episode.6






 はぁ〜、とため息をひとつ。更衣室の椅子に深く座り込んだ。



「なぁーに、若いのに疲れ切ったじーさんみたいな顔しちゃって」

「峰さん…」

「今日忙しかったもんな、仕方ないか」

「アクシデントが続いたんで、会場の設営が滅茶苦茶かつかつで。どうにか間に合ったら次は大乱闘…たまりませんよもう」

「まぁ酒も入るからな。プロの腕の見せ所だよ」

「…そーっスね…。」

「そういや、一度も話しないけど、ユーワ無事に送ってくれたの?」

「え?え、あー、はい…」

「なんだよ、キレの悪い返事だな」

「いやー、俺寝ちゃって。起きれなくて迷惑かけたっす」

「迷惑ではないよ、アイツも淋しいやつだしな。ま、たまには気にかけてやって。友だちでもなんでも、悪い奴じゃないから」

「…っス、」



 なんだかんだいって、気になるんだろうな峰さん。父親でもあり、兄貴分でもある、ということなんだろうか。微笑ましい気持ちになると同時に、よくわからない始まり方をしてしまったことに対しての罪悪感が生まれていた。…人を傷つけるのも、傷つけられるのももうごめんだ。



「早く帰れよ〜」

「…はい、」



 着替えたらさっさと更衣室を出て行った峰さんに、置き去りにされたような寂しさを感じた俺は、ゆっくりと立ち上がり着替えを済ませた。

 …今まで感じなかったのに、人肌を知ってしまうとこうもしおれてしまうものか。なんて傷心なことを考えつつ、これからどうしていこうかと思いを馳せる。



「う、さっぶ……」



 …会社帰り。駅から出ると、ヒュッと冷たい風が吹いた。温かくなったとはいえ、まだまだ寒いな、と。バスを乗り継ぎ、家の近くの停留所につくと、見覚えのある影がぼんやりこちらへ近づいてきた。



「善」



 海風が、ゴオゴオと、ふく。



「…帰れよ!」



 俺は走った。はやく、はやく、はやく…!疲れた足がもつれ、こけそうになったのを踏ん張る。必死で走って家に向かった。…後ろからはついてくる影を感じる。それを振り払うように、全力で走った。

 神経を集中させて。足をぐるぐるともう回転させて。



「あ、ぜ…」



 家の前に小柄な人影があり、汗だくの体で抱き締めて…見せつけるようにキスをする。



「ハッ…ハッ…はァッ…」



 息を切らした影は、汗を拭いながら自虐的な笑みをうかべた。



「あの時と、まんま逆だな」

「邪魔。帰れよ」

「…この子のことが好きになった?」

「運命の人だからな。…もう邪魔するな」



 ユーワは黙って俺を見ていた。利用しているかのような…まるで、こんなひどいことを…。ただ冷静な大きな瞳が、俺をずっと見つめている。



「邪魔…するつもりはないよ。謝りたくてここにきた」

「もう帰」

「よくないよ善。逃げずに聞かないと、きっとずっと苦しいよ。…私は、帰るから」

「…ユーワ、帰るな」

「おねえさん、こいつ弱いから…ここにいてあげて」



 ヒビが入ったグラスのように。中に入った液体が、じわりじわりと漏れていく。



「…ここにいるよ、善。」



 ひんやりとした場所から、温かな場所へ。握られたてのひらが優しく強く、盾を作ってくれる。守る盾を、そして、心を強くするための盾を。



「誉が琥子が寝てる時に、切ないような顔してキスをした。幼馴染なんてものはわからないけど、俺がいるのに、何でそんなことをしたかわからなかった」

「…、」

「琥子も誉も大事な友だち、誉はそれ以上で……黙ってそばに居たのに」

「………」

「苦しいだろ、そりゃ。好きなんだぜ?全部を渡していいと思ったんだ、なのに…何も言わないんだよ」

「それは、善もだろ」

「黙ってた。何を言われても信じれないと思ったから」

「…、うん」

「信じたい気持ちを、踏み躙ってきたんだよ、誉…」

「だから、何も言わずに居なくなったんだな。急に」

「どうせ、…卒業したら終わる夢だと思った」

「俺が東京に進学するって言ったから?」

「……、っ」

「何も言わないのは、臆病だからだったんだな。善も…俺も」

「もう…こんな悪夢終わりにしたい。誉を思い出すのをやめたい」

「悪夢、か…」



 ざぁ、ざぁ、と、波がおしてかえす。潮風がどんよりとする空気をさらっていった。



「好きな人の思い出が、悪夢なの?」



 するり、と、指を絡めてグッとにぎった。その声は、とてもきらきらとしていた。



「ゆ、わ」

「大好きな人との清算が終わってないから、私のことも考えれないんじゃない?」

「……、………」

「大好きな人だから、自分以外の人を見ないでっていう気持ちは当たり前だよ。だから聞きなよ、その子のことが好きだったの?って」

「…、っく」



 押し殺していた感情の波が、大きな波が、こちらへおしよせてくる。



「…、ほま」

「琥子を通して、善をみてたんだ」

「………っえ…」

「俺よりも、すごく温かい目をして琥子を見るから。…好きだとも言わないから」

「なに、」

「お前が男の俺じゃなくて、琥子を好きだと言ったのが憎らしくて、怖くて…壊れてしまえばいいと思った」

「じゃあ、わざと…?」

「、なのに!」

「わざと、いるとわかってて、そんな、ことを…」

「大事になればなるほど失くすのが怖くなる。…だからいなくなった善を、俺は探さなかった。琥子から、メールをもらうまでは」

「どうして…」

「まぁ、あれ。もしまだ俺を思っててくれるなら、と思ったんだけど……むしがいいはなしだったな」

「まだ善は、あなたのことを好きだと思いますよ」



 顔は、見えなかった。ただ、声は震えていた。…どうしても、どうしても、顔が見たくてたまらない気持ちになる。



「なんだ、ほんとのおじゃま虫だ、私」



 明るい声をしていても、言葉の端が脆くただ震えて…。



「善、あなたのことを思って泣くんです。だから、ちゃんと見てないと、素直にならなきゃだめですよ」

「善、が…?」

「ちょうど良かった。私ね、ありがとうって言いにきただけなんだ。落ち込んでもしょうがないって教えてくれたし、私も前に進まなきゃね………」

「まっ、ゆ、わ…!」

「じゃあね。幸せになってよ」



 震えが止まった。ただ、とても寂しい笑顔だった。…波の音に消えていく足音が、ざりざりと名残惜しい音が…遠くなる。



「善、あの、さ」

「かっこいいだろ、今の女の子。…ごめん、今好きなのは誉じゃないんだ!」



 視界から消えていくその後ろ姿を捉えて、俺はまた足を踏み出した。



「……知ってるよ」



 誉の声は遠く、俺の耳には届かない。

 地面を蹴って走り出した俺の視界の中に、小さな影がもどってきた。



「……幸せに、なれよ。善」



 影にぶつかるように突き進み、ひっかくように抱きしめた。きつく、きつく、きつく。



「えっ、ぜ、善…え?」



 頬に光るきらきらとした線。熱い体、やわらかい体。



「車俺の家に停めておいて、どこにいくつもりなの?」

「あ、っごめ、なさい」

「いつもの強気がお留守かな?」

「なに、を」

「好きだよ、きみが。ユーワを好きになった」



 ………初めて、手を繋ぐことに緊張した。

 思ったよりも遠くにきていて、歩くアスファルトはとてもかたい。なのになぜか、手のひらから温かいものが全身に巡る。



「善、…いいの?」

「ちゃんと吹っ切れた。…そしたら、ユーワが俺の中に残ってた」

「私のこりもの…」

「そういうんじゃないって。ほら、」



 かちゃん、と鍵の音。そしてノブをひねり、やわらかい光が俺たちを迎えた。



「おかえり、ユーワ。」












EP.6 end

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