俺は堕ちない

「俺の妹も彼氏に浮気されて別れたばっかでな。さすがにサレた身だから裏切ることはないだろう」


「……俺、まだ離婚してないっちゅーに」


「別にいいじゃないか、お試しくらいなら。お前の嫁さんだってやってたんだ、バレたところで責めるなんてできないだろ?」


「……」


「それに、お前が浮気して嫁さんがそれを知ったら、自分のしたことのひどさに嫁さんも気づくかもしれないぞ」


 目には目を──か。

 確かにそれはそうなのかもしれないが。


「……いや、気持ちだけもらっとこう。俺は真弥と同じように堕ちるつもりはないし、だいいちお前の妹も俺と付き合ったら不倫扱いだ。そんなひどい目に合わせられない」


「……」


「妹さんも彼氏に裏切られやるせないだろうが、早くいい相手が見つかることを祈っているよ」


 社交辞令と本音を混ぜて、桂木にそう伝えると。

 目の前にいったん置いたグラスを再度持ち、中のチューハイを桂木が一気にあおった。


「お前はやっぱりいいやつだな。そうだな、やめとくよ。もしお前が嫁さんと離婚したら、また声かけてくれ」


「いや……それより先に妹さんに彼氏ができるんじゃないか?」


「それはない。あいつ、男性不信になっているからな。しばらくオトコはいいと言ってた。だからこそ、同じ境遇のおまえなら傷をいやすことができると思ったんだが」


「……俺には、無理だよ」


「まあまあ、それはそれで、いざというときの保険と考えればいい。あ、お姉さん、ウーロンハイひとつおねがいしまーす!」


 もっと高い酒頼んでもいいぞ。

 俺は心の中でそう言いつつ、グラスを空けるべく悪戦苦闘した。


 ──俺は、実は酒が強くないんだ。



 ―・―・―・―・―・―・―



 なんとなく桂木に癒された気もする。

 今なら苦手なフラフープもうまくやれそうなくらい酔ってる実感はあるわ。


 だが。帰宅すると、やはり心はささくれ立つ。


「……おかえり、なさい……」


 もう午前一時をまわっているというのに。

 ちゃんと『飲み会で遅くなるから先に寝てろ』とメッセージを送ったのに。


 真弥が起きていたせいで、酔いが半分醒めた。


「……なんで起きてるんだ」


「あ、あなたが無事に帰ってくるか心配だったから……」


「ケッ」


 酒によって気分が大きくなってるせいもあり。

 真弥に対して、露骨にいやそうな態度を出してしまう。


「なーにが心配だよ。自分が浮気していたときなんか、俺の帰りがいくら遅くなろうが一言もメッセージすらよこさずにとっとと寝てたくせに」


「……」


「それともなんだ? 俺が浮気しているとでも思ったか? 残念だったな、俺はそんなに常識が欠如した人間じゃない」


「……」


「まあ、安心しろ。俺が浮気しそうなときは、その前に真弥ときっちり別れるから」


「……許してください」


 俺の悪態に耐え切れなかったのか、真弥がようやく俺の罵り言葉に口をはさんできた。


「何を許せと?」


「私を見てください。これからの私を見てください。もう過ちは繰り返しません」


「……」


「あなたのために、あなたのためだけに誠心誠意、一生尽くします。だから、許して私をちゃんと見てください」


「……」


「一番大事な人がだれか、言葉で言っても信じてもらえないでしょうから、行動で示します」


 またもや謝罪の言葉。そして自分にとって都合のいい言葉。


 真弥の発する言葉は、そのどちらかだけだ。


「……あなたを、愛しているということを」


 ガシャーン!


 俺は思わず、「愛してる』という言葉に反応し、近くにあったコーヒーカップを真弥目掛け投げつけてしまった。

 反射的に頭を下げたため真弥には当たらなかったが、壁にぶつかり粉々になったコーヒーカップのかけらがあたりへ飛び散る。


「……そんなセリフは、浮気がばれる前に言えや、貞操観念ゼロの浮気女が」


 怒りを通り越して、本当に冷たい声でしか、話せない。

 頭を抱えたままガタガタ震える真弥に軽蔑の視線を送ってから、猛烈な吐き気に襲われ。


 「……うっぷ!」


 トイレに駆け込み、便器を抱え込みながら、俺は胃液まで吐いた。


 ──愛してるなんて信じられるか、あんぽんたん。信じられるのは便器女ってことだけだよ。

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