第19話 わずか十秒

 次の日曜日、ロレンツォは約束通りアクセルを連れてやって来た。

 彼はアクセルに何も言っていなかったのだろう。レリアの大きく膨らんだお腹を見て、アクセルは目を丸めていた。


「な……ま、さか……」

「身に覚えがあるのか、アクセル」


 ロレンツォが横からアクセルの背中を押し出した。アクセルはヨタヨタと二、三歩レリアの前へと進む。


「覚えがあるなら、きちんと話し合って来い。今日のアルバンでの仕事は、俺が全てやっておいてやる」


 どうやらロレンツォは、アクセルを騙して連れてきた様で、二人とも騎士服姿だ。ロレンツォはケビンといくつか話をすると、トレインチェへと戻って行った。


「アクセル様、ここではなんですから、良ければお部屋の方へ」

「あ……ああ。そうだな……」


 かなり動揺しているのが見て取れる。騙されて連れて来られたのなら、何の心の準備もしていないに違いない。動揺するのも仕方の無い事と言えるだろう。

 二人は何度も逢瀬を重ねた部屋へと入る。アクセルの香りがしていた部屋はすっかり絵の具臭くなり、息子との生活で物が溢れていた。

 椅子を勧めるも、アクセルは立ったまま座ろうとせず、逆に椅子を勧められてしまう。


「いえ、アクセル様が座らないのなら、私も立ったままで」

「いや、座ってくれ。妊婦がずっと立ったままなのは大変だろう」


 そう言われてレリアはそれ以上断るもの悪いと思い、椅子に腰かける事となった。アクセルは幾分か平静を取り戻しているようだ。さすがに頭の切り替えが早い。


「……触っても、良いだろうか」


 彼は、小難しい顔をして尋ねてくる。レリアはこくんと首を縦に下ろした。

 数歩近付いたアクセルが膝を折り、レリアの大きなお腹にそっと手を置く。


「この子は、俺の子で間違いはないな?」

「ええ、間違いはありません」

「そうか……すまない」

「どうして謝るんですの?」

「レリアがこんな状態にある事を知らなかった。……知ろうとしなかった。それを申し訳なく思う」


 彼の手が、そっとお腹を往復した。小難しい顔をしていたアクセルは、幾分か優しさを表情に出している。


「私こそ、勝手に産もうとしてごめんなさい。産んで落ち着いたら、伝えるつもりではいたのですが」

「少し待ってくれ。今、どうするか考える」


 そう言って、アクセルが黙した瞬間、お腹の子が蹴り上げるようにドスンと胎動を感じた。お腹に手を当てていたアクセルも、それを感じ取ったはずである。その数秒後に、アクセルは口を開いた。


「決めた」

「え?」

「結婚しよう。トレインチェへ戻り、家を借りるなり買うなりして、一緒に暮らそう」


 わずか十秒ほどで全てを決めたと言うのだろうか。相変わらずの決断力に、レリアの方が狼狽える。


「あの……いいんですの?」

「ロベナーと離婚はしていただろう? 問題ない」

「いえ、そうではなく……私にはこの子だけじゃなく、クロードという大きな息子もいるんです。私は息子を育てる責任が……」

「無論、クロードも一緒に暮らすつもりだ。レリアと結婚するという事は、彼も俺の息子になるという事だ」


 普通は思い悩む所だと思うのだが、アクセルは当然の様にそう言ってのけた。


「いえ、でも、私……本当は三十三歳……いえ、そろそろ三十四歳になるんです」

「それがどうかしたか?」

「その、アクセル様にはもっと相応しい女性がいるのではないかと……」

「俺にとっては、レリアがその相応しい女性だ」

「そんな、有り得ませんわ……」

「それはレリアが決める事ではない。俺が決める事だ」


 アクセルはお腹に置いていた手を移動させ、レリアの手を強く握った。


「俺と結婚してくれ」


 夢にまで見たプロポーズをされ、レリアは喜びで目を瞑った。子供を産み、家族で仲睦まじく過ごす姿を想像する。子供が生まれ、一歳、二歳、三歳、四歳、五歳。しかしその想像はそこで途切れた。


「アクセル様……言っておかなければならない事が」

「何だ?」

「知っておられるかもしれませんが、クララック家の女子は代々短命です。皆、四十を超える前に何らかの形で亡くなっています。私も、どういう死に方をするのか分かりませんが、後六年もしないうちに、私にも死が訪れるに違いありません」

「そんな迷信のようなものに囚われるな。簡単に死なせはしない。俺が必ず守る。信じてくれ」

「アクセル様……」


 真っ直ぐな瞳に、レリアは吸い込まれるようにアクセルを覗き込んだ。すると彼はそっと唇を寄せ、そしてレリアの唇に触れてくれる。数ヶ月ぶりのキスは、何だか泣けた。


「結婚、してくれるな」

「はい、アクセル様……」


 今度はアクセルの問いに、素直に応じられた。愛する人に優しく包まれ、レリアはこの上ない幸福を感じる。


 ずっと。四十を超えてもずっと。

 ずっと、アクセル様と一緒に時を過ごしたい。


 アクセルの腕の中で、レリアはそう強く願った。

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