第18話アルバンでの生活

 冷たい風が吹き抜けた。もう外で描画するのは厳しい。陽の高い時間を狙ってはいるが、今日は一段と寒かった。

 クロードは今日もこの寒空の下、アルバンの露店で絵を売ってくれている。二人だけの生活は、何とかやって行ける程度だ。アクセルが部屋を貸してくれていなければ、野宿しなければいけないところだっただろう。

 そんな事を思いながら、レリアは湖のほとりで景色を描写していた。

 ここからの風景が、一番アルバンの街らしいのだ。


「随分と進みましたね」


 後ろから官吏の一人が現れ、レリアの描いた絵を覗き込んで来た。以前レリアに絵画を注文した、ケビンという男である。レリアはそっと振り返ってその絵を見せた。


「ええ、まだ少しかかりますが……いかがですか?」

「すごくいいですよ。正にアルバンの街! という感じがします」


 くすくすと青年が笑い、レリアもまた、それに合わせて微笑みを見せる。


「でも、寒くなってきたので無理はなさらないで下さいね。僕は急ぎませんから」


 そう言ってケビンはストールを渡してくれた。この官吏は本当に細かな所を気遣ってくれる。有難い存在である。

 レリアはそのストールを首に巻き、そっとお腹に手を当てた。随分と大きくなったお腹を見て、ケビンは待ち遠しそうに声を掛けてくれる。


「後一ヶ月程ですよね。楽しみだなぁ」

「ええ、その予定ですが、思ったより大きくて……もしかすると、近いうちに出てくるかもしれませんわ」

「え!? そうなんですか!? では、医者の手配を早めて……」

「大丈夫ですよ。産気づいてから呼んでも間に合うはずです」

「土日じゃないと良いんですが……土日は、ここにもノルト村にも医者は居ませんから」

「そうですか」

「今のうちにトレインチェに行くのも宜しいかと」

「いつ生まれるのか分からないのに、そんな長く滞在出来ませんわ」


 アルバンの街には経産婦が幾人もいるし、特に心配はしていない。レリアも三人目という事で、どうにかなると思っている。


「とにかく、ここでは産気づいても誰も気付いてくれませんから、そろそろお部屋か人通りのあるところで描いて下さいね!」

「はい、お気遣いありがとうございます」


 ケビンが去って行くのを見送ってから、レリアは再び絵を描き始めた。まだ一週間くらいはここにいても大丈夫だろう。さすがにその先は部屋で絵を描いた方が良さそうだ。

 手前の湖に光を入れていると、またも人の気配がした。振り返ってその耽美な顔を見て、レリアは丁寧に頭を下げる。


「いかがですか。体調の方は」

「ええ、お陰様で、順調ですわ」


 ミハエル騎士団のロレンツォは、地元ノルト村に戻るたび、アルバンにも足を伸ばして様子を見に来てくれていた。実はアルバンに来る際、護衛してくれたのもロレンツォだ。地元に帰るついでだからと言ってくれて。


「まだアクセルに言うにつもりはないのですか? もう構わないでしょう」

「……会う機会がありませんもの」

「俺が連れてくればいい。男としては、こういう事をあまり隠されたくはない」


 ロレンツォには、早々に妊娠している事がばれた。アルバンに行く際、馬の振動を気にし過ぎたせいだろう。それを彼は、誰にも言わずにいてくれている。


「でも、アクセル様は私に会いたくないのではありませんか?」

「何故そう思うんです」

「だって、アクセル様は仕事でしょっちゅうアルバンに来ると言っていたわ。それなのに私がここに来てからは、一度も来ていないとケビンさんに伺いました。私を避けているからに他なりませんもの」

「……」


 レリアの言葉は図星だったようで、ロレンツォは苦い顔に変わった。


「恐らくアクセルは……どうしていいのか分からないんでしょう。あいつもまた、傷ついている。そしてアクセルは誰より真っ直ぐな男だ。相手が既婚者だという事を知らなかったとはいえ、不義を働いた事に自責の念を持っている」

「……私のせいですわね」

「ちゃんと調べなかったあいつも悪い。だがアクセルがあんなにも懊悩しているという事は、まだ貴女に気持ちがあるからでしょう。お腹の子の事を、きちんと話した方が良い。それでアクセルも一歩前に踏み出せるかもしれない」

「……話して、どうなるとお思いですか」


 そう問いかけると、ロレンツォは一瞬言葉を詰まらせた。


「……分からない。あいつの潔癖さを加味すれば、レリア殿にとって良い返事にはなりますまい。子供は認知されず、レリア殿とは何事も無かったかのように生きて行く事を選択するかもしれない」

「私も、そのように思います」


 レリアも同意すると、「だが」とロレンツォは続けた。


「潔癖だからこそ、逆もあり得る。アクセルは責任感の強い男だ。自分のやってきた事に目を反らせる奴じゃない。貴女を放っておく事の方に自責の念を感じているなら、アクセルは必ず貴女の助けになってくれるはずだ」

「ロレンツォ様。私はアクセル様に助けて欲しいわけではないんです」

「……では、どうして欲しいと?」

「アクセル様が私のせいで苦しんでおられるなら、救って差し上げたい……それだけです」


 どう救えばいいのか。その答えが丸っきり出ないのだが。

 もうアクセルとは関わらず、彼には本当の幸せを手に入れて貰うしかなさそうだ。自分に出来る事は、そこには無い。


「では、あいつを救ってやって下さい。それは、貴女にしか出来ない」

「……え? 何を仰って……」


 レリアの考えとは、真逆の考えをロレンツォは言った。どうしろと言うのだろうか。誰か別の女性を紹介すればいいのだろうか。


「二人とも避けようとせず、一度ちゃんと話してみるべきだ。どうしたいのか。どうして欲しいのか。そうすれば、すべき事が見えてくるはずだ」

「ロレンツォ様……」

「次の日曜、アクセルを連れてくる。いいですね」


 断定的にロレンツォに問われたレリアは、仕方なく頷く。しかし心の底では沈殿していた感情が、にわかに舞い上がるのを感じていた。

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