第7話 恋人達の湖(4)
湖畔はとても静かでした。二人は水面を見つめていました。
「本当に水が綺麗なこの湖、昔から変わらないのですよ」
以前に何度も、この湖に祝福を与えるために来たことを月の神様は思い出していました。ここを訪れる人々が幸せになるようにと、長い年月、神として祈ってきたのです。自分が素敵な恋人と一緒にここにいることは、全く予想していませんでした。長い時間を生きていても、分からない事もあるものだと月の神様は思いました。
「透き通るような感じが素敵ですよね」
そんな思いを知らない王女様は、そっと湖を覗きます。隣には月の神様が立ちました。水面には二人の姿が映ります。王女様は月の神様の姿をみて微笑みました。
月の神様はいつも白い服に少しの銀色の装飾品、そして腰には細身の剣という姿です。剣はいざというときに月の神様が使うものでした。その姿が月の神様の略装であることは王女様も知っています。神様の正装は神様の間でもルールがあり、人間の目の前では滅多に正装はしない事とされていました。
月の神様の本当の髪の色は、神秘的な瞳と同じく夜空色です。この国では滅多にいないので、人間の医師の時はその色ではありませんでした。今は王女さまにだけ夜空色の髪を見せています。
「月の神様は水面に映る姿でさえも端整なのですね」
王女様は微笑みました。水面の月の神様が少し照れたような笑みを浮かべました。
「あなたの今夜のドレスも素敵ですよ。それに――とても可愛くて美しいです」
今夜の王女様は月の神様にあわせて、白色を基調としたお洒落な細身の光沢がある布のドレスでした。この国によくあるドレスですが、足下には優雅な切れ込みがあり、少しだけ王女様の足が見えます。詰め襟で、飾り紐があちこちに施されたものです。派手ではなくシンプルですが、王女さまによく似合っているものでした。
「そう言って頂けるなんて嬉しいです。有り難うございます」
王女様は丁寧にお礼をいい、水面を見つめました。魚が住んでいるようで、時折ぽちゃんという音がします。それ以外は特に音もせず、静かな森の中でした。梟の鳴く声がします。
「梟も可愛い声ですね。私、鳥が好きなんですよ」
「梟はとても賢いですよ。今度梟の置物かなにかをみつくろってきます」
王女様のしなやかな指が、いつもの指輪を触りました。
「まぁ、この指輪だけで十分ですのに」
「私が贈りたいのです」
微笑する月の神様をみて、王女様は嬉しくなりました。
「私から何かお贈りしても構いませんか?」
「勿論です」
人間から何か貰う事を禁止する決まりは神様にはありませんでしたから、月の神様は心から嬉しいと思いながら王女さまに尋ねました。
「どのようなものなのですか?」
「沢山贈りたい物はあるのですが、指輪のお返しに小さな剣をと思います。ペーパーナイフとして使えそうな物を探しています」
「それは素敵ですね。その時がきたら有り難く頂戴致します」
この国では指輪のお返しは、剣と決まっていました。小刀や戦士が使うような剣までなんでもいいのです。ペーパーナイフを贈る女性も多いです。王女様は自分の持っているペーパーナイフと対になるような品を探していました。握る部分に木の葉の化石が組み込まれたものです。王女様のお気に入りの品でした。
「私のペーパーナイフと対になりそうな物を探していますの」
「そうでしたか、それは嬉しいですね。楽しみにしています」
しばらくそのまま話しながら湖を眺めていた二人でしたが、どちらからともなく座りませんかとなり、景色の良い場所に移動して周囲の風景を楽しみました。王女様はいつか大好きな誰かと、この湖に来ることを楽しみにしていたのです。一緒にいる人は神様ではありますが、自分のとても好きな相手です。相手も自分を想っていてくれている事は、とても嬉しいことでした。王女様は自然に誰かを好きになり、この湖に行くような機会は、もしかしたら訪れないかもしれないと考えていました。思いがけない形で夢が叶ったことは非常に嬉しくて……その話を月の神様にしようとした時にちらっと森の方に光る何かが見えました。
「月の神様、向こうにきらきら光るなにかが見えていますわ、なんでしょう?不思議な感じがします」
王女様の視線の先を月の神様はみました。小さな光がいくつか見えます。神様の目には何があったか、全て分かります。
「小さな森の妖精ですよ。好奇心旺盛なので近づいてきたみたいですね。普段は森の奥にしかいないのです」
続けて月の神様は言いました。
「やはりあなたの瞳は普通の人には見えないものを、うつすようになってきたようですね。クレアボヤンスが成長しているのでしょう」
「そうなんですか?この力が上がるとどうなるのですか?」
「この世ならざる存在を見る事ができるようになります。慣れれば意志の力でオン・オフできますから四六時中みえると言うことになりませんよ、安心して下さい」
王女様はほっとしました。死者の霊魂などを見る事になるのが怖かったからです。よくよく話を聞いていると、自分で視える者を決められるとのことでした。ポジティブな光の存在だけ見る事に当面はしておき、神官として修行を始めたら死者の霊魂を見るようにと勧められました。
神官で死者の霊魂がみられないと確かに困るので、それには頷けます。死んだものを導く仕事も神官にはあるからです。
「少しホッとしましたわ。やはり死者の霊魂はなんとなく怖いですもの」
「救いを求めている場合もあれば、怨念を残している場合もあるので、むやみやたらに視ないことも大事ですね。見えても素知らぬふりをするのもアリですよ」
月の神様の教えに王女様は驚きました。
「視えていないフリをするんですの?」
「そうです」
しばらく月の神様の教えを聞き、頭の中で王女様は整頓しました。すんなりと頭に入るのは月の神様の説明が上手だからでしょう。勿論王女様の理解力も必要ですが。
「良く理解することができましたわ、有り難うございます」
「どういたしまして」
月の神様が立ち上がり、そっと手を王女さまに差し出しました。
「折角だから、森を見ていきませんか」
「そうですね。妖精さんまだ起きているかしら……?」
「多分起きていると思いますよ、では行きましょう」
二人は湖畔から森へと移動する事にしました。ゆっくり歩きながら、この先に森の妖精がいるのかと思うと、それだけで王女様は楽しみになりました。
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