暗闇からはいまだ逃れられない

 不快と面倒と憂鬱に少しの光が入り混じったような心境。

 今の俺はそんな感じだ。


 真弥を俺の人生に残さないようにする。その方法はいまだにわからない。

 真弥じゃない誰かとのこれからで上書きするのも手なのだろうが、はっきり言って浮気の記憶も不快感も薄れないままの状態でそんな気も起きないし。


 ただ、四面楚歌で思考回路すら曖昧だった、流されるままだったときと決定的に違うのは、俺が多少自分のプライドってもんを取り戻したことかもしれない。


 浮気されたことで、卑屈になってた。しょせん俺は真弥にとって二番手以下ということと、新婚のくせに妻の気持ちもつかめず、浮気されていたという手ひどい裏切り。

 ショックが大きかったからこそ目をそむけたくなる事実だった。正直逃げ出したかった。だが世間体や周りの人間がそれを許してくれなかった。逃げ場なんてなかったのだ。だから真弥に怒りをぶつけるくらいしかできなかった。


 ──俺に、男としての魅力がないのが、いけないんだ。だからみんな俺の味方をせずに、真弥の肩ばかりもつんだ。


 無意識に、そんな卑屈な、でも決して口に出せない劣等感にさいなまれていたのだと思う。誠実さだけが売りの男がさらす間抜けは、倫理的に許されないことをしていたのが明るみになってからあわてて謝罪する女の涙にかなわない、と。


 だが実際はそうじゃなかった。桂木はもちろんのこと、オヤジやおふくろもちゃんと俺のことを心配してくれてる。まあ、オヤジはあんな性格だから、素直に俺に対して心配するようなセリフは言わないだろうけど。


 俺は間違ってない。

 俺は正しい。

 俺は──


 そう思うと、俺の心に、少しばかりの余裕ができた。


 なら、あんな女に俺が追いつめられる必要はない。

 逆に、追いつめてやればいい。スジを通して、俺はすべて正しいと思えるように。


「……はっ」


 下卑た笑いがそこで出た。予期せぬような。


 そしてそのまま勢いで、自宅の玄関の扉を開けると。


「……おかえりなさい」


 真弥が、なぜか玄関の先で待っていた。

 なにをしているんだこいつは。


「……なんだ、どこかに出かけてたみたいだから、いないだろうと思って帰宅してみれば」


 余裕がなかった時と同じように悪態をつく自分が少しだけ嫌になるも、それ以外にかける言葉などないのだから仕方がない。


「……ごめんなさい。ちょっと大事な用があって」


「……ふん」


 しかし、真弥がはっきり、俺の実家に行っていたということを口にしないのはなぜだろう。

 まあ、考えたところで意味もないか。


「そうか、尚紀のところに行っていたんだな」


「違います!」


 しかし、考えるのをやめるとまたまた悪態をついてしまう。自分がわからない。


 真弥は即否定してきたが、そこで『しまった』というような表情をして。


「……ごめんなさい」


 やはり出るのは謝罪の言葉。


 それにイラっとするも、バカらしい。怒りをぶつけるのすらバカらしい。

 

「……もういい。真弥、いちいち何事にも謝罪するのをやめろ」


 こんなことで激昂を繰り返していると、俺はまた自分に対する劣等感が大きくなってしまうかもしれない。そんなの癪に障るどころの話じゃないだろ。耐えろ俺。


 ここは努めて冷静に──


 ──だけど、少し油断すると、目の前が暗闇に襲われて、思わず叫びたくなるのは、なんでだろうな。

 

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