episode.2
ガタンガタン、ゴトッ…足の裏を行ったり来たりする音の波に身を委ねる。ふら、ふら、と体は左右に揺れる。鞄を持った両の手を吊革に張り付かせて、眠気からきた欠伸を噛み殺した。
車窓から見える景色はいつもと同じで、懐かしいあの日々から数年の間に今の様子に変わっていったのだ。…流れていくビルの群れを見つめながら、潤った瞼を一回閉じて…開く。ポタリと、滴が一つ。
「次は〜………」
人に埋もれて上手く聞き取れないが、次の駅で降りなければいけないな。自分にそう確認した。
到着した先で群れのように進み、駅を出る。鞄から黒色の缶を取り出し、苦い味をごくりと飲み干す。そして、また、群れのような人混みの中へと溶け出した。
「…あちゃー。」
入念にウィッグを馴染ませ、かつての誉のように真っ黒なサラサラヘアーで出勤をした。ホテルのサービスマンとしての規律ギリギリの身だしなみ。未だにウィッグの下は白銀色だから、この馴染ませる作業は欠かせない。
「なーん、っしてんの?」
「冬樹さん」
「ったく。地毛染めりゃいいだろう」
「気に入ってるんで。この作業」
「なんだそれ」
「ところで今日、何組くらいやるんですか」
「あー、3か4、予約あったはず」
「調理場大変っすね」
「まぁ、俺の手にかかれば華麗にあげてみせるから問題ないよ」
「、かっこいいっす」
「適当な返事すぎるだろう」
ムスクの香りが漂い、大人の色気全開のオジサンがネクタイを締めた。鏡なんてまともに見つめてもいないのに、すっきりと姿を整えてロッカールームを出ていく。
…似てもないのに誉を思い出した。あれから一度も会っていない誉を。たまに夢に見るあの最低な俺の記憶を。心臓が嫌な震え方をして、乱暴に左胸を掴んだ。ギュウ、と、力を込めて。
大きな音が会場内に響き渡る。マイクからは盛り立てるプロの言葉の数々。薄暗い会場内では、煌びやかな飾りのあるテーブルに次々と料理が並んだ。
厨房では、冬樹さんが声を張り上げて現場を取り仕切っている。
「新郎新婦、入場〜!」
キィ、と軋んだ音はBGMの影に消えた。そして、真っ白なマーメイドドレスに、白いタキシードを着た男女が緊張で強張った顔をして会場に歩みを進める。
…琥子は、初恋を成就させたんだ、とすごく喜んでいた。
「おい、見惚れてるぞ。」
「峰さん」
コソッと耳打ちしてくるのは、先輩社員の峰 咲耶先輩だった。俺ですら178センチのところを、185センチという脅威の長身で追い抜いている。ど迫力だな、といつ並んでも思うが、今はそれどころじゃない。すみません、と呟いて仕事に戻った。
「はい、お疲れ〜っ!」
仕事終わりに集まったのは、立ち飲み屋だ。今日は峰さんのお迎えついでに送ってくれると言う。先輩や後輩も交えて、日本酒やら焼酎やらをゴクゴクと飲み干すこの集団に、たまに周りがコソコソと目を向けてくる。…酎ハイという度数の低いものを頼んでるのは俺くらいだった。
3時間ほどでお開きになり、次々と人が消えていく。残るは俺と峰さんだけだ。…シュボッとライターから火を燻らせ、タバコの先端を潜らせて口に咥えた。
「お前、その年で女っ気ねーよなあ」
「…そ、…っスね」
なんて言って良いかわからず、曖昧な返事をして自分のタバコにも火をつける。
「そんな綺麗な顔して、別に友だちもいない訳じゃないだろぉに」
「え、あ、ハイ」
「実は男が好きとか?」
「あー…まぁ、近からず遠からず」
「………マジ?」
「さぁ、どうでしょう」
「もしや俺、狙われてる?」
「なんですかそれ。」
「いやあ…」
「偏見っすよ。見境なく誰でもじゃないんで、変なのやめてください」
ふぅ、と白煙が昇るのをじっと見つめる。店先の暗闇に静かに溶けて、綺麗になくなる。頭の中にあるもやが、少しだけ減った。
「なぁ、じゃあ、男…は無理だけど。女作ってみたら?大丈夫なら」
「はぁ、まぁ、余計なお世話っすよね」
「心配してんだよ独り身くんを。」
「峰さん父親じゃあるまいし」
「一様5児の父親ではあるけど」
「…え、そんなに?」
「そらまぁ、お盛んだからな」
「飲み会大丈夫なんすか?」
「大丈夫。今日はいとこが用事ついでに送り迎えしちゃるっつって言ってたから、嫁の許可とってきたの」
「へぇ」
「由環っつーんだけどな?峰家で唯一の独身なんだよ。…どう?」
「はぁ…どう、と言われても」
「プロの菓子職人してんだよ。ちーっと仕事熱心ではあるけど、お前ならうまくやってくれそうなんだよなぁ…」
「あてがおうというやつっすか」
「さっきから言葉に棘があるな…」
「峰さんが男女のことに首突っ込もうっていうの聞いたことなかったんで」
「まぁな。嫁と子どものことで頭いっぱいで、他人の色恋に口出しする余裕ねーもん」
「明日、槍でも降るんじゃないですか」
「あほぬかせ」
「冗談っす、…あ、車」
店の駐車場に現れたのは、青い色のコンパクトカー。そして峰さんは「よっこいしょ」と立ち上がり、車の後部座席のドアを開いた。
「ゆーわちゃん。助かるわ、よろしく」
「くっさ…バカサク、ねえさんに煙草吸ってること言ったの?」
「一昨日から解禁なんだよ。一番下が小学校に上がるから、そろそろ吸わせてくれって頼んだ」
「……あの、すみません。よろしくお願いします」
「あ、バカサクの友だちか。えっと…」
「善です。守神善」
「私は由環。えにしに環境の環で由環。みんなユーワって呼ぶかな」
「…よろしくお願いします」
後ろについて後部座席に乗ると、早々に車が発車した。…懐っこい人だな、と言うのが印象。峰さんが心配するのも、なんかわかるような気もした。
EP.2 end
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます