを勘違いしていたのだろうか。今の様子からして、そうとしか思えないうろたえかたを見せる。
何を今さら。
問題なのは今じゃない。過去のことだ。
大事なのは今じゃない。未来のことだ。
しばらくして、俺が放つ重圧に抗うかのように、真弥が言葉を発する。
「……質問が、あります」
「なんだ、言ってみろ」
「一か月が過ぎた後……この紙は絶対に提出されるんでしょうか?」
なんてあたりまえなことを訊いてくるんだ真弥は。
当然だ、と言葉にするのも馬鹿らしくなって、俺はただ首を縦に振る。
「それを、絶対じゃなくしては……もらえないでしょうか」
「は?」
「何のために一緒に暮らすのか。その意味を、増やしたいんです」
「……」
「……もちろん、和成の意思に従います。でも、せめてそれだけはかなえてほしい。そう約束してもらえるなら、署名しますから」
署名の代わりに交換条件を出してくる真弥の必死さは、なんとなく理解できる。
だが、おまえはそんな厚かましいこと言える立場なのか。
そうは思ったが、俺の意思は多分揺らがないし、未来は変わりない。
だから、さっさと署名させるため、その条件を俺は飲んだ。
「……わかった。だが、甘い顔をするのは、これだけだぞ」
なぜか真弥は、俺のその言葉を受け、目に涙を溜めながら頷いた。
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